日の下に新しいことは何もない

これ、FBの内海画伯の投稿。ちょっとお借りしました。なんと、明治神宮前にあったとか・・・。

そのうちニッポンキリスト教も再び、われら天皇の臣民は、自己を否み、各自の十字架を負って、八紘一宇の・・・ってやりかねないね。この国も業界も偽善の上にあって、当時となんら変わっていないから。それにしても・・・

ちなみに私、99年時点でこの様を見ておりました。

「君が代・日の丸」に思う ―分裂した自我の背後に蠢く者

まことにソロモンの言うが如し、日の下に新しいことは何もない。今ある事は昔もあったことだ。


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砂糖まぶしの福音からハードコア・ゴスペルへ―ヨハネ3章16節再考

今、世界的傾向として、「愛こそすべて」、「ラブソナタ」、「何でも愛して赦して」の砂糖まぶしの「福音」の偽善が再考されている。ヨハネ3章16節、これは致命的に誤解されてきた聖句。ニッポンキリスト教、そろそろその嘘に気づけ!私はこの20年近く、その偽善を指摘してきた。ハードコア・ゴスペルに覚醒せよ!

ハードコア・プロファイルズ

フェイスによらないことはすべて罪(Rom 12:23)。愛がなければフェイスは虚しい(罪ではない!:1Cor 13:2)。カギは愛によって働くフェイス(Gal 5:6)。フェイス(愛ではない!)がなければ神に喜ばれない(Heb 11:6)!いわゆる信仰・希望・愛を三つ並べて愛こそすべてとやるのは偽り(この三つの要素は有機的に関係している)。神の愛はセンチメントではなく、ストロング―コリン・アーカート。三浦綾子文学的自己憐憫ワールドから解かれよ!

(David Pawsonは英国でリスペクトされているプリーチャー。アメリカの派手なイベントあるいは現象志向に対して、英国はじっくりと真理と向き合うのだ。要するに大人。)


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覚醒の時、手遅れにならないうちに

爽快なランの後の熱いシャワーがカ☆イ☆カ☆ン。さて、すでに私のブログの古い読者の方はご存知と思いますが、ブログでもメッセでも「3.11」をピンポイントで警告し、それ以前から廃墟と化した都市のイメージがずっと見えていると書いてきたし、メッセでも語った。そのイメージは「3.11」後も消失していない。つまり「3.11」のことではないのだ。この国、そろそろ覚醒すべき時だと思う。手遅れにならないうちに。この記事は2011年のもの

災いだ、災いだ、欺瞞の国家ニッポン、そこに咲いたアダ花ニッポンキリスト教。
合わせ鏡のこのふたつの神の主権を侮る者たち。
崩壊と悲惨、多くの人々の叫び声が聞こえる。
しかしそれでもなお、自己弁護と神を侮る者たち。
災いだ、災いだ、その荒廃は著しい、自らでは如何ともし難いと知れ。
しかし尚も打たれようとするのか。
これから3.11以上の災難がこの国を襲う。
ニッポンキリスト教は自らの欺瞞と無力に打ちのめされる。
彼らが真に神に立ち返り、その主権に服するようになるまでに。
主は自らの業を人間の土台の上にはなさらない。
まず崩されて更地になれ、更地を主は求められる。
栄光はただ主のもの、それを狡猾にも盗み取るものは呪われる。
こうして主はまったく新しい業をなされる。栄光はただ主のものとなる。


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いつも思うニッポンキリスト教徒の不思議な事

このキリスト教なる業界、聖書を唯一の信仰基準にすると宣言しつつ、全然聖書を知らないし、平気で誤訳を鵜呑みにするし、書かれてないことを堂々と言っている。ほんと、自然科学系の者からすると理解不能なのだ。

例えば、例の「ラブソナタ」。これは実にキモイ。「あなたは愛されるために生まれた」・・・。いやはや、自己憐憫の霊の極致。聖書はなんと言っているか:エロヒムは祝福して言われた、生めよ、増えよ、地を従わせよ。

つまり人が創造された原初的目的は、神の代理権威として「地を従わせる」こと。この「従わせる」の原語は「強制力を持って」の意味である。要するに神の意志に反するものがすでに人の創造の時に存在していたのだ。これは創世記1:1と2節の間に秘密がある。

このアサインメント(委託)から人は堕ちた。で、一種の傍観者となってしまった。自分が何をしても世は変わらない。ただ愛されていればよい・・・と。あるいはめんどうなことは言わず、伝道、伝道とかね。あるいは携挙と再臨を待ち望むだけとか。この辺は再建主義者の批判どおりであろう。

これがもろに現れるのが病気に対する姿勢。ある者は病気は神の御旨、それにより人格を陶冶されるためとか、主のお苦しみを共にする経験だとか・・・。まあ、三浦綾子文学的ワールド。

