これって、実にすごいことだ。ヤバイ! 天が五感の領域に介入しているのだ。

そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。
そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」-Mark 1:10-11

この「裂けて」の原語は”schizō”、スキゾフレニア(精神分裂病)のスキゾだ。天が裂ける!?そう、イエスが公のミニストリーに入る時、それまで人類に対して閉ざされていた天が裂け、御霊がこの地上に介入された。そのイエスは御父の最愛の子、喜びであった。ここでのポイントはこうだ。イエスは天と地をつなぐはしご、天の門(ポータル)、その上に天使が上り下りする(John 1:15)。そして私たちはそのイエスの内に置かれたのだ!

かくして神は私たちを見ない。イエスを見ている。これが私たちの得た祝福。神は私たちをご覧になるとき、あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶと言われ、満足されるのだ。神の満足がそのポータルを通して私たちに伝達される。祝福とは私たちの霊に反映される神の満足だ。このゆえに私たちは神の歓心を買うために努力したり、もがく必要はない。私たちはすでに天の門、天使が上り下りし、地の祈りを天にもたらし、天のサブスタンスを地に届ける。

天はすでに裂けている。裂けたままである。その裂け目を通して天のもろもろの祝福が私たちに流れ込む。なぜなら

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。-Eph 1:3

すでに祝福してくださいました! 現在完了形。つまりそれはすでになされ、今だに継続しているのだ。私たちはすべての霊的祝福を受けている! これが天の霊的領域におけるサブスタンス。これを自分の経験にするのが信(faith)1)信仰とすると微妙に本来の意味からずれてしまう。最近ではほとんどフェイスと言っているが、あえて日本語にすれば信が適当だ(『新和訳』では採用されている)。なのだ。アグレッシブにそれを味わおうではないか!

この天の裂け目から天の霊の実質、サブスタンスが五感の領域に流れ込む。それを受信するのは私たちの霊。霊は主の言葉、天の光、啓示を感光(フォティーゾ)する。マインドはカメラのシャッターのようなもの。マインドが開かないと霊に届かない。霊に写ったそのサブスタンスを語り出す。するとそれはこの五感の領域に実体化(substantiation)されるのだ。

根拠は、要するにイエスは言葉を語り出すことによりすべての病気を癒し、悪霊を追い出し、死者を蘇らせた。イエスは、「わたしの言葉(レーマ)2)レーマとロゴスの違いは福音派あたりでは認めない傾向が強い。が、聖書は明らかに使い分けている。レーマは今・ここで聖霊が内側で語ることば。それはいのちであり、霊である。ロゴスは真理を客観的に記述するもの。極私的には<レーマ=霊=いのち=ロゴス×フェイス>と定式化している。はいのちであり、また霊である」と言われた(John 6:63)。そして「信じる者もイエスと同じ業、さらに大いなる業をなす」と言われた(John 14:12)。ゆえに私たちも言葉を語り出すことによりイエスと同じ業をなし得るわけだ(2Cor 4:13)。

ここで批判者たちは、それではクリスチャンが「小さな神(gods)」になるではないかと指弾するのだ。イエスは神だからこそ、あのような業がなし得たとしているからだ。ところが御言葉にはこうあるのだ:

それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。-Acts 10:38

ここでは明らかにイエスは人として業を行ったと読める。すると私たちも聖霊と力を注がれ、神が共におられるならば、同じことができることになる。まして、イエスはご自分が父のもとに行くゆえに、同じ業、さらに大いなる業をなし得ると約束されている(John 14:12)。

かくして、私たちの語り出す言葉がイエスの言葉と同様に働くためには、信仰は希求するサブスタンスであるとあるとおり(Heb 11:1)、そのサブスタンスを語り出す必要があるのだ(2Cor 4:13)。そのとき、見えないそれがあばかれる(prove)、つまり時空間に現出する(Heb 11:1)。これがヘブル書の解くところである(Heb 11:3)。

この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。-1Tim 6:17

References   [ + ]

1. 信仰とすると微妙に本来の意味からずれてしまう。最近ではほとんどフェイスと言っているが、あえて日本語にすれば信が適当だ(『新和訳』では採用されている)。
2. レーマとロゴスの違いは福音派あたりでは認めない傾向が強い。が、聖書は明らかに使い分けている。レーマは今・ここで聖霊が内側で語ることば。それはいのちであり、霊である。ロゴスは真理を客観的に記述するもの。極私的には<レーマ=霊=いのち=ロゴス×フェイス>と定式化している。

drluke

本名:唐沢治(からさわ おさむ、aka. Dr.Luke、ドクター・ルーク、ルーク・カラサワ)/出自:195X年東京生まれ(5歳まで)、長野県育ち(高校まで)/学歴:東京大学医学部保健学科卒・同大学院(第一基礎医学専門課程)修了、英国Kingdom Faith Bible College修了/学位:医学博士/専門:精神病理学、生体現象の数理モデルなど/活動:Kingdom Fellowship Ministries代表;同パスター/趣味:温泉、映画、漢詩、ジャズ、ボディビル、ジョッギング、スイミング、ドライブ、Jean=Claude Van Dammeのファン/模範:ウォッチマン・ニー、リスペクティングYAZAWA&MISHIMA/漢詩:号は「靑心堂一石」/Blog:http://blog.DR-LUKE.com/Twitter:https://twitter.com/#/Doctor_Luke/Facebook:https://www.facebook.com/Dr.LukeKarasawa/YouTube Chanel:https://www.youtube.com/c/DrLukeKarasawa/著書:『真理はあなたを自由にする』(リバイバル新聞社)、同ワークブック、VHSビデオ(DVD2巻); 『神の新創造 GOD'S NEW CREATION 聖書が啓示する自然法則を超えるマインドのパワー』(文芸社)