神の国はNOW&HERE

地上では「きよく・まずしく・ただしい」生活を送り、死んだら天国に行ける。これがいわゆるキリスト教。ある姉妹が言われた、死ぬまで何をしてればよいの?伝道、奉仕、献金、デボーション、ボランティア・・・・と。こうして果てしない行動へと駆り立てられる。

しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。-Matt 12:28

神の国はすでに来ている。旧約では律法とレビ系祭司制度により、影あるいは写しとして提示されるだけだったが(=旧約は絵本である)、イエスが来られたとき、天は裂かれ、メルキゼデク系の大祭司キリストが立たれ(☞祭司制と律法について)、この物理的時空間に神の国は現出した(Col 2:17;Heb 10:1)。今、私たちのうちにそれはある。グラフィックソフトのように、五感では感知できない透明なレイヤーとして、すぐ近くに、さらに私たちのうちにある。

カギは霊。われわれの霊は神の国への門、ポータルであり、そこから神の国のサブスタンスがこの物理的時空間に現されるのだ。つまり私たちはこの世に生きてはいるが、この世の者ではない(John 17:14)。われわれは新生命体であり、世の人とは致命的に異なる次元に生きているのだ。このアイデンティティーを明確に持たないと、いわゆる罪ゆるされた憐れな罪人に過ぎないとして、「まずしく・きよく・ただしく・うつくしく」という三浦綾子の世界に生きることになる。

われわれはサタンや悪霊を恐れる必要はない。病気を恐れる必要はない。問題や困難を恐れる必要はない。十字架における勝利に基づいて、それらに立ち向かうのだ(James 4:7;1Pet 5:9)。いじめられっ子はその立場を自ら受け入れ、それをアイデンティティーとしているのだ。彼らはいじめっ子に立ち向かう勇気を必要とする。いじめの被害を受け続けてその中で成長するなどの考え方は自己憐憫的倒錯だ。神の取り扱い、トランスフォーメーションは栄光の中にあってなされるのだ(2Cor 3:18)。われわれはスーパーナチュラルな次元に生きている存在なのだ1)よくヨブ記の例を引いて、神の取り扱いによりヨブは成長したとか、神はサタンにヨブを苦しめる許可を与えたではないかと言う向きがある。これはまったく違う。メッセでも語ったが、ヨブにはすでにサタンにつけ込まれるフェイスの穴があったのだ。蟻の一穴からダムは崩壊する。彼は自分の恐れていた事が起こったと証言している(Job 3:25)。だからサタンはヨブに対する正当性をもっていたのだ。フェイスによらないものはすべて罪だから。ゆえに神は許可を与えたのではなく、いのちだけは奪うなとサタンを制限したのだ。スピ系では「引き寄せの法則」とか言うが、ヨブは自ら恐れることによりあの禍を自ら引き寄せてしまったのだ。サタンにはすでに何らの権威もない。が、イエスの十字架と血潮の権威に頼らないとき、それは蟻の一穴となる。彼らに足場を与えてはならない。

神の国の到来は、すなわち、いのち統治を意味する。God’s Dominionをこの物理的時空間に確立すること。再建主義の富井氏もよく批判するが、いわゆるディスペンセイションでは神の国あるいは天の国はイエスの再臨によってもたらされるゆえ、現在の経綸では世はサタンの支配下にあるとする敗北主義に陥る。これは私も明確に拒絶する。神の国は、既にここにある!ゆえに何らの法的権利もないにも関わらず、この世を横奪しているサタンに対して、天の勝利のサブスタンスを突きつける必要があるのだ。お前には何らの権限もない、と。その事実はサタンの方がよく知っている。だからこういってやれば良い。お前が知っているとおり、お前は敗北し、すべてを剥奪されてさらし者とされている、と(Col 2:15)。

GOD’S KINGDOM IS HERE AND NOW!

この霊的サブスタンス、実体を、今、ここで、われわれが立証(現出させ)すること。これがフェイス(Heb 11:1)。病気を受け入れ、いじめを容認し、困難や問題に甘んじ、自己憐憫に陥り、運命に翻弄され、人間関係に弄ばれ・・・、このような敗北主義を拒絶せよ。それらに向かって命じるのだ(Mark 11:23)。われわれはmore than conqueror、勝利者以上の者なのだ(Rom 8:37)。結局、それぞれが自分のアイデンティティーをどのように確立しているか、これがそれぞれの考え方や生き方に現れる。あなたは、わたしは、誰の国のオーラを醸しているだろうか?あなたは、わたしは一体何者か?終わりの時代、このアイデンティティーを明確に持たないと容易に欺かれ、ふるい落とされてしまうであろう。

References   [ + ]

1. よくヨブ記の例を引いて、神の取り扱いによりヨブは成長したとか、神はサタンにヨブを苦しめる許可を与えたではないかと言う向きがある。これはまったく違う。メッセでも語ったが、ヨブにはすでにサタンにつけ込まれるフェイスの穴があったのだ。蟻の一穴からダムは崩壊する。彼は自分の恐れていた事が起こったと証言している(Job 3:25)。だからサタンはヨブに対する正当性をもっていたのだ。フェイスによらないものはすべて罪だから。ゆえに神は許可を与えたのではなく、いのちだけは奪うなとサタンを制限したのだ。スピ系では「引き寄せの法則」とか言うが、ヨブは自ら恐れることによりあの禍を自ら引き寄せてしまったのだ。サタンにはすでに何らの権威もない。が、イエスの十字架と血潮の権威に頼らないとき、それは蟻の一穴となる。彼らに足場を与えてはならない。

「敗北主義に陥る」の意味が分かりません。サタンを恐れているキリスト者がいるとしたら、キリスト者とは言えません。例えば私の知っている会堂では、説教の前に「サタンを縛る、暗闇の勢力よ出ていけ」と言ってから説教を始めます。サタンに打ち勝っていることを知っているから、言えるのですが、サタンの邪魔をひしひしと感じているのです。又思いの中に悪い思いが来ると、サタンよ出て行けと言います。私は言わなくてもサタンは縛られているよと言いたいのですが。

お世話になっております。私の理解不足かもしれませんが。「現在の経綸では世はサタンの支配下にあるとする敗北主義に陥る」は未信者に対してなら分かりますが、キリスト者が世はサタンの支配下にあると思っている人はまずいないと思います。コロサイ2:15は信者の特権ですね