黙示録の成立時期はいつ?-プレ・ミレとポスト・ミレの分岐点

再建主義の富井氏が次のような論を立てておられる。この論点はすでに2012年に取り扱っているのだが、とても大切な点なので再掲しておこう。今回中国が獣の刻印がないと物の売買もできないシステムを導入しようとしているが、富井氏これを黙示録の成就ではないとする。

コンピュータによる国民一元管理システムは成功しないだろう

4.

神に敵対すると、精神を狂わされて、まともな判断力を失う。

そのため、自分でいいと思っていることで、自分を破壊するようになる。

黙示録13章はすでにローマ時代に終わったのである。

次の箇所にこのように記されている。

ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。(黙示録13・18)

「ネロ・カエサル」をヘブル語綴りにして、ヘブル文字に割り当てられている数字を一つ一つの文字に当てはめ、合計すると666になる。

写本によっては616のものもあるが、ラテン文字に割り当てて合計すると、616になる。

つまり、黙示録のこの箇所はネロ帝について言っているのである。

それゆえ「これから666が登場して、売買をコントロールする」と解釈してはならない。

しかも、「ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。」と命令されているのは、紀元1世紀の7つの教会のクリスチャンたちである。

なぜならば、黙示録は、小アジア半島にあった教会のクリスチャンに向けてかかれた手紙だからである。

ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、後に来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。(黙示録1・4-5)

彼らが「数えなさい」と言われて数えることができない、二千年後の人物ではないことは明らかである。

ネロ帝と解釈すると、以降の箇所が矛盾なく説明できる。

17:10ー11において、ローマ帝国の「7人の王」は、ヨハネが黙示録を記した時(紀元64ー67年頃)に五人はすでに死んでおり、一人は今治めており、もう一人が後に登場するはずであるとされ、この七番目の王は「しばらくの間(つまり、短い間)とどまるはず」だと記されている。

カエサルと呼ばれたローマの7人の王を順番に挙げていくとこの聖書の記述とピタリと当てはまる。

1.ユリウス・カエサル(紀元前49ー44年)
2.アウグストゥス・カエサル(紀元前31ー紀元14年)
3.テベリウス・カエサル(紀元14ー37年)
4.ガイウス・カエサル(カリギュラ)(紀元37ー41年)
5.クラウディウス・カエサル(紀元41ー54年)
6.ネロ・カエサル(紀元54ー68年)

七番目の皇帝ガルバ・カエサルの在位期間は紀元68年6月から69年1月15日までのたった7カ月だった。

タルムードユダヤ教は、世界政府建設のために、クリスチャンに嘘を吹き込んだ。

そして、黙示録13章が未来に成就すると信じ込ませた。

5.

習近平のシステムを「黙示録13章の成就だ」と考えてはならない。

このシステムは、もしかすると、イルミナティが習近平にやらせていることかもしれない。

イルミナティが今後、全世界に適用するために、中国をモデルケースとして選んだのかもしれない。

しかし、神は、バベルの塔を崩壊されるので、このようなシステムをも破壊されるだろう。

それが自滅しかもたらさないことを悟った人々を用いて潰されるだろう。

コンピュータによる国民一元管理システムは成功しないだろう。

再建主義はポストミレの立場なので、黙示録19章まではAD70年のローマによるエルサレム陥落までに成就しているとする。つまり黙示録はAD70年以前に書かれている必要があるのだ。

また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。
ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。-Rev 13:17-18

あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらずやがて現われるのを見て驚きます。
ここに知恵の心があります。七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七人の王たちのことです。
五人はすでに倒れたが、ひとりは今おり、ほかのひとりは、まだ来ていません。しかし彼が来れば、しばらくの間とどまるはずです。
また、昔いたが今はいない獣について言えば、彼は八番目でもありますが、先の七人のうちのひとりです。そして彼はついには滅びます。-Rev 17:8-11

確かにネロのゲマトリアは666となる。これを根拠に再建主義の富井氏は、黙示録執筆がネロの時代、すなわちAD65年あたりとされている。つまりこの引用にあるとおり、七人の王をユリウス・カイザル、アウグストス・カイザル、ティベイリス・カイザル、ガイウス・カイザル(akaカリギュラ)、クラウディウス・カイザル、ネロ・カイザル、そしてガルバ・カイザルと同定する。つまり「倒れた」5人はクラウディウス・カイザルまで、「今いる」のはネロだとするわけ。ここで主イエスは最初の再臨をされ、それ以降は千年期に入ったと[1] … Continue reading

