牧師VS.牧者

牧【師】というのは信徒の期待に応える存在。でも牧【者】の条件は、その期待を超えること。―Dr.ルーク

今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。-ガラテヤ1:4

わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。-1テサ2:4


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業界のタブーをあえて語ること

いずれの業界にも組織にも必ずタブーが存在する。それに触れると業界におれなくなるのだ。ジーザスは当時のユダヤ教の祭司や律法学者などのタブーに触れ、いわゆる教職の欺瞞を暴いた。今日も同じ。ジーザスはいわゆるキリスト教の教職なる存在を糾弾する。なぜ?

ジーザスは明確に「あなたがたは互いに兄弟であるから先生と呼ばれてはならない」と言われている(Matt 23:8)。それはニコライ派の教えと実行、聖書で明確に断罪されている(Rev 2:6)。が、今日、ニッポンキリスト教には「先生たち」が跋扈している。欺瞞の中に浸かりつつ、悔い改めを訴えたところで、その言葉には権威も力もない。ヒステリックに響くだけだ。

私はホントのことを語る。彼らは先生と呼ばれることに何らの良心の疼きを感じないのだろうか。事実、私が語ると彼らの良心を刺激する。彼らのマトリックスを危うくするからだ。だから私はスノーデンと同様に業界にとっては危険人物となる。時代が時代なら火あぶりだ(笑) (影の声:事実、リバイバル新聞に書いた記事に対して、電話での抗議や不買運動が起きたそうな・・・苦笑)

ジーザスはキリスト教の教祖やグルではない。キリスト教なる宗教はニンゲンが歴史の中で勝手に築いてきたもの。カルヴァン神学などを信奉することはヒトラーの『わが闘争』をテキストにするようなもの。カトリックはいわずもがな、ルターとて同じ。真実から目を背けることなかれ。

業界のタブーにあえて触れること。どうもこれは私の役目であるようなのだ

教会の職制について


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思想や正義の病理の究極

思想や正義という病理。この事件は中三にTVで目撃した。実に怖い。一人ひとりはかなりインテリ、正義感が強く、社会の不正を黙視できない。それが高じて(これも下のR=klogSの法則による)、自己批判・総括と称する互いの粛清、結果虐殺された者14名。

あさま山荘立て籠もり犯が真相を告白…連合赤軍事件45年目の新証言、BS朝日で9日放送

これは何も社会だけではない。神学なるものもかなり怖い。キリスト教の歴史も血塗られている。たとえば神学者が崇めるカルバン。彼の病理はサディストであると私は指摘しているが、彼の行状についてはこの記事を参照してほしい(⇒http://www.dr-luke.com/diarypro/archives/914.html)。彼は発作が起きると、自分の批判者をあえてとろ火で処刑した。一部抜粋しておく。

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カルヴァンの花崗岩のような性格、鉄のような頑迷さにつきあたるのである。この偉大な狂信者にとっては、一生を通じて和解ほど無縁なものはなかった。彼は中道ということを知らなかった。彼が知っていたのはただひとつの真理、彼自身の真理だけだった。彼にとっては、すべてか、無か、完全な権力か完全な放棄か、であった。

自分自身に憑かれたカルヴァンは、誰かが自分の意見と違う意見を表明したりすると、そのつど、はげしい怒りにおそわれた。ひとに反駁されると、カルヴァンは一種の神経症の発作をひきおこし、肉体の内部ふかくで精神的な興奮が転移すると、胃がむかついてきて胆汁を吐き出すのだった。相手がその反論をどんなに客観的に、どんなに学問的に展開して見せてもむだだった。相手が大胆にも自分と違った考え方をしたいうただその事実だけで、カルヴァンは彼を自分の不倶戴天の敵であるばかりか、世界の敵、神の敵とした。
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ニッポンキリスト教においても異端カルト糾弾の火の手が上がった時期があった。私などは時が時であれば、すでにとろ火で処刑されていたことであろう(まあ、まともに相手するのは疲れるので、その間は六本木で遊んでいたのだが・・・)。このような場合は放置していれば、相手が自分の異常さを証明する。この業界の闇と病は極めて深いものがある。キリスト教赤軍派のようなものだ。

ちなみに、私自身は一切この業界とは無関係、あちこちの大センセイの顔色伺いも不要、ナントカ教団や、カントカ同盟なんぞとも関係がない。かつて首都圏の顔たるボス牧師に義理を通さずに聖会を開いてとんでもないことになった事件があったそうな。どこぞの業界とソックリではないか。

まことに「君子危うきに・・・」ではある。私が今、こうしてYouTubeやPodcastで自由な発信をしていられるのも今の時代であるからなのだ。


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