真央ちゃんネタから―信心銘いわく

2005年に私はこう書いている(http://www.kingdomfellowship.com/blog/index.cgi?no=1300)―

無邪気さの強さ:
フィギュアの浅田真央ちゃんは実に強い。プレッシャーもなく、伸び伸びと滑っている。勝とうとしていないし、うまく滑ろうともしない。ただ楽しんで滑っているだけ。あの無邪気さにベテランもかなわない。彼女たちもかなり良い成績を出したが、見ている方がハラハラする。特にラストの安藤美姫(18歳には見えない・・・)は緊張感がビンビンと伝わってきた。

ところが二位だった真央ちゃんにはそれがない。単純に演技を楽しんでいる選手を見ると、観客も楽しめる。実は私たちの信仰も同じ。勝とうとしたり、クリスチャンとして失敗しないように、あるいはうまくやろうと構えると、見ている人たちもハラハラ。無邪気さの中で力が抜けた真央ちゃんスタイルで生きたいと感じた。

そして2014年(http://www.dr-luke.com/diarypro/archives/4137.html)―

しかし、いつか来ると心配していた安藤美姫化が今回真央ちゃんにも起きてしまった。得点55.51に、自分でも分からない・・・と呆然とインタビューに答えた彼女が痛々しい。今回は羽生が以前の真央ちゃん状態で滑れていた。何事もそうだが、意識した途端に自由を失ってしまうのだ。美空ひばりも歌っていた、「勝つと思うな、思えば負けよ~」と。ちなみに禅語にこのようにある:

信心銘
至道(しいどう)は無難なり/唯だ揀択(けんじゃく)を嫌う
纔(わずか)に憎愛無くんば/洞然として明白(めいばく)

道に至ることは単純である。揀択、すなわち事の善悪や白黒を離れればよい。愛とか憎しみとかの相対世界を超えるとすべては明らかなのだ。善悪を知る知識の木の世界を離れたいのちの木の世界に生きること。これこそがいのちの法則のままに生きる自由をもたらすのだ。真央ちゃんも滑ること自体を楽しめばよいのだ、かつてのように。

ついに2017年―今回の引退インタビューで彼女自身がこう言っていた:小さい頃は何時間もただ滑っていることが楽しかった。でも、今はいろいろ考えてしまう・・・。

まことに知性によって彼女の無邪気さは消えてしまったのだ。人間、いろいろ考え出したらおしまい。原点はアダムとエバが享受していた無垢を、善と悪を知る二元論的価値観に堕ちた人類は喪失したのだった。

アイデンティティー・クライシスに陥ることなく、普通の女性の人生をゲットバックしてね♪

●意識の扱い方について(⇒http://www.dr-luke.com/Topics/consciouness.html

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