Dr.Lukeの一言映画評-『メッセージ』

うーん、単なるSFかと思っていたが、かなり深い。「われわれの思考は言語によって左右される」とか、「われわれはリニアな時間に生きているが、ノンリニアな世界がある」とか。

エイリアンの文字が表意文字であり、時制がなく、しかも墨絵、特に禅書のようなものなのだ。いや、明らかに禅を意識している。それは善と悪、あるいは楽と苦、生と死といった二元的世界を超える経験。道元は「前後ありと言えども(=時間はあるが)、前後裁断す」と言い切った。それは永遠の今。時空間を超える経験なのだ(クリスチャンと禅者の類似と相違はこちらを)。結局、この女性言語学者は未来の記憶をも一瞬ですべてを見てしまうのだ。

いや、これは面白い。私たちは霊的真理を考えるときも、聖書を読むときもいつのまにか日本語のマトリックスにハマったままだ。だからニッポンキ業界ができる。これは別にニッポンに限らないのだが。聖霊は霊の言葉をもって霊的真理を一瞬にして教えて下さる(2Cor 2)。それはリニアな論理の連鎖にはよらない。ノンリニアな世界。霊の事は霊の言葉によって解釈する。ここに五感の言葉を持ち込むからややこしい「ナントカ神学」だの「カントカ主義」が生み出される。それはオツムの分泌物に過ぎない。

私たちは聖霊により見せられるとき、時空間や論理・理屈を超える。一瞬にして永遠の世界を見るのだ。つまり私の人生はこれから努力や信仰に励んで作るものではない。それはすでに完成している。終わっている。「素晴らしい人生を作ろう」などという考えがすでにマトリックス。まことに十字架は創世の時にすでに存在しており、神のわざもすでに終わっていたのだから(Rev 13:8;Heb 4:3)。

まあ、ジーザスもエイリアン。私たちもエイリアンだからね♪ (この表現もオツムの固い人たちには・・・だが

追記:映画のポイントカードをポケットに入れていたのだが、なぜか、あ、自分、これ落とすな、と分かったのだ。で、映画館を出るとやはりない。そう、マインドに去来した想念は実現するのだ。で、電話で確認すると落とし物に届いていると。いや、これも分かっていた。必ずそこにあると。面白いです。しばしば、人の事も自分の事もこうやって分かるのですね。

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