いつも思うニッポンキリスト教徒の不思議な事

このキリスト教なる業界、聖書を唯一の信仰基準にすると宣言しつつ、全然聖書を知らないし、平気で誤訳を鵜呑みにするし、書かれてないことを堂々と言っている。ほんと、自然科学系の者からすると理解不能なのだ。

例えば、例の「ラブソナタ」。これは実にキモイ。「あなたは愛されるために生まれた」・・・。いやはや、自己憐憫の霊の極致。聖書はなんと言っているか:エロヒムは祝福して言われた、生めよ、増えよ、地を従わせよ。

つまり人が創造された原初的目的は、神の代理権威として「地を従わせる」こと。この「従わせる」の原語は「強制力を持って」の意味である。要するに神の意志に反するものがすでに人の創造の時に存在していたのだ。これは創世記1:1と2節の間に秘密がある。

このアサインメント(委託)から人は堕ちた。で、一種の傍観者となってしまった。自分が何をしても世は変わらない。ただ愛されていればよい・・・と。あるいはめんどうなことは言わず、伝道、伝道とかね。あるいは携挙と再臨を待ち望むだけとか。この辺は再建主義者の批判どおりであろう。

これがもろに現れるのが病気に対する姿勢。ある者は病気は神の御旨、それにより人格を陶冶されるためとか、主のお苦しみを共にする経験だとか・・・。まあ、三浦綾子文学的ワールド。

果たしてジーザスは自分のところに来る病者にそんなことを言われたであろうか?ジーザスは病気を治めたのだ。従わせたのだ。命令、コマンドにより。それは秩序に置くこと。病気はDis-orderあるいはDis-ease。神の秩序からのDis=逸脱。だから秩序に戻すこと。神の秩序とは健康である。

もっとも深刻な病は、実は、聖書からの逸脱。自分が聖書を知らないことにすら気がついていない。キリスト教の病とは、ちょうど結核を患っている医師がそのことを知らず、マスクもしないで治療室に人々を招くようなものである。

これもね⇒ニッポンキリスト教の七不思議

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