それ天下に忌諱多くして、民弥々貧し-神の国は無為自然に超自然-

この警鐘、真に現代ニッポン(とその合わせ鏡のニッポンキ業界)に対するものだ:

【全文】正を以って国を治め、奇を以って兵を用い、無事を以って天下を取る。吾れ何を以ってその然るを知るや。これを以ってなり。それ天下に忌諱(きき)多くして、民弥々(いよいよ)貧し。民に利器多くして、国家滋々(ますます)昏(みだ)る。民に知恵多くして、邪事(じゃじ)滋々起こる。法令滋々彰(あき)らかにして、盗賊多く有り。故に聖人は云う、我れ無為にして民自ら化す。我れ静を好みて民自ら正し。我れ無事にして民自ら富む。我れ無欲にして民自ら樸(ぼく)なりと。

【意訳】正しさで国を治め、奇策で戦いというが、何もしないで天下を取る。なぜそう思うのか。規制ができるほどに国民は貧しくなる。オツムのいいヤツが増えると国は乱れ、民がなまじ知恵を得ると邪悪な事件が頻繁に起きる。法律が増えれば盗賊も増える。だから無為自然であれば、民は自ずと自分を正し、豊かになるもの。私欲がなければ、民はみな素朴に人生を楽しむのだ。

これね、霊的にも同じ。日本民族総福音化決起大会とか激を飛ばし、教会成長セミナーとか、霊的形成のノウハウとか、あれこれ・・・。これらニッポンキ業界に溢れる本が増えるほど、実態は、クリスチャンは貧しく、堅苦しく、作為的になり、霊的に窒息しているわけ。オツムのよろしいセンセイたちが増えるほど、彼らがノウハウを語るほどに、この業界は絶滅危惧種と化す。人間的なことは何もするな!極私的に言えば、無為自然に超自然たれ!主も言われるであろう:

神の国の種は夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに人手によらず成長し、人はどうしてかわからないのだ、と(Mark 4:26-29)。

まことに老子の言う道(タオ)とはジーザスのこと。ジーザスは御父にすべてを任せ、無為自然に超自然を生きていたのだ。

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