マインドセットの書き換え-霊的DNAの発現-
私たちの真のフェイスは何気に発する言葉に現れる。意識して御言葉を語るときは、しばしば自分の血肉とされたフェイスではないことが多い。が、それでもなお、意識的に、気分に反しても、理解はできなくとも、御言葉をdecree(宣言)する必要がある。
対して、自分が本当に信じていることは意志の力も力みも不要だ。ほぼ無意識に自然と語り出している。自分が信じていること(サブスタンス)がマインドにおいて形となり、明確に言語化されているからだ。
ある新米の医師がバイトの当直をしていた。そこに交通事故の悲惨な状態の急患が搬送されてきた。その状態を見て血の気の引いた彼は思わず叫んだ、「だれかぁ、医者を呼んでくれ~」と。彼はその病院にはおれなくなった。彼は自分のアイデンティティーを確立できていなかったのだ。
笑い話と聞こえるが、これが実はクリスチャンの実態でもある。サタンを恐れ、悪霊に狙われていると戦々恐々とし、ガンになるともうダメだ、失業して人生は終わった、いじめられてひたすら耐え忍ぶ、貧困に甘んじる、blablabla。自分は何者か、この医師と同様に忘れている。
結局のところ問題はどこにあるのか。マインドセットの組み立て方にある。私たちは絶えず自分のマインドセットをチェックする必要があるのだ。特に自分にとって当たり前のことが罠になる。他者から指摘されたとき、自己弁護したくなるとき、それは要塞となっているのだ。そこに自分のアイデンティティーとプライドが置かれているから。即、捨てることができれば幸いだ。
すると御霊と御言葉によるマインドセットの組み換えが起きる(Rom 12:2)。それはあたかも遺伝子の組み換えのようなもの。遺伝子の組み換えが起きれば、その発現が変化し、形態も機能も変化する。先に形態や機能を変化させようとしても無理。それがクルシチャンの「きよく・ただしく・まずしく・うつくしく」生きようとする様。
マインドセットのDNAを変えること。あとは何らの努力も、頑張りも必要なく、自然と進行する。あくまで偽りを守るのであれば[1]ニッポンキリスト教の「牧師先生」(教職制度)などはその典型。この業界では伝統や習慣が御言葉よりも優先されるのだ。、いずれフェイスは破船する(1Tim 1:19)。まことにマインドのトランスフォーメーション(メタモルフォーシス)こそがフェイスを全うするための鍵である(Rom 12:1-2)。
アイデンティティー、ポジション、アビリティー、インヘリタンスに覚醒せよ!
References
↑1 | ニッポンキリスト教の「牧師先生」(教職制度)などはその典型。この業界では伝統や習慣が御言葉よりも優先されるのだ。 |
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