プロテスタントの「信仰義認」の根本的誤り

そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。・・・」-ヨハネ6:28-30

今回のメッセではここの聖句の間違った理解がプロテスタントの根底にある事を指摘した。「律法を行うことによって救われるのではなく、イエスを信じることによって救われるのだ」という偽り!

はあ、これって信仰義認であって、ルターの本質的な教え、宗教改革の原点ではないかと、いわゆるキリスト教神学を学んだ人は異議を唱えたくなるだろう。はっきりという、そのスタンスは、この聖句の弟子たちとまったく同じマトリックスに絡まれているのだ。なぜか分からない人はかなりハマっている証拠。

先にも書いたが、ガラテヤ2章16節と20節(Gal 2:16;20)の意味の取り違え、というより誤訳がその根底にある。詳細は先の記事を読むか、メッセを聴いてほしい。かなり挑発的に語っているので、神学オツムのプライドにはかなり刺激となるであろう。ここでは結論だけ述べるが、正解は「律法VS信仰」ではない!

信じなさいではなく、神フェイスを持て(Mark 11:22)

セルフによらず、キリストによる

 


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クリスチャンとは真のトランス・ヒューマンである

最近、ピーター・トゥールなどによるトランスヒューマニズム(>HとかH+)が脚光を浴びている。ディープラーニングによるAIとか、人工的ボディによる超人間の実現。映画でも『ゴースト・イン・ザ・シェル』などの作品にも反映されている。確かにこの制限された死ぬべきボディから解放されたらどれほど自由であることか。パウロも地上の幕屋で呻いていると言うとおりである。

さて、キリストの死と復活に一体化された者は新しい創造、新人類、新生命体、スーパー・ヒューマン、そしてネオ・ホモサピエンス。ギリシャ語では時間の概念に二種類ある事は前に書いた。クロノスとカイロス。クロノスは時計が刻む物理的時間、カイロスは永遠のナウの時間、つまり霊的意味を有する。

それに伴って、「新しい;New」にも二種類の概念がある。ネオスとカイノス。ネオスは時間的に新しいの意味、カイノスは質的に新しいの意味と理解してよいと思う。たとえば、エペソ(Eph 2:15;4:24)における「新しい人」はカイノス。対してコロサイ(Col 3:10)における「新しい人」はネオス。つまり新しく霊から生まれた存在(John 3:6-8)は質的にも時間的にBrand Newなのだ。

最近、Dr.Lukeはヴァイブレーションだの、ポータルだの、サブスタンスだの、ニュークリーチャーだの、ネオとかスーパーとかニューエイジ系にかぶれてるとかおっしゃるむきもあるようだが、あのですねぇ、これらの単語はすべて聖書にあるわけ。日本語訳は表向き現れてないだけなのだ。ニッポンキリスト教にかぶれたマインドではあるものも見えなくなる。もっと言えば、われわれこそが真のニューエイジャーでありトランスヒューマンなのだ!究極的に私たちはこのボディを脱ぎ捨て、物理的に束縛されないカイロスに生きる栄光のボディを得るのだから。


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