意味の共有の病理-西城秀樹の死に思うこと-

元気印の西城秀樹が心不全で逝った。二度の脳梗塞で体はボロボロ。あの無意味な元気さと対照的な状態にある種の哀れさも感じた。彼とは同世代。あのYMCAなど青春を共有していた感が強いので、ちょっと喪失感を覚えている。70-80年代にはこういった大衆が一様に共有し得るヒット曲があった。時代を象徴する曲と言うか。90年代に入ってからは安室や宇多田などのプロ的な曲が増えて、われわれは歌えない。共有感が持てないのだ。かくして大衆歌謡曲番組は消えた。

そのような状況で、覚えている方もいるかもだが、90年代後半に「パナウエーブ研究所」(最初ナショナル関係かと思いました・・・)なる白装束の集団がどこからともなく出現し、キャラバンでの共同生活を送りつつ、あちこちを放浪していた。自分達のキャンプの中と周囲を白い布で覆い隠し、スカラー波による電磁波攻撃から身を守るのだ。宗教が背景にあるようで、彼らの教祖は昔はかなりの美女で、ミカエル大王だそうだ[1]その後、彼女はガンに罹り死亡した模様だ、この団体も話題には上らなくなった。。またぞろ、オウム集団の再来かと、一時は世の中の神経がピリピリとなったものだ。

さてここで問題となるのは、意味とその共有の問題だ。彼らの行動は彼らの住んでいるマトリックスに基づく理屈からすると何らかの立派な意味を持っているものであり、外部者である私たちからすると意味のないものとなる。ここで「意味の共有」の有無によってギャップが生じるわけ。人の関わりにおいて本質的なことは、何かを共有すること。人は何かを共有するゆえに関係を持ち得、またその関係の質と程度は、その共有する対象の性質と度合いによる。

カルトの結合力の基本的精神病理は投影による被迫害妄想であり、その教祖の精神病理をそのまま共有する形になっていることが多い。これはオウムなどのカルトなどの特徴的病理を呈しているが、これについては「ユダヤ人と日本人」などで論じていますのでここでは触れない。

またヨーロッパにおいてイスラム難民により社会が崩壊しつつあることもこの共有の病理そのものである。本来

神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。-Acts 17:26

とあるとおり、バベルの反逆以降、人類を分散統治体制においている。言語、文化、社会、国家をそれぞれ境を設けて、その中に保護しているのだ。これがリベラルの霊により壊されている。

最近の若者を見ていて感じることは、互いに共有し得るものがない、あるいは薄い、あるいは分断化されていることだ。例えば私より一周り上の団塊の世代は学生運動なるものに相当の労力をつぎ込んだ。社会を変革せんと世代としての何らかの価値観と意味の共有があった。私たち谷間の世代はこのような広い範囲における価値観の共有はない。共有するものが多様性を帯びて分断化し、またその程度も薄くなっている。これが私よりも下の世代になるとさらに進行している。

人間関係もそれに応じて分断化され、コンビニのように商品が脈略なく何でもありの状況と似ている。かつては○○屋さんという形で、商品もその内容に文脈化されたものが揃っていたのでその店の意味付け(アインデンティティ)も容易だった。コンビニにはそのような意味付けはない。田舎では血縁関係を中心とした土地ごとの共同体があり、その意味付けは容易。しかし私などはそのような意味付けの中に拘束されることを回避するため(要するにうっとおしいので)に東京に出てきたわけ。

東京のあり方はコンビニのように雑多な意味の共有のない分断化された薄い関係であり、これがとても気楽であると感じるのだ。しかし同時に自分の身の置き処を見出すことが困難になる(これを自我同一性拡散と呼ぶ)。一定の意味を共有できる共同体を見出すことが難しいからだ。会社などにおいてもかつてのような「わが社」的な一定の意味を共有し得なくなっている。たまたまその中で食い扶持を得ているに過ぎないわけ。

これからの社会はますますこの傾向を強めることだろう。インターネットの掲示板に人間関係のあたたかさを求めたり、あるいはその裏返しとしてリアルでは関係のない人々が心中したりする世の中が展開している。夜遅くまでコンビニで雑誌の立ち読みをしている若者や、店先でウンコ座りをしてタムロしている連中を見るときに(最近はこの人々もいなくなったかも・・・)、この意味の分断化された脈略のない世にあって、それは自らの身の置き所を失い、必死にどこかにそれを探そうとしている人々の象徴のように見える。

しかし、このような世のあり方に攻して必死に「意味」を見出し、「意味」を共有しつつ、共同体を形成しようと努めている人々が先の白装束の集団であり、オウムなどのカルト集団の人々なのだ。この世の裏を返してある価値観の体系をあえて作り出し、それに「意味」を持たせ、それを共有し、それに従って行動しているわけ。

この世の表のマトリックスが分断化されて意味のないものになればなるほど、裏返しマトリックスの「意味」は重みを増し、その共有の程度も深いものとなる。子供の頃、草むらに「秘密基地」を作ってそこに「意味」を見出して遊んだ私などは彼らの気持ちはよく分かる。それは自己存在の究極の意味をそこに見出そうとしている彼らの必死の努力であるからだ。まあ、クリスチャンの共同体なども世の人から見ればその類に見えるであろう。すでに現代では白装束の彼らを笑うことはできない。皆がその状態であると言えるのだ。ここに神から離れて本質的な存在の意味を喪失した人間の滑稽さと哀しさを感じるのだ。(2003.05.05初出を改編)

00votes
Article Rating

References

References
1 その後、彼女はガンに罹り死亡した模様だ、この団体も話題には上らなくなった。

是非フォローしてください

最新の情報をお伝えします

Subscribe
Notify of
guest

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

0 Comments
Inline Feedbacks
View all comments
Translate »
0
Would love your thoughts, please comment.x
()
x