クリスチャンとは真のトランス・ヒューマンである

最近、ピーター・トゥールなどによるトランスヒューマニズム(>HとかH+)が脚光を浴びている。ディープラーニングによるAIとか、人工的ボディによる超人間の実現。映画でも『ゴースト・イン・ザ・シェル』などの作品にも反映されている。確かにこの制限された死ぬべきボディから解放されたらどれほど自由であることか。パウロも地上の幕屋で呻いていると言うとおりである。

さて、キリストの死と復活に一体化された者は新しい創造、新人類、新生命体、スーパー・ヒューマン、そしてネオ・ホモサピエンス。ギリシャ語では時間の概念に二種類ある事は前に書いた。クロノスとカイロス。クロノスは時計が刻む物理的時間、カイロスは永遠のナウの時間、つまり霊的意味を有する。

それに伴って、「新しい;New」にも二種類の概念がある。ネオスとカイノス。ネオスは時間的に新しいの意味、カイノスは質的に新しいの意味と理解してよいと思う。たとえば、エペソ(Eph 2:15;4:24)における「新しい人」はカイノス。対してコロサイ(Col 3:10)における「新しい人」はネオス。つまり新しく霊から生まれた存在(John 3:6-8)は質的にも時間的にBrand Newなのだ。

最近、Dr.Lukeはヴァイブレーションだの、ポータルだの、サブスタンスだの、ニュークリーチャーだの、ネオとかスーパーとかニューエイジ系にかぶれてるとかおっしゃるむきもあるようだが、あのですねぇ、これらの単語はすべて聖書にあるわけ。日本語訳は表向き現れてないだけなのだ。ニッポンキリスト教にかぶれたマインドではあるものも見えなくなる。もっと言えば、われわれこそが真のニューエイジャーでありトランスヒューマンなのだ!究極的に私たちはこのボディを脱ぎ捨て、物理的に束縛されないカイロスに生きる栄光のボディを得るのだから。


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Dr.Lukeの一言映画評-PASSENGERS

かつての『2001年宇宙の旅』やその続編、さらに『インターステラー』や『ゼロ・グラビティー』に続く宇宙のSF。映像も美しく、ちょうど宇宙のアダムとエバ的なストーリー。果たして人は物理的空間において二人だけで生きられるのか。宇宙で孤立することを考えるとある種の畏怖の念を覚える。

が、考えてみれば、この地球とて、物理的には孤立系。70億人と2人の違いだけ。つまり物理的にはこの広大な宇宙でポツンと放置されているのが宇宙船地球号なのだ。エロヒムは当初アダムとエバのみを創造された。で、彼らから次々に増殖したのが人類。アダムとエバはどんな生を送っていたのだろうか。

宇宙において孤立したとき、多分物理的空間においてだけならば、生きることはほとんど虚無だろう。が、それはこの地球上においても同じ。つまり、五感の領域において、物理的時空間をサバイバルするだけなのだから。その虚無から解放される道は?

そう、霊的領域へのアクセスだ。神との交わり。私は思考実験する、一人だけで宇宙に飛ばされたとき、神の臨在を感じるならば、そこは虚無空間ではないと。事実、アポロ宇宙飛行士は月面でものすごい神の臨在を感じたのだった。この世の五感の喧騒から離脱するならば、この旧創造に属する肉体をもっても、神を文字どおり手で感じることができるのだ。

ラストで一本の植えられた木が、樹へと成長し、繁茂している光景は何か命の潤いを感じて救われた感覚を覚えた。オススメ!


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