われわれの真のアイデンティティーはネオ・ホモサピエンス

私たちは単に「罪許された罪人」ではない!そう信じている人は延々と罪責感と敗北感でのたうち回るだろう。これがニッポンキリスト教の実情。その葛藤から解放されるために、礼拝出席厳守とか奉仕や伝道に邁進し、あるいは献身とか御言葉の追求とか、祈りとかデボーションとか・・・果てしなく自分のワザによって安心感を得ようとする。それがキリスト教なる宗教だ。それはそれでご自由にだが、聖書は何といっているか?

今やキリスト・イエスにある者は新創造である。-2Cor 5:17

神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。-2Cor 5:21

新創造とは文字通り、新生命体New CreatureNew RaceNeo-Homosapience[1] … Continue reading十字架は新しい人類を創造した場である。はあ~?自分のどこが新しいって???と感じる人は五感の人、つまり肉の人。それは五感を超えた世界のリアリティー、サブスタンス。しかももっとすごいことを聖書は語っている。私たちは信仰により義とされた(Rom 3:22)。義とはキリスト(1Cor 1:30)。いわゆる義認の教理だ。が、それにとどまっていない。私たちのアイデンティティーそのものが義、しかも神の義なのだ!これはスーパーナチュラルな事実だ。

神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。-2Cor 5:21

Are you with me? 私たちはキリストにあって神の義とされている!繰り返すが、神の義、だ!わたしが神の義である!キリストは今やいのちを与える霊として物理的に束縛されていない(1Cor 15:45)。すなわちキリストの領域においてとは、もちろん霊の領域。私たちは霊の領域と物理的領域の狭間に置かれている。だからイエスという門、ポータルを通して、出たり・入ったりするのだ!(John 10:9) 繰り返すが、出たり入ったりする!何処と何処を?See?

自分がどうのこうのを延々と繰り返す人々は、自分のアイデンティティーを知らない。五感の領域であれこれやりくりするのみで、真の自分を見出していない。何度も繰り返しているが、アイデンティティー、ポジション、アビリティ、そしてインヘリタンスに覚醒すること!それはフェイスの覚醒。メッセでも語ったが、信じる者は人ではないのだ。

相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。-1Cor 3:3

原文には「ただの」はない。邦語訳はこういう勝手な解釈を入れるゆえに、日本語の世界で考えてニッポンキリスト教が生まれることは何度も指摘している。肉の人とは、すわなち、人として歩むことだ。はあ?人として歩む、当たり前でしょう、私は人ですから・・・という人はご自由にだ。が、私たちは人、すなわちホモサピエンスではない!ネオ・ホモサピエンス。新種なのだ。ここは神学の問題でもなく、むしろ生命現象の問題。キリスト教なる宗教から解かれよ!そして覚醒せよ!

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1 Dr.Lukeはキリスト教信仰を逸脱してると言われるむきがあるが、これらの単語は立派な御言葉である。コロサイ3:10にある「新しい人」は"neos"。これは質的に新しいの意味。ちなみにエペソ2:15;4:24の「新しい」は"kainos"、これは時間的に新しいの意味。

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