四つの封印はすでに解かれている

ついにトランプがエルサレムをイスラエルの首都と認めた。これはモスレムをかなり刺激する。まことにゼカリヤ書にあるとおりの展開になりつつある。

託宣。イスラエルに対する主の言葉。天を広げ、地の基を置き、人の霊をその内に造られる主は言われる。見よ、わたしはエルサレムを、周囲のすべての民を酔わせる杯とする。エルサレムと同様、ユダにも包囲の陣が敷かれる。その日、わたしはエルサレムをあらゆる民にとって重い石とする。それを持ち上げようとする者は皆、深い傷を負う。地のあらゆる国々が集まり、エルサレムに立ち向かう。-Zech 12:1-3

さて、既に何度も書いているが、私はチャック・スミス系のいわゆる前艱難携挙説は採らない。彼らの一部には2015年9月23日、ヨムキプールに携挙があるとする者もいたが、それはないとかねてより言ってきた。前艱難説はあまりにも都合が良すぎるのだ。私のパラダイムは、これも何度も紹介しているが次のとおり。要するに携挙はかなり後半である。

ただし、SDAによるとこのダニエル預言の最後の1週(7年)を切り離すことは間違いとする。彼らはすでにイエスの公生涯(3.5年)と十字架からステパノの殉教まで(3.5年)で成就しているとする。9章27節(Dan 9:27)の1週の間多くの者と同盟を結ぶ「彼」とはイエスであるとする。そして1260日(ひと時とふた時と半時、Dan 7:25)を1260年とし、ローマ帝国の後にカトが権力を執ったAD538年から、ナポレオンによってピウス6世が囚われた1798年までとしている。そして1929年、バチカンはムッソリーニにより国家として認知された。これが頭に致命傷を負って、なお復活する獣である。数字の解釈はいろいろと面白いので、また改めて。

さて、ポイントは、いわゆる前艱難期携挙説では、白い馬に乗る反キリスト(666)が現れる前に教会はその前に空中に挙げられている[1] 彼らは黙示録4章1節(Rev 4:1)の「ここへ上れ」というラッパのような声が最後のラッパであり、上るとは携挙であるとする。。が、先にも紹介したが、私と同じ説、つまり4つの封印はすでに解かれているとする人々が最近現れてきた。特にこの色に注目するとき、それはまさしく中東のモスレムの色なのだ。彼らは今、クリスチャンの首を切り落としているが、第五の封印の殉教者たちの叫びがまさしく聞こえてくる。われわれはすでに第五の封印の開封直前に来ているのではなかろうか。次は大いなるみ怒りの日(Rev 6:17)の直前(第六の封印)。ディスペンセイションの立場では、最後の7年の前半は艱難期、これは人類の罪の刈り取り;後半は神の裁き、大艱難期。ゆえに霊的要因が強い現象が続く。前艱難期携挙説のように「教会が地上に残されているから、まだ大丈夫だ」とは言えないのだ。時代は思いの他進んでいる!

これが最近の極私的な偽らざる印象である。

■参考:携挙の時期について

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1  彼らは黙示録4章1節(Rev 4:1)の「ここへ上れ」というラッパのような声が最後のラッパであり、上るとは携挙であるとする。

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