刺青などあえて御言葉に反する行為の結果は重大である

ニッポンキリスト教なる業界においてもあえて刺青を入れて自己アピールを図る者がいる。件のアーサー・ホーランドさまなど。刺青など大したことではない、本人は真剣に伝道しているではないか、と擁護する向きもあるが、はっきり言っておく。それは闇の霊の侵入の兆候。すでにアーサーも以前のような純粋な御言葉を語るというより、自分の人生観や仏教だの、東洋思想だのを前面に出したスタイルに落ちている1)意味不明なのは、ジーザスは魂のロッカーとかいうセリフ。はあ、われわれはジーザスに触れる時、霊を揺すぶられるのだが。。そしてオーラが暗い、というより、濁っている。

ちなみに彼の盟友松沢牧師についても懸念を書いたことがあるが、あのような末路を辿ってしまった。彼と同じオーラを感じるのだ。松沢牧師については友人がバイクミッションに関わっていた関係でずっとフォローしていたが、その病的表情からかなり深く病んでいることは分かっていた。案の定あの事件を起こした2)2006年12月、ラブホで女性を窓から投げ落として殺害、自身もパンツ一丁で落下して死亡、容疑者死亡のまま書類送検された事件。彼は若い頃覚せい剤をやっており、更生して(と言われていた)牧師になり90年代にはアーサーや小坂忠と共に脚光を浴びていた。聞くところでは3人は酒に自分の血を注ぎ、回し飲みして兄弟仁義を交わしたとか。これも御言葉に明確に反する行為である。

10年ほど前に私は、アーサーは果たしてどのように自分の人生の締めくくりをするのだろうかと書いたことがある。その後、再度御茶ノ水駅で疲れた顔をした彼にも遭遇したが、すごろくで言えば、彼の「上がり」に対して、極私的にはきわめて危ういものを感じている。アメリカ十字架横断を終えたら、今度は台湾だそうだが、すでにタコの糸が切れている感がある。まあ、彼には意見する者もいないであろうし、また意見しても彼は耳を貸そうとはしないであろう。オレはオレの道を行くぜ、ベイビー。それは実に哀しい状態、マイワールドを彷徨う状態だから。

律法は生きているのだ。それは聖なるもの、神の聖の基準を明文化したものであり、それは天地が過ぎるとも一点一画たりとも滅びない(Matt 5:17-18)。ただ、律法は人を救えない、いのちを与えないからだ(Gal 3:21)。しかもそれはアブラハムに対する約束、すなわちキリストの地上への介入後、430年経って付加的に与えられたものであり(Gal 3:17-19)、それはキリストが現れるまでの養育係なのだ(Gal 3:24)。

ゆえに、それはキリストが現れた今、レビ系祭司制度からメルキゼデク祭司制度に変わり(Heb 7:11-12)、その役割をすでに終えたが、消滅したわけではない。代わって、いのちの御霊の法則が導入され(Rom 8:1-2)、その法則に従うとき、われわれは石の律法をも満たすのである(Rom 8:4)。キリストの復活のいのちによってはじめて律法は成し得ることができ、ゆえに御霊は決して律法に反する導きはなさらない。

死者を悼んで身を傷つけたり、入れ墨をしてはならない。わたしは主である。-Lev 19:28

はっきりという、御言葉を知りつつあえてこの反することを行うことは聖霊に反するのだ。それは闇の敵の霊の侵入を許すことを意味する。自ら敵を招き入れることになるのだ。必ず体・魂・霊のいずれかの領域を侵食されるであろう。なぜ? 神の霊に反すること、それはすなわちアンチ・キリスト=反アノインティング(油塗り)であり、うちなるキリストの油の教えに意図的に背くことだからだ。それは赦されない罪である。

しかし、いつもあなたがたの内には、御子からいただいた塗り油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。-1John 2:27

反キリストとは特定の個人だけを言うのではない。この油塗りに反することを意図的に行う者はみな反キリストである。その代償は大きいものとなる。小さな兆候はきわめて重大な結果を生む。律法に抵触することを知っていながらあえて行うならば、自らにサタンの侵入を自ら許可するのである。これは同性愛問題なども同じである。

追記:刺青はタロットカードやオイジャボードと同じ程度の霊的危険性がある事をあえて指摘しておく。これらのものに関わるならば、そのうち「声」を聴くようになる。いずれ言動においてもその兆候が現れるであろう。

■参考:

References   [ + ]

1. 意味不明なのは、ジーザスは魂のロッカーとかいうセリフ。はあ、われわれはジーザスに触れる時、霊を揺すぶられるのだが。
2. 2006年12月、ラブホで女性を窓から投げ落として殺害、自身もパンツ一丁で落下して死亡、容疑者死亡のまま書類送検された事件。彼は若い頃覚せい剤をやっており、更生して(と言われていた)牧師になり90年代にはアーサーや小坂忠と共に脚光を浴びていた。聞くところでは3人は酒に自分の血を注ぎ、回し飲みして兄弟仁義を交わしたとか。これも御言葉に明確に反する行為である。