世事都訛―一石

コレ、なかなか面白い。日本人は日本の歴史を知らない。南京大虐殺はあり得ない。当時、日本軍が統治し、むしろ安全だからと、20万だった人口が25万に増えていた!?

この三上氏(この人、元はつくば大で物理学専攻)の発言もいいね。「歴史」なんてヤラセ。政治家に倫理道徳を求めるからややこしくなる。悪党でもいいから、ちゃんと治めろと。 そう、メスは切れるが、カネと女にまみれた財前のオペを受けるか、聖く貧しいがメスの切れない外科医のオペを受けるか、あなたはどちら?

牧師も同じ。いつもニコニコ牧師顔、なんでも愛して赦してだが、聖書の知識はほぼゼロ(ま、神学は知ってるかも?)、無邪気に嘘を語るのがいいか、Dr.Lukeがいいかってね(笑)

結局ね、赤と青、どちらのカプセルを飲みますか?ってこと。

世事 都て訛たり 一石
當年 風貌 細腰(さいよう)多し
浮客 時を痛む 髪己(すで)に皤(しろ)し
何(なん)ぞ人生に耐えん 胡蝶の夢
今に到り識(し)る可(べ)し 事都(すべ)て訛(か)なるを

かつてはみな姿かたちも美しかった
世の旅人はすでに髪も白くなり、時の流れを悼む
人生はまことに胡蝶の夢のごときもの
今にして、この世はすべてフェイクであると知るのだ

目に見えること、これは目に見えないことの現れ。それはマインドが作り出したマトリックス。真理は見えない世界、五感を超える領域、時空に拘束されないスフィアにあるわけ。しかし苦と楽とか、富と貧とか、相対世界で見えるもので振り回されているのが罪に落ちた人類なのだ。マズローによるまでもなく・・・。これはキリスト教徒も同じ。

見えるものは一時的、見えないものこそ永遠である。―聖書

参考:胡蝶の夢とは(Wikiより)
夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話である。この説話は「無為自然」「一切斉同」の荘子の考え方がよく現れているものとして有名である。「無為自然」を荘子の言葉でいえば「逍遥遊」となり、それは目的意識に縛られない自由な境地のことであり、その境地に達すれば自然と融和して自由な生き方ができると荘子は説く。荘子が他の説話において提出してきた「是と非、生と死、大と小、美と醜、貴と賎」などの現実に相対しているかに見えるものは、人間の「知」が生み出した結果であり、荘子はそれを「ただの見せかけに過ぎない」という。

追記:さっそくこんな記事がありました。単語一つでいかようにも「歴史」は操作されるのです。

聖徳太子、鎖国… 「教えづらい」のひと言で歴史が歪められる驚き

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