果たしてジーザスは自分のところに来る病者にそんなことを言われたであろうか?ジーザスは病気を治めたのだ。従わせたのだ。命令、コマンドにより。それは秩序に置くこと。病気はDis-orderあるいはDis-ease。神の秩序からのDis=逸脱。だから秩序に戻すこと。神の秩序とは健康である。

もっとも深刻な病は、実は、聖書からの逸脱。自分が聖書を知らないことにすら気がついていない。キリスト教の病とは、ちょうど結核を患っている医師がそのことを知らず、マスクもしないで治療室に人々を招くようなものである。

これもね⇒ニッポンキリスト教の七不思議


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独り言・・・・かる~くスルーをヨロシク♪

まあね、ニッポンキリスト教には明治以降、神ぃ様ぁ~のために働いてる立派なセンセイたちが多すぎるんですよ。だからジーザスが働かれる余地がなくなるわけ。で、結果は、クルシチャンが大量生産されてる

ニッポンキリスト教の1%コンプレックスもそろそろいい加減にしてほしいが、ギャロップ(だったかな?)の調査ではジーザスを信じる人は8.5%。そのほとんどはいわゆる"教会の礼拝"などには参加していないけどね。"礼拝出席"なるご苦労様してる人は0.25%らしい・・・。

だって、つまらんからボクシの説教なんて、ウザいしね。せっかくの日曜日に。 ヒステリックに、悔い改めよ~、聖霊様充満、油注ぎぃ~、リバイバルぅ~、酒飲むな~、ディスコに行くな~、映画観るな~、ジャズライブ行くな~、って。ご勝手にだろうが(笑)

あ、それとカネをむしられるし・・・。献金袋に領収印押して、10分の一してないと取り立てするキョーカイもあるらしい

追記: 結局ね、牧師たちはカプセル化した自分の視点からしか見ないから、礼拝出席率0.25%とか、1%の壁とかってなるわけ。日曜礼拝のお勤めを信徒が怠けてるわけではないし、みんな満たしを求めても提供されていないし。チャージされたくとも、空回り。問題は自分にあることにいつ気がつくのだろうか?・・・って、センセイたちには無理かも


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FBから二題-フェイスVSキリスト教(宗教)-

これがフェイスとキリスト教という宗教を分けるのだ!神の【ために】働くなんてこと、もうやめようね!
This is the line drew between faith and religion!

そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」

文系「神なんて存在するわけねえだろw」理系「科学を突き詰めると神が存在したとしか思えない」

ちなみに文系オツムは「正統キリスト教神学」なる理屈のマトリックスに神をはめ込み、自分と対立する者は火あぶりに処す。理系オツムは言語や理屈(自然法則)を超えるスーパーナチュラルな世界にワクワクと心を躍らす。

(影の声:なお、これに反発心がムズムズっとクル人はかなり宗教の霊にやられていると思った方が良い。)


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牧師VS.牧者

牧【師】というのは信徒の期待に応える存在。でも牧【者】の条件は、その期待を超えること。―Dr.ルーク

今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。-ガラテヤ1:4

わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。-1テサ2:4


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業界のタブーをあえて語ること

いずれの業界にも組織にも必ずタブーが存在する。それに触れると業界におれなくなるのだ。ジーザスは当時のユダヤ教の祭司や律法学者などのタブーに触れ、いわゆる教職の欺瞞を暴いた。今日も同じ。ジーザスはいわゆるキリスト教の教職なる存在を糾弾する。なぜ?

ジーザスは明確に「あなたがたは互いに兄弟であるから先生と呼ばれてはならない」と言われている(Matt 23:8)。それはニコライ派の教えと実行、聖書で明確に断罪されている(Rev 2:6)。が、今日、ニッポンキリスト教には「先生たち」が跋扈している。欺瞞の中に浸かりつつ、悔い改めを訴えたところで、その言葉には権威も力もない。ヒステリックに響くだけだ。

私はホントのことを語る。彼らは先生と呼ばれることに何らの良心の疼きを感じないのだろうか。事実、私が語ると彼らの良心を刺激する。彼らのマトリックスを危うくするからだ。だから私はスノーデンと同様に業界にとっては危険人物となる。時代が時代なら火あぶりだ(笑) (影の声:事実、リバイバル新聞に書いた記事に対して、電話での抗議や不買運動が起きたそうな・・・苦笑)

ジーザスはキリスト教の教祖やグルではない。キリスト教なる宗教はニンゲンが歴史の中で勝手に築いてきたもの。カルヴァン神学などを信奉することはヒトラーの『わが闘争』をテキストにするようなもの。カトリックはいわずもがな、ルターとて同じ。真実から目を背けることなかれ。

業界のタブーにあえて触れること。どうもこれは私の役目であるようなのだ

教会の職制について


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