しかしながら、よく御言葉を読んでみると、5人はすでに「倒れた」とある。Vincentはこう言っている:

Are fallen (επεσαν)
Lit., fell. Constantly used in the Septuagint of the violent fall or overthrow of kings or kingdoms. See Eze_29:5; Eze_30:6; Isa_21:9;・・・

この意味は暴力的に座を追われるか殺されることだ。ところがアウグストス・カイザルはその意味では「倒れて」いない、すなわち彼は寿命をまっとうした自然死なのだ。よってこの5人には該当しない。すなわち「すでに倒れた5人」とは彼を除いてネロまでの5人となる。彼らはいずれも暗殺か追いつめられての自殺で最期をとげている。すなわち「倒れた」のだ。これで黙示録執筆はネロ後となるわけだ。普通、エイレナイオスの証言や小アジアにおける迫害の言及などから(ネロの迫害はローマ周辺のみ)、ドミティアヌスの時代(AD95)とされている。これが「今いる」王となる。他にもヨハネがパトモス島に流された時期もポイントになる[2]高等批評家が言うように、黙示録がヨハネによらないとするならば話は別だが・・・

しかもヨハネが黙示録を執筆した時点でその獣は「昔いたが、今はいません」。やがて「底知れぬ所(アビス)から上って」くるのだ。これは物理的な王と言うよりは霊的な存在を示す。”WAS, IS, WILL COME”はまさに主イエスのあり様であり、この獣は主イエスのイミテーションをする。アビスから上る存在と言えば、これは666(=ネロ)の霊であろう。七番目の王はやがてきて、しばしとどまる。これがいわゆる反キリスト。彼はダニエルの70週の預言の最後の7年を統治するが、彼は致命傷を受けて、復活する。すなわち、同時に「8番目(8は復活の数字)の王」となるが、最初の7人の王のひとりでもある。彼はアビスから上ってくる666であるネロの霊を受けているのだ。そしてついにキリストの再臨により滅ぼされる[3] … Continue reading

ここでサタンはきわめてややこしいトリックを弄していることが分かる。しかし本質は偽り者。所詮は神のイミテーション。「昔いまし、今いまし、やがて来られる方」、8の数字で象徴される「死んで復活された方」を真似することしかできないのだ。

まとめると-「今いる王がネロ」とすれば黙示録の成立がAD65年あたりとなり、再建主義(ポスト・ミレ)の勝ち、「すでに倒れた5人のひとりがネロ」とすればAD95年あたりとなり、富井氏の言われるサタン的カルトであるディスペンセイション主義(プレ・ミレ)の勝ち。彼と私は「ネロ=666」を共に認めるが、「倒れた5人」をどう同定するか。アビスから来る7番目でもあり、8番目でもあるあの者を誰とするか。これがカギなのだ。なかなかエキサイティングな謎解きではないだろうか? ここを訪ねて下さる読者諸賢におかれては、さて、どう解しますかな?[4] … Continue reading

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1 その後、富井氏は、再臨も新天新地も二つある、と主張している。うーん、だんだん・・・。また後ほど触れてみよう。再建主義の本質的誤りは、善悪を知る木の平面といのちの木の平面の区別がないこと。これは祭司制と律法の変更ともきわめて密接に関わるのだ。すでに何度も指摘したように、<モーセの律法→超民族化された律法>ではなく、<モーセの律法→いのちの御霊の法則>への転換が十字架で起こったのだ。そもそも千年期王国には今の血肉の体では入れないのだ。
2 高等批評家が言うように、黙示録がヨハネによらないとするならば話は別だが・・・
3 ただし、この解釈はひとつの説であり、ダニエル書で「獣」は国を示すから、この七つの獣も国を指すとする立場もある。が、主イエスご自身が「ダニエルの預言した荒らす憎むべき者が聖なる場所に立つ」と語っている通り、それは個人なのだ。
4 富井氏の主張は、ディスペンセイション的終末事象が起こると、すべからくイルミナティの陰謀としてしまう点が?である。911も311も、そして中国の今回の件も。だが、地震や火山の動き(地の徴)、さらに天体の新しい現象(天の徴)までもイルミナティによるとするのだろうか? ポスト・ミレはこのようにプレ・ミレ的事象を解釈処理しなくてはならないのだ。

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