日本は「ニュー・エルサレム」であると再建主義者

新エルレムについてはこうある(☞聖書が究極的に語ることとは<旧新約聖書の鳥瞰図>)-

わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。

この都は四角い形で、長さと幅が同じであった。天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。

わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。-Rev 21:1-2;16;22-23

新エルサレムとはエクレシアの完成した姿である[1] … Continue reading。それは至聖所と同じ立方体。幕屋では1辺が10キュビット、ソロモン神殿は30キュビット、そして現在はエクレシアつまりわれわれの霊が至聖所であり、ここまではまだ隠されている。つまりうちにいます神の奥義なるキリストである(Col 2:2)。が、新エルサレムは一辺が12,000スタジオン(約2,000キロ)に拡大し、しかもそれは神の臨在そのもので輝いており、もはや隠されていない[2] … Continue reading。この流れを私は臨在の奥義と呼んでいる[3]聖書には一貫した奥義が四つある:結婚の奥義、臨在の奥義、受肉の奥義、敬虔の奥義である。

日本は「ニュー・エルサレム」である

tomi 2018/08/25(土)11:40

日本は「ニュー・エルサレム」である

1.

イエスの誕生よりちょうど2000年目の1996年、ミレニアムの活動は開始した。

明治天皇の孫小林隆俊牧師の講演会が寄居で開かれ、明治天皇の言葉が紹介された。

明治天皇が、娘である小林師の母仁(しのぶ)様に「お前に男の子が生まれたら、牧師にしなさい」と言ったと伝えられた。

この年の1月に市ヶ谷のルーテル会館で開かれたメシアニック・ジューの集会にコニー・ハーという中国系スイス人が現れた。

彼女は、ある有名なユダヤ人クリスチャン教師の弟子であり、この教師の言葉を伝えてくれた。それは「日本は、ニュー・エルサレムである」である。

この言葉の謎は最近解けた。

イエスが言われた「イスラエルの再興」は、ユダヤ人クリスチャンたちの集団において成就し、そのユダヤ人クリスチャンの集団は、日本に移住したと。

ロスチャイルドが言うように、イスラエルの再興が1948年のイスラエル国の建国において成就したのであれば、「イエスは律法と預言者(旧約聖書)を成就するために来た」という御言葉と矛盾する。

旧約聖書は、紀元70年までに成就しなければならない。成就しなければ、イエスは失敗したと言わなければならなくなる。

だから、イスラエルの再興は紀元70年までに成就しているはずである。

エルサレムがローマ軍によって包囲され、神殿崩壊し、ユダヤ人の大虐殺が起きたときに、クリスチャンたちだけは、その前に城外に逃げて無事であった。

彼らはペラという東の町に留まり、そこから東に向かったという。

東大名誉教授江上波夫氏によると「原始キリスト教徒が紀元2世紀に来日した」らしい。

紀元2世紀の原始キリスト教徒とは、すなわち、紀元70年のイスラエル滅亡を逃れた「羊系ユダヤ人」「初代教会の人々」である。

彼らは、再興のイスラエルであった。

再興のイスラエルが、日本に移住したということは、日本は再興のイスラエルだということになる。

日本は「ニュー・エルサレム」なのである。

2.

イエスを失敗者と描き、新しいメシアの来臨(または再臨)を待つという考えは、シオニストのそれである。

シオニストは、紀元1世紀にメシアは来臨しなかったと説く。

ナザレのイエスは、メシアではないと。

そして、別の人物が未来においてメシアとして来臨すると。

ロスチャイルドは、その下準備として、中央銀行を作り、国連を作り、世界中の国を乗っ取り、差別反対運動を広めて「世界を一つに」しようと努力してきた。

ロスチャイルドの願いは、これから建設する第3神殿からそのメシアが世界を支配することにある。

この計画の背後には、世界を強奪しようとするルシファーの霊がある。

真のメシアであるイエス・キリストは、この計画を破壊される。

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References

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1 東京都のような場所や都市ではない。それは子羊と結婚するのだから、エバがアダムの要素を共有したように、新エルサレムもキリストと同じ要素を共有する宇宙的生命体である。
2 キリストは変貌(メタモルフォーシス)の山で白く輝いた。われわれも造り変え(メタモルフォーシス)によりキリスト同様に輝くのだ。キリストは個人として神の輝きをデモンストレーションされたが、エクレシアは拡大増殖したキリスト、つまり新エルサレムとして輝く。
3 聖書には一貫した奥義が四つある:結婚の奥義、臨在の奥義、受肉の奥義、敬虔の奥義である。

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