日: 2017年5月3日

言葉(dabar)は実体(matter)である フェイス

言葉(dabar)は実体(matter)である

メッセでも語っているが、ここでも・・・。 アブラハムとサラがすでにその肉体が用をなさなくなってから、神は、サラは来年の今頃イサクを生む、と言われた。サラは笑い、アブラハムに神は迫りつつ、こう言われた: 主に不可能なことがあろうか。-Gen 18:14 ここの「こと」とはdabar、つまり言葉だ。新約…
言葉(レーマ)は霊でありいのちである フェイス

言葉(レーマ)は霊でありいのちである

人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。-John 6:63 ここの言葉はレーマ。イエスが語り出したレーマは霊であり、命(ゾーエ)であった。かつて私は<レーマ=ロゴス+信仰=霊=いのち>と表現したことがある(あるいは×…
神のマインドのフィールドを共有する フェイス

神のマインドのフィールドを共有する

「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。-1Cor 2:16 私たちのマインドの場(フィールド)がある広がりを有していることを書いた。いわゆる気配とか殺気、あるいは分裂病者のプレコックス感などはこの場が影響するためだ。ちょうど磁石の周り…
マインドのフィールド フェイス

マインドのフィールド

私たちは体、魂、霊からなることは欧米のクリスチャニティでは常識。わがニッポンキリスト教では聖書自体が霊と魂の区別もできていないし、牧師たちも同じ状況。霊と魂の区別ができなければ、聖書を正確に理解することは不可能だ。 -人間の聖書的啓示と現代精神科学 その魂は、英語ではSoul、ギリシャ語ではPsuc…
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