153匹の魚(IΧΘΥΣ)の奥義

すでにメッセでも語ったが、「153」なる数字は実に深い。

シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった1)最初の時(Luke 5:6)は破れかけたことに注意。主の十字架による死と復活を経た後は網は破れることないのだ。。-John 21:11

ここの記事はもちろん主の祝福の場面であり、復活の後、弟子たちに姿を現した3番目の機会だ。朝の食卓を準備せよと言われた後、主を三回裏切ったペテロに対して、主は三回「わたしを愛するか」と問うている。邦訳では「愛するか」と同じ単語に訳されているが、主は二回目までは「アガペするか」と問うのだが、ペテロは「フィレオする」と答えている。しかし三回目は主も「フィレオするか」と問われ、ペテロは「私があなたをフィレオすることはあなたがご存知です」と答えざる得なかった。この場面に自分が置かれたらいかなる気持ちでおれるだろうか。「愛」は切り分けられる必要がある。人間的な魂の愛は必ず発酵し、腐敗し、酸くなるのだ。

これは単によく言われる傷心のペテロをいたわる話ではない。「切り分け」の話だ。事実、この直後に、主はペテロの殉教を予言しているのだ。ちょうど三回鶏が泣くと、主を三回否むとペテロに予言した時と同じだ。違いは?・・・そう、先の予言とこの予言の間には主の復活があるのだ。ペテロは大衆の前で大胆に主を証しし、最後は主の予言のとおりの死によって栄光を現した。まことにペテロは別人の如し。何が彼を変えたのか?主のいたわり?アブソリュートリー・ノー!ペテロを変えたのは十字架における死と復活である!この死と復活を経ずして私たちの証はない。

・・・とここまでにして、「153」に戻ろう。まずは素因数分解すると

素数17が出るが、さらに

ここで17は律法の完全数10と安息日の7の和。これはボーリングのピンの配置にすると、三角形に並ぶゆえに、「三角数」と言われる。さらに階乗(!)で表すと

ここで、例えば5!=5×4×3×2×1でしたね。さらに面白いのは、各桁の数字を3乗して加えると153に戻るのだ。つまり

幕屋や神殿の至聖所の形状は立法体。つまり3乗の形。私たちエクレシアの究極的完成の姿である新エルサレムも立方体(Rev 21:16)。3はもちろん父・子・聖霊の三にして一なる神の数字。そして5は4+1で、4は被造物の数字、1は神。つまり被造物と神の関係あるいは神の責任を象徴する数字なのだ。

さらに面白いのは、ローマ時代にクリスチャンが迫害されたとき、彼らの象徴は魚だった2)占星術によると支配星座も魚座。その後、水瓶座に変わり、ニューエイジャーによるとキリストの時代は終わりを告げ、ニューエイジが始まるとするわけ。⇒詳細。「イエス・キリスト・神の子・メシア」の頭文字を並べると、ギリシャ語で"IΧΘΥΣ"。魚だ。ギリシャ文字には数値が対応しており、この5つの数値を足すと1224になる。そして1224=153×8なのだ。8とはノアの家族の数であり、主が律法に従って8日目に割礼を受けた数値、復活の後8日目に疑いのトマスに現れ、ヨハネ福音書の8番目に来るしるしが復活だ。すなわち律法を全うして復活した証の数字だ。つまり153はキリストを構成する数値。ここで十字架による死と復活に戻るわけだが、いかがだろう。153匹の魚。それは主の復活の証であり、祝福を意味する。さらにギリシャ語の魚には"increase(増殖)"の意味がある。

人類の歴史はカインの霊とアベルの霊の相克が地上に現れたもの。自ら十字架を拒絶して神に拒絶された者たちが、神に受け入れられた者に対する嫉妬と憎悪を燃やす時代だ。神はアダムにあるものを決して受けれいない。主は問われるのだ、「あなたは自分の十字架を負って、自分を否みつつ私に従うか?」と。これはそれぞれの責任(5)だ。三角数であり、3つの立法数の和である153と一体化される者は幸いだ。それはキリストと共なる死と復活(Rom 6:5-8)。あくまでも自己(セルフ)を主張し(=自分を"神"とし)、153を拒絶する者は災いである。終わりの時代、この切り分けが今後明確に現れてくる。

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましい、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。-Heb 4:12-13

ニッポンキリスト教がすでにセルフ教に堕して久しいが、あなたは誰の道を歩むだろうか。My Way? or His Way? 神の真理を拒絶する者にとっては大いなる混乱と悲惨に見舞われるであろう。憐れみを受け、共に「153の祝福」に与ることができれば幸いである。これは立方体(=至聖所)に留まることでもある。

God Bless!

References   [ + ]

1. 最初の時(Luke 5:6)は破れかけたことに注意。主の十字架による死と復活を経た後は網は破れることないのだ。
2. 占星術によると支配星座も魚座。その後、水瓶座に変わり、ニューエイジャーによるとキリストの時代は終わりを告げ、ニューエイジが始まるとするわけ。⇒詳細

訂正

主の栄光と主ご自身を求める

高校の時、数学は10段階で3でしたし、殆ど0点に近かったのですが
ルクさんの説明は非常に面白いです

>「愛」は切り分けられる必要がある。人間的な魂の愛は必ず発酵し、腐敗し、酸くなるのだ。

これにも激しく同意します
義理人情の愛はうんざりです

切り分けられ、セルフが粉砕された後に残る御霊から来る愛には死臭はしません
芳しい香りがします

「ありのままの自分は愛されてる、あなたは愛される為に生まれた」
これを売り文句にしてる宗教には命なんかないですね
自己を後生大事にし、肉を助長させてるだけですね
「主の栄光と主ご自身の求める」のとは、全く別物のフェイク、、、

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