霊的サブスタンスと五感の経験-ラザロの蘇生-

いま、フェイスとは願われるサブスタンス(実体・土台・権利証)、まだ観測されていないことの立証である。-Heb 11:1(私訳)

イエスによるラザロのよみがえりの事件は実に見事に、フェイス、すなわち希求する実サブスタンス(実体)とその現出(立証)を描き出している。

イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」
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イエスは、このように話され、それから、弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロは眠っています。しかし、わたしは彼を眠りからさましに行くのです。」
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そこで、イエスはそのとき、はっきりと彼らに言われた。「ラザロは死んだのです。わたしは、あなたがたのため、すなわちあなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。」
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イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」
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そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、
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そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」
そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」-John 11:4-43

イエスはラザロの病気を知らされた時点で、これは神の栄光が現れる、とフェイスにより時間と空間を超える霊的サブスタンスを把握した。また一方で時空間に生きる者としては、ラザロが死んだ事実を認めている。ここでフェイスの実体と目の前の事実が矛盾しているが、彼は両方とも認めている。そして現地を訪れ、あえてデモンストレーションして、信じない者たちの前でフェイスの実体を現出させた。それは父がすでになして下さったことを人々に知らせた上で、大声で死んでいるラザロに命じたのだ。これはレーマを発すること1)創造も神の命令でなされた。神の心の中にはすでに創世記から黙示録までのすべての事態が展開していたのだ。私たちはその神のフェイスの中で天地創造の前からキリストにあって選ばれ、完成されていた(Eph 1:4;Heb 4:3)。その神のフェイスの実体が時空間の中で展開しているのだ。原則はすべてフェイス=願う実体と目に見えないことの証明。マルコ(Mark 11:22)ではその神のフェイスを持て、とイエスは言われる。WOW! それにより創造(無から有を生じさせること)をなした神のフェイスを持つことである。。ラザロは出てきたが、これはイエスにとっては既定事実だった。すでに霊的サブスタンス(蘇生)をゲットしていたから。ここでの一連の経緯の鍵は神の栄光。そして私たちにも同じことができると(John 14:12)。

イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった。・・・行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい2)この命令を十二弟子限定として自らの不信仰を正当化するむきがある。た、マタイでは「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(Matt 28:19-20)と命じている。十二弟子に対する命令はすべての民に継承されるのだ。。-Matt 10:1-8

私はメッセでも何度も語っているが、いわゆるニッポンキリスト教のたくわんと味噌汁からの開拓伝道とかの話は好まない。それは浪花節であり、霊的演歌に過ぎない3)フェイスの法則も知らずにボクシになり挫折。人は心にあふれることを口が語る。ボクシ崩れは箸にも棒にも掛からぬ存在。自分で結婚もムリ、いずれ路上生活者になると告白している。これが彼のフェイスの証明。あなたが信じた通りになるでしょ!。主に常に申し上げていた。あなたのバックアップがなければ何もする気はないですから!と。そう人間的な手練手管による”福音”などはもう無意味と知るべき時なのだ。神ご自身が手を出され、神ご自身が栄光を現すフェーズに入っている。

References   [ + ]

1. 創造も神の命令でなされた。神の心の中にはすでに創世記から黙示録までのすべての事態が展開していたのだ。私たちはその神のフェイスの中で天地創造の前からキリストにあって選ばれ、完成されていた(Eph 1:4;Heb 4:3)。その神のフェイスの実体が時空間の中で展開しているのだ。原則はすべてフェイス=願う実体と目に見えないことの証明。マルコ(Mark 11:22)ではその神のフェイスを持て、とイエスは言われる。WOW! それにより創造(無から有を生じさせること)をなした神のフェイスを持つことである。
2. この命令を十二弟子限定として自らの不信仰を正当化するむきがある。た、マタイでは「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(Matt 28:19-20)と命じている。十二弟子に対する命令はすべての民に継承されるのだ。
3. フェイスの法則も知らずにボクシになり挫折。人は心にあふれることを口が語る。ボクシ崩れは箸にも棒にも掛からぬ存在。自分で結婚もムリ、いずれ路上生活者になると告白している。これが彼のフェイスの証明。あなたが信じた通りになるでしょ!

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