邦語訳聖書マタイ5章3節の罠-あるブログ主のつぶやきから-

あるブログ主がこう書いておられる

「心の貧しい」のイメージが、イマイチつかめない。
・・・
精神的なこと…
心が貧しい…貧しい、ない、不足、カラッポ…。
心をカラにしてる人は、欲がない気がする。
その心のカラの状態で、祈り、聖書を読む、善行をして、幸せ…幸いなのかな..?心が平穏になるのかな。
心がカラな人は、心が平穏だから、幸い?
ちょっとこじつけっぽい。
難しい聖句だ…。マタイ5/3

この方は正直な人だ。ここを分かったフリをして三浦綾子文学みたいものがでっち上げられる(下の記事参照)。嗚呼、まことに邦語訳聖書は罪作りな誤訳を。このマタイの節は「霊の貧しい者は幸いだ」(Matt 5:3)であることは何度も指摘している。かくして脳内空転でグルグル回りするうちに時間だけが経つのだ。前にも触れたので繰り返さないが、関心のある方はこちらをどうぞ-

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