スピリチュアル・ジャーニーは神との同意から始まる

私が最近強調しているニュー・クリーチャー、エロヒム属。アダムにある私たちはすでに終わり、キリストにある新創造とされた事実(2Cor 5:17;Gal 6:15)。これって、けっこう抵抗があるようだ。あるいはこの聖句を単なる文学的表現と思っているむきもかなりある。

いわく、自分のうちを見ると罪的なものや汚れているものばかり。それを無視して、新しい人類と言ってしまっていいのか? 私たちは罪ゆるされた単なる罪人にすぎない1)メッセでも指摘したが、こう言っておくことは保険なのだ。see?、だからへりくだって、自我が砕かれる必要があるし、もっと罪の告白やデボーションや修養により聖化される必要がある・・・。ところがそのような人はたいてい次から次へと問題を抱える。

大脳辺縁系の問題はもう繰り返さないが、真理は私が今現在どのような状態であるとかないとか、一切関係ない。神がキリストにあってそれをなされたゆえに私たちはすでに新創造、ピリオド。スピリチュアル・ジャーニー、すなわち神とともにスーパーナチュラルな歩みをするためには、まず神と同意する必要がある。問題を次々に抱える人は、実は真に神と同意してしないのだ。

ふたりの者が同意することなしに一緒に歩めるだろうか。-Amos 3:3

神は言われる、あなたはすでに聖であり完全である。新しい生命体であり、ニュークリーチャーであると。あなたはこれに同意するか?

サタンはすでに私たちに対して何らの権威も有していない。が、彼は私たちのマインドに接触できる(Eph 2:1-3;Col 2:20)。私たちのマインドに彼が語りかける偽りに同意するならば、彼のパワーが私たちに働くようになる。つまり自ら敵の権威の下に服することになるのだ。

かくして私たちが、何にあるいは誰に同意するか。これがマインドにおけるバトルの本質である。われわれのマインドは霊的戦闘の最前線。敵に同意しつつ勝利できるわけがない2)この意味でいわゆる歴史的キリスト教なる宗教体系における教職牧師制度や儀式・典礼・文化・神学などに同意することは、自らを偽りの中に幽閉することに他ならない。エレミヤ(Jer 16:14-15)はエクソダスは二回あることを預言している。世からのそれと、宗教からのそれである。。私たちはジーザスと言うポータル(門)を出入りするが(五感の領域と霊的領域を)、それはまずマインドを通してなのだ。マインドに何を通過させるか、認知の透過性の問題こそがスピリチュアル・ジャーニーのスタート地点である(☞フォテーゾ:霊的光の感光)。

わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、また、あなたがたの従順が完全なものになる・・・-2Cor 10:3-6

 

References   [ + ]

1. メッセでも指摘したが、こう言っておくことは保険なのだ。see?
2. この意味でいわゆる歴史的キリスト教なる宗教体系における教職牧師制度や儀式・典礼・文化・神学などに同意することは、自らを偽りの中に幽閉することに他ならない。エレミヤ(Jer 16:14-15)はエクソダスは二回あることを預言している。世からのそれと、宗教からのそれである。