聖とは分離-アイオーン・コスモスから解かれよ!

もともとエクレシアの職制使徒預言者伝道者牧者/教者四役(Eph 4:11)。いわゆる使徒回復運動などで言われる「五役の回復」は間違い。

この中の教える者は「教師」、牧者は「牧師」と当たり前に「師」がつく[1]日本語独特かも、Pastorは「牧する者」の意味であるが、Reverendとなると大袈裟になり、日本語では「尊師」とかになりそうだが(笑)。おそらく、「牧師」なる称号は世の中向けの用語だったのだろう。私でさえ、パスター(牧者)を称しているが、世の人には「ああ、牧師のことですね」となる[2]それ以上は説明できないし、理解もされないので流しているが・・・。

が、預言師とは言われてないのは、世のシステムとしてのキリスト教界に組み込まれていないからだ。ところが伝道者は微妙に「伝道師」にもなる。このあたりにこの世化している境目があるようだ。ニッポンキ業界のダンナが牧師で奥さんが伝道師と称している有様は実に個人商店的な哀愁を覚える。特に奥さんがダンナに向かって「〇〇センセイ」とかって苦笑だ。要するに「牧師」なる称号は世の中向けの用語だったわけ。

ホーリネスとはset apart=分離。YHWHは全てから隔絶する存在。エクレシアもだ。が、今日、世に飲まれ、LGBTを認め教職教団制度をもうけ、ソドム・エジプト化している。主の嫌悪感にも不感症。ノーマルシーバイアスと協調性バイアスを地でいく。だからニッポンとニッポンキ業界は合わせ鏡であると十年以上指摘している。そこで聖霊が働くわけがなかろう。

エクレシアとは新しい創造、ニュークリーチャー。世からは分離された存在。ジーザスは言われた、わたしが世の者でないのと同じに、あなたがたも世にはいるが、世のものではない。また、わたしの国は世のものではないとも。それは霊的アイデンティティーの問題。アイオーン・コスモスから分離されよ![3]アイオーンは時代の霊、コスモスはこの世のシステムと言える。

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1 日本語独特かも、Pastorは「牧する者」の意味であるが、Reverendとなると大袈裟になり、日本語では「尊師」とかになりそうだが(笑)
2 それ以上は説明できないし、理解もされないので流しているが・・・。
3 アイオーンは時代の霊、コスモスはこの世のシステムと言える。

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