エクレシアこそが真のホモ・デウスである

ホモ・デウス、i.e., God-Man。人類はヘビによって誘惑された、この木の実を食べれば善と悪を知り、エロヒムのようになれると。これが原初的誘惑(Gen 3:1-5)。

が、元々、ホモサピエンスであるわれわれはエロヒムの形と様に創造されている(Gen 1:26-27)。そのうちにいのちの木の実を食べることにより、YHWHエロヒムご自身が内在化されることが当初の意図であったのだ。そこにヘビに化体したサタンが先回りをして、阻害したのだ。彼は元々いと高き者になりたかったから。

かくして、エデンの園から追放されたホモサピエンス、YHWHエロヒムから分離されて善と悪の二元論的世界観(マトリックス)に幽閉されたホモサピエンスは、自己の意義・生存・資源、そして生きる意味を自己の努力により探し求める存在となった。その根底にある動機は自己努力により神のようになること!否、神になることなのだ。

しかしYHWHエロヒムはご自身が受肉し、God-Manであるジーザスというホモサピエンスにあってご自身を現わされた。そのジーザスのあり方をわれわれにおいて再現あるいは追体験すること。神をエミュレートすること(Eph 5:1)。これがフェイスである。時空を超えた十字架の死と復活を経て、われわれエロヒム属スピリットが生み出されたエクレシアはニュークリーチャー。それはジーザスとまったくアイデンティカルなネオ・ホモサピエンス、スーパー・ヒューマンである。

フェイスによりわれわれはエロヒム属(神属)とされるのだ。その意味で、エクレシアこそが真のホモ・デウスである。

敬虔(エウセベイア)の奥義とは肉において現れる神である。-1テモテ3:161)敬虔と訳されたEusebeiaを日本語で考えてはならない。その定義はこの聖句である。御言葉は御言葉により定義すること。言語マトリックスの罠に陥ることのないように。

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1. 敬虔と訳されたEusebeiaを日本語で考えてはならない。その定義はこの聖句である。御言葉は御言葉により定義すること。言語マトリックスの罠に陥ることのないように。