十字架とは究極の脱力だ-フェイスの法則に乗ること-

うーん、とにかく気持ちがイイ。最近25M潜水は簡単になり、さらに力を抜いて千メートルほど。その後、露天のジャグジーで。繰り返すが、とにかく気持ちがイイ。いつも思うのだ、なぜ泳げない人はおぼれるのだろう? ぼくには溺れる方が不思議。自然と浮いてしまうのだ。

フェイスも同じ。十字架は死と復活のサブスタンス。罪と死の法則からいのちの御霊の法則への転換(Rom 8:2-4)。重力の法則を浮力の法則が打ち破るのと同じ。それはサイエンスの世界だ。強迫神経症的に「自我を砕きぃ~」とか、「聖化、聖化っ」と叫ぶクルシチャンたちは力が入っており、もがく、すると逆に沈む。叫べば叫ぶほどドツボにはまる。

水と同じで、力を抜けば浮かぶ。その法則に乗るコツを得た人には、逆に沈むのが難しい。あえて沈めば25Mくらいは潜水できるが、それは不自然で苦しい。 死は究極の脱力。脱力すればあとは自動でいのちの御霊の法則が働く。死が働くとき脱力、それは安息。それはフワッと天へと引き上げてくれる。

十字架って、重荷でもないし、もがきでもないし、苦しさを我慢することでもないし、「自我を砕きぃ~」とかヒステリックに叫ぶことでもないし、ましてや病気や 貧困を耐え忍ぶことでもない。十字架はすべての病を癒し、われわれを豊かにしてくれる。しかもそれは軽い。なぜ? 究極の脱力だから。

ニッポンキリスト教のマトリックスから解かれよ。宗教の十字架を負わされるな! フェイスの法則は霊的サイエインス。脱力すること、こんな安楽な道はないのだ! 老子の言う無為自然の道、道元の心身脱落だ。問題は脱力して後、誰に、あるいは何の法に委ねるか、だ。もちろん・・・。

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