人生を楽しむカギ-多様な物差しを持つこと

ニッポンキリスト教と関わって一番不思議だったことは、日曜礼拝なるもの。何でも午前10時からのが正式とか言われるむきもあるそうだ。あの式次第があって、「使徒信条」告白から始まって、奏楽と賛美歌(聖歌)何番、立ったり座ったり、祈りも当番があって、決まりきったセリフで、頌栄とか交読とかやって、献金袋が回ってきて、最後に牧師の祝祷とかで、アーメンと。ああ、ようやくお務めオワリと

私も一応祝祷のセリフは覚えさせられて、やったこともありますが、正直、なんじゃコレと・・・。私のメッセを聞かれる方がよく言われることは、ユニークだとか、型破りだとか、独特だとか、個性的だとか・・・。規格化された世界から見るとそう見えるのでしょう。このニッポンキ業界、「かみっさまわ~」というあのイントネーションまでもみな金太郎飴だからね。臭いはその部屋にいる人には分からないが、外部者にはすぐわかる。家庭の臭いなども。

ニッポンが戦後、ここまで来られたのは工業製品の規格化によることは事実。私がドク論の指導を受けた増山元三郎先生[1] … Continue readingはフィッシャーのお弟子さんで、ニッポンの統計学の父だが、まさに品質管理を導入された方。が、その先生が『コンピューターの部品になりたくない学生諸君へ』(みすず書房)という本を書いているのだ! 社会システムに組み込まれて1枚の歯車として生きるなんて、食うためにただ時間と労力をカネと交換しているだけでしょう。要するに自分という存在を売っているわけ。終わり時代のバビロンシステムの中では人の魂が商品とされるのだ。

その商品とは、金、銀、宝石・・・家畜、羊、馬、馬車、奴隷、人の魂である。-Rev 18:12-13

今のニッポンは小泉・竹中の新自由主義により派遣労働が合法化され、ブラック労働が当たり前になっている。新しい働き方がどうのこうのと論議されているが、どうみてもよくなることはないであろう。人が経済により恩恵を受けるのではなく、逆に経済のマトリックスにはめ込まれるのだ。人は食うために自らを売りわたす。ドナドナ現象である。

対して主は言われた―

だから何を食べ、何を着ようかと、自分の体のことで思い煩うな。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。天の父がよくしてくださらないことがあろうか。

誰のシステムにおいて生きるのか。これは選択の問題、つまりフェイスを使うことである。魂を売るのもバビロン経済システムに対するフェイスの結果。それを自分の生存を担保してくれる対象と信じたからである。対して御言葉に自分を委ねること。これももちろんフェイス。これこそが自分の生存を確実に担保してくれると知れば、あらゆる恐れ・不安から解かれる。

かくして御言葉をカナメとして、いろいろな物差しを持つこと―これ、人生を楽しむコツである。

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1 増山先生は実に博学多彩、東大物理の出身だが、あらゆる分野に通じ、英語、フランス語、ロシア語に堪能で、論文も3か国語で書かれた。その本の中でいわゆるアシュケナジー・ユダヤ人についても触れておられる。つまりハザール人説だ。宇野正美氏が紹介した第13氏族説は別に新しいことではない。ただ、アシュケナジー(偽ユダヤ人)とスファラディ(本物)って二分することはできなでいあろう。まさに神のみぞ知る。今のイスラエルがロスチャの陰謀で生まれて、聖書預言の成就ではないとするクリたちもいるが、極私的にはあの地は神(YHWHエロヒム)の地であり、あの国にはアブラハムの子孫が守られていると信じている次第。アイ・ブレス・ジェルサレム!

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