「引き寄せの法則」の聖書的意味

これ、ニューエイジの用語。しかし真理である。私たちの置かれているリアリティーはしばしば自分のマインドが作り出したものだ。自分はこんな努力しているのに、なんでいつもこんな目に遭うのか、あるいは貧困から這い上がれない・・・。逆に、宝くじの高額当選を何度も経験する人もいる。彼らは別に功徳を積んでいるわけでもないし、努力しているわけでもない。カネが勝手に追いかけてくるのだ。それはあなたのサブコンシャスが招いている。

ウツの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。七人の息子と三人の娘を持ち、羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭の財産があり、使用人も非常に多かった。彼は東の国一番の富豪であった。 ・・・この宴会が一巡りするごとに、ヨブは息子たちを呼び寄せて聖別し、朝早くから彼らの数に相当するいけにえをささげた。「息子たちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにした。ーヨブ記1:1-5

ヨブはまことに引き寄せの法則を実証した。前にも書いたが、神が彼を試みるためにあの災難に落としたのではない。あるいは罪を裁くためとか、彼の人格を練り上げるためとか・・・。そういった宗教的なマインド自体が、実は、ヨブの災難を招き寄せるのだ。神は彼をあらゆる面で富ませていた。ところがヨブの側にすでにフェイスの穴が開いていたのだ。神はサタンを制限して、むしろ彼を守ったのだ。なぜ神はヨブの災難を許したのか、と人はよく問う。それは神の問題ではない。GOD IS ALWAYS GOOD! ヨブが信じた通りになったのだ。

わたしの恐れるものが、わたしに臨み、わたしの恐れおののくものが、わが身に及ぶ。-Job 3:25

ある方の子供さんが深刻な病にあったのだが、ご本人が言うに、すでに数年前にその子を失うかもしれないと不安を覚えていたが、自分はその子を主に捧げていたと。ヨブとまったく同じだ。根底にあるのはフェイスではなく、恐れだ。スタートが恐れなのだ。それは、実は主に対する捧げ物ではない。しかもそれを書いてしまっている。病状とか状況を事細かに書いてしまっている。恐れやその事態を定着してしまうだけだ。語り出された言葉にはそのとおりの事態を生むパワーがある。アブラハムがヨセフを失ったと思った時のことばを引いているのだが、御言葉を完全に誤解しておられる。その事態は神の御心であるかのようなニュアンスであるが、これはトリック。これではフェイスを使いようもない。

あなたが宣告することは成就し/歩む道には光が輝くことだろう。ーヨブ記22:28

繰り返すが、フェイスは条件ではない。フェイスは願うことサブスタンス実体(Heb 11:1)。つまり癒しそのものなのだ。その方の文章からはすでに失うことを既定路線としてしまっている。まことに引き寄せの法則のトラップにはまっておられるのだが、本人は多分気がついていない。私の知り合いが何気にアドバイスしたところ、拒絶されてしまったと言っていた。この業界では名のある人だからプライドもあるだろう。完全にマインドが作り出したマトリックスの世界に幽閉されているのだ。これでは聖霊も働く余地がなくなる。

恐れ=FEARとはFalse Expectation Appears Realだ。フェイスと恐れは互いに背反する。だからイエスは口を酸っぱくして繰り返し「恐れるな!」と言った。恐れる者には愛が全うされていない、恐れには懲罰が伴うとヨハネも言っている。(1John 4:18)。まことにモンテーニュの証しするとおりである。