セルフというマトリックス-終わりの時代の病理-

 

人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています。-ピリピ2:21

しかし、終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。
そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。
また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。
・・・彼女たちは罪に満ち、さまざまの情欲に駆り立てられており、いつも学んでいながら、決して真理の認識に達することができません。-2テモテ3:1-7

諸悪の根源、Self-Love。ここでも終わりの時代の諸問題の先頭にリストされている。ギリシャ語は"philautos"、これは"philos(愛する・執着する)"と"autos(自己)"の合成語。自己(Self)は、実は、マトリックスなのだ。自分が好みの異性や嗜好って、なぜそうなのか考えたことがあるでしょうか?なぜ、自分はこのようなことを願い、また求めるのか、考えたことがあるでしょうか?多分、それらを考えることもなく、それを得るために躍起になっているのです。

またカネがあればハッピーになれると、多分大多数の人が考えているでしょう。本当でしょうか?あのSoftbankの孫さんが、1兆円の利益を上げながら、達成感もなく、ただ通過点に過ぎないと語っていました。AppleのJobsも自分はすべてを得たが虚しいとベッドの上で漏らしました。これもまたマトリックス。いにしえのソロモンは言っている―

わたしは太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった。
・・・わたしはこうつぶやいた。「快楽を追ってみよう、愉悦に浸ってみよう。」見よ、それすらも空しかった。
・・・しかしなお、この天の下に生きる短い一生の間、何をすれば人の子らは幸福になるのかを見極めるまで、酒で肉体を刺激し、愚行に身を任せてみようと心に定めた。
・・・かつてエルサレムに住んだ者のだれよりも多く/牛や羊と共に財産として所有した。金銀を蓄え/国々の王侯が秘蔵する宝を手に入れた。男女の歌い手をそろえ/人の子らの喜びとする多くの側女を置いた。
かつてエルサレムに住んだ者のだれにもまさって/わたしは大いなるものとなり、栄えたが・・・目に望ましく映るものは何ひとつ拒まず手に入れ/どのような快楽をも余さず試みた。
・・・見よ、どれも空しく/風を追うようなことであった。太陽の下に、益となるものは何もない。-伝道の書1:16-2:11

これらすべては所詮、五感の領域のもの、そこから得られるものは単なる神経系の興奮に過ぎない。得るまでは期待が高まるが、得てしまうと興奮は消失し、感動も喜びも失せる。まことに幻の如しだ。かくしてしばしばより強い刺激を求めてエスカレートする。これでドラッグやギャンブルなどにハマるのだ。ソロモンもある面で女性に関してはアディクション状態であったも言える。

わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。ールカ9:23-24

セルフというマトリックスから生じる欲求は果てしない。セルフ1)ただし注意してほしいのは、このセルフはアダムにあって組織された魂の中のマトリックスであり、霊が再生されて新しい創造とされたキリストにある私のことではない。十字架は、古い自己と新しい自己のスウィッチの場であり、死と復活が今、ここにおいて実現する場である。いわゆる「自分を十字架で否み~、自我に死んでぇ~」という宗教の十字架に欺かれないように。復活した者は十字架につく必要はないのだから。に欺かれるならばまことに蟻地獄に陥る。セルフは他人によってではなく、むしろセルフによって欺れるのだ。そのセルフからの解放はただ十字架おけるキリストと共なる死と復活にある。

自己における死について
自己を否むことについて
死と復活の原則について

 

References   [ + ]

1. ただし注意してほしいのは、このセルフはアダムにあって組織された魂の中のマトリックスであり、霊が再生されて新しい創造とされたキリストにある私のことではない。十字架は、古い自己と新しい自己のスウィッチの場であり、死と復活が今、ここにおいて実現する場である。いわゆる「自分を十字架で否み~、自我に死んでぇ~」という宗教の十字架に欺かれないように。復活した者は十字架につく必要はないのだから。

御霊から生まれたもの(=エロヒム)は、自然にキリストだけを求めます。そうでないキリスト者(もどき)は霊が違うので結局自分のことが第一ですね。米国でもself-loveを奨励する教会のなんと多いことか。これ最大の悲(喜)劇。みんなそれなりに良い人たちが多いのですが。五感しか知らない人にフェイスの話をしても「暖簾に腕押し」。それでずっこけない様に筋力鍛えてるんですね?

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