フェイスは神のフォースである
神は必要にではなく、フェイスに答える-今回のメッセで紹介したこの言葉、だれのものか忘れたが、鋭い指摘だ。「神は私の病気をいやしてくださると信じてます」とか、「神はいつか私を豊かなものとしてくださると信じてます」とかよく聞くが、しばしばそうならない。すると人は言う、「私はこんなに真剣に信じたのに、なぜならないのか。なぜ与えてくださらないのか」と。嗚呼、この言葉がすべてを証明している:私は信じたのに[1]☞プロテスタントの根本的誤りについてはこちらを・・・。
よく自分の信仰を云々する向きがある。自分には信仰があるとかないとか。あるいは自分が信仰によって何かを頂ける人間ではないとか、小さなものに過ぎないとか。あの人の信仰は偉大とか、純粋とか・・・。メッセも語ったがみな自意識過剰だ。
なぜなら、主は言われた:神のフェイスを持て(Mark 11:22-23)。またパウロも証している:生きているのはもはや私ではなくキリストである。肉にあって生きている私は…御子のフェイスによって生きる(Gal 2:20)。またこうもある:
これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として―事実そのとおりであるが―受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。-1Thess 2:13
この「言」はlogos、「働いている」はenergeo。そこでPassion Bibleでは-
And the word continues to be an energizing force in you who believe.
Mirror Bibleでは-
and so the truth energizes you from within, endorsing your faith.
とある。ロゴスはエネルギーであり、フォースである。内側に常に働くパワー(デュナミス)である。これがフェイスを裏書し、支持するのだ。お分かりであろうか? フェイスは神のフォースである! ここでニューエイジの映画『スターウォーズ』が連想されるであろうが、あのフォースはまさに聖書のフォースのパクリである[2] … Continue reading。
実はYHWHのフォースとしてのフェイスは私とは一切関係がない。よく自分の”信仰”に信仰を置こうとするミスを犯す傾向がある。私たちのフェイスはサブスタンス(Heb 11:1)。自分の”信仰”を見ていると罠に落ちるのだ。
それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にあって立つのではなく、神の力にあって立つためでした」-1Cor 2:5
信仰、もっと正確には信(pistis)-あえてフェイスと言っているが-とは実体(hupostasis)、サブスタンスだからだ。それは私とは関係なく存在する。そのサブスタンスそのものが信である(Heb 11:1)。世界はそのサブスタンスがフレーム化されたもの(Heb 11:3)。肉の目には目の前の五感の事実が霊のサブスタンスよりも現実感を伴う。それがリアリティだと思っている。しかしジーザスの目には霊のサブスタンスの方が五感の現実よりもリアルだったのだ。だから五つのパンで五千人を養うこともいとも容易いことだった。私たちも霊の目が開けると目の前の事象よりもサブスタンスの方がよりリアルになる。
私たちニュークリーチャーは天のポータルとして霊的領域のサブスタンスにアクセスし得る能力を得ている。キャッシュ・ディスペンサーのように、そこからいくらでも天の富を引き出せるのだ!
祈り求めているうちに、ふとサブスタンスに触れると、私たちは願っていたものを「得た」と分かる。たとえ、目の前には物理的には存在していなくてもだ。分かるから分かる。I know that I know. そのためにはくどくど長たらしく祈る必要もない(Matt 6:7)。ふと霊を開けば良いのだ。神の国は、<今・ここに>あるのだから。フェイスはNOW現象である!
キリスト教のあれこれのややこしい教えの体系を捨て去れば、見える。私たちは内側に神の国を得ている新創造だ。天の父はわたしの持っているものはすべてあなたのものだと言われる(Luke 15:31)。御子イエスは私たちが彼とおなじ業、さらにもっと大いなる業をなすと約束された(John 14:12)。聖霊はそのことを地上に現出させ、実際に行われる。
まことに私たちは神の国のパワーポイント、パワースポットなのだ!
References
↑1 | ☞プロテスタントの根本的誤りについてはこちらを |
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↑2 | すでに述べているように、バイブレーション、シナジー効果、コヒーレンシーも元々聖書の概念である。特に日本語訳で読んでいるとこのようなジューシーな美味しい部分がみな落ちる。そして筋張った肉汁の抜けたステーキを食わされるのだ。ニューエイジからゲットバックせよ! |
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