時空間は幻想だ

ついに物理学者も認め出した。重力はイリュージョン!そもそも時空間自体が幻想なのだ。真の存在は、もちろん神のレーマ、神のバイブレーション。それが五感に投影されているのが、われわれの経験する物理的世界。

フェイスによって、わたしたちは、この世界が神の言葉(レーマ)によって創造(フレーム化)され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。―ヘブル11:3


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御霊により変調された言葉を語る

フェイスにより語り出された言葉は霊のバイブレーションの場(フィールド)を動かす。それがこの五感の領域に実体化される。

今、フェイスとは願う事柄のサブスタンス、まだ見ていない事の立証である。―ヘブル11:1

この「フェイス」には定冠詞はない。つまり人類普遍のシックスセンスとしての能力を言う。ポイントはそれを用いて、どのポータルあるいはチャネルを通してスピリチュアル・リアムにアクセスするか。


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クリスチャンこそが真のニューエイジャー

worth listening to….彼は元々はハードコア・サイエンティスト。ニューエイジの方が霊的に開かれている。ただ、ポータルが異なるが・・・・。 まさにこのことを語っている。空間はエンプティーではない。われわれのマインドと絶えず相互作用をしているのだ。

もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。
話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
その響き(バイブレーション)は全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。
                                                                    -詩編19:1-5

彼は言う:BELIEF TRANSLATES THE FIELD (=SOUP OF ALL POSSIBILITY) INTO THIS REALITY. まさにフェイスではないか!へブル11:1(Heb 11:1)のフェイスの定義には定冠詞はない。一般のシックスセンスとしての能力なのだ。

ジーザスこそがニューエイジを開いたのだ。われわれこそが真のニューエイジャー。GET BACKせよ!

追記:わたしのOneshotシリーズのこれとほぼ同じだ。⇒フェイスと量子力学


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視・聴・臭・触・味そして信(再掲)

この五感は誰もが分かる。視覚・聴覚・臭覚・触覚・味覚によって私たちのうちにある世界のモデルが構築されている。私たちはこの五感あるいは五覚によって何気に生きている。それぞれの覚はそれぞれの物理的実体、つまり物理的サブスタンスを私の主観的経験とする。これを実体化(Substantiation)という。

普通の人は光の実体は知らない。電磁波であり、光量子でもあると物理学では教える。そのエネルギーはhνであるとも。が、それを知らなくとも目がそれを私の経験として実体化してくれる。物理は知らなくても何も困らない。同様に音は空気の粗密波であると知らなくても、音楽を楽しむことができる。耳がそれを私の経験として実体化してくれるからだ。こうして五感により私たちは世界を認知し、それぞれの経験に応じて世界はこうこうであると知っている。それが各人の世界観であり人生観である。これがマトリックスだ。

では、霊的サブスタンスはどうか。メッセでも語ったがLAに行かずにガイドブックだけは隅から隅まで知っている人がいる。同じように霊的サブスタンスにタッチすることなく、聖書は隅から隅まで知っている人がいる。信仰なる単語があまりよろしくないと言っているが、それは視仰とか聴仰とか言ったらおかしいでしょということ。フェイスとは第6のセンサーなのだ。ゆえに信覚とでも言うべきかもしれない。

それは霊的領域にタッチし、それをセンスする。霊的サブスタンスを経験する感覚器官なのだ。ゆえにそれはスーパナチュラル。聖書を知っていることと霊的サブスタンスを味わうことはまったく別のこと。ガイドブックを知っていることとLAを味わうことはまったく別のことであるのと同じ。この意味でいわゆる霊的書物を漁って、誰がこう言った、彼がああ言ったとよく知っていても、それはオツムの中の現象に過ぎないのだ。

今回のメッセで語ったが、われわれはゼロクリアする必要がある。フェイスとは何か。義人は視によってでもなく、聴によってもなく・・・、信すなわちフェイスによって生きるとはどういう経験であるか、主よ、教えてください。私たちは何か大いなる勘違いの中に生きていたかもしれません。マトリックスにはまっていたかもしれません。教えてください、と求める必要があると強く感じている。

これからの時代、自分の聖書の知識や御言葉の解き明かしとかいったものに頼るならば、必ず失望に終わるであろう。この意味で、自分が何によって生きているかが明確に表れてしまうのが癒しなのだ。ある人は言う、主の打たれた傷によりわれわれは癒された、といっても神は癒す人と癒さない人があるのだ、と。いや、現代では医学も発達しているから神の癒しはもはや廃れたのだ・・・。では、伺おう。主の打たれた傷によりわれわれは赦された、といっても神は赦す人と赦さない人があるのだ、と彼らは言うのであろうか?

イエスは昔も、今も、永遠に変わらないお方!すべての人を偽りとしても、神を真実とせよ!

Glory be to God!

追記: Pistis,Faithは霊覚というのがイイかもですね。ウォッチマン・ニーのThe Spiritual Manにおいては、霊の機能として良心・直覚・交わりとしています。その統合的作用が霊覚、つまりフェイスです。霊的領域のサブスタンス、リアリティーをこの五感の領域において実体化(Substantiation)するわけです。

 


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