御霊により変調された言葉を語る

フェイスにより語り出された言葉は霊のバイブレーションの場(フィールド)を動かす。それがこの五感の領域に実体化される。

今、フェイスとは願う事柄のサブスタンス、まだ見ていない事の立証である。―ヘブル11:1

この「フェイス」には定冠詞はない。つまり人類普遍のシックスセンスとしての能力を言う。ポイントはそれを用いて、どのポータルあるいはチャネルを通してスピリチュアル・リアムにアクセスするか。


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クリスチャンこそが真のニューエイジャー

worth listening to….彼は元々はハードコア・サイエンティスト。ニューエイジの方が霊的に開かれている。ただ、ポータルが異なるが・・・・。 まさにこのことを語っている。空間はエンプティーではない。われわれのマインドと絶えず相互作用をしているのだ。

もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。
話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
その響き(バイブレーション)は全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。
                                                                    -詩編19:1-5

彼は言う:BELIEF TRANSLATES THE FIELD (=SOUP OF ALL POSSIBILITY) INTO THIS REALITY. まさにフェイスではないか!へブル11:1(Heb 11:1)のフェイスの定義には定冠詞はない。一般のシックスセンスとしての能力なのだ。

ジーザスこそがニューエイジを開いたのだ。われわれこそが真のニューエイジャー。GET BACKせよ!

追記:わたしのOneshotシリーズのこれとほぼ同じだ。⇒フェイスと量子力学


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霊的オーガニック耕法

God's Kingdom Grows Through Spiritual Organic Cultivation.

人手によらず、人はそれを知らず・・・・。何も足さない、何も引かない、御言葉だけで・・・・。聖書はね、道徳や倫理や人生論や思想や哲学や神学の本ではありません。ましてやキリスト教の教典でもない。それは生命現象の書です!


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視・聴・臭・触・味そして信(再掲)

この五感は誰もが分かる。視覚・聴覚・臭覚・触覚・味覚によって私たちのうちにある世界のモデルが構築されている。私たちはこの五感あるいは五覚によって何気に生きている。それぞれの覚はそれぞれの物理的実体、つまり物理的サブスタンスを私の主観的経験とする。これを実体化(Substantiation)という。

普通の人は光の実体は知らない。電磁波であり、光量子でもあると物理学では教える。そのエネルギーはhνであるとも。が、それを知らなくとも目がそれを私の経験として実体化してくれる。物理は知らなくても何も困らない。同様に音は空気の粗密波であると知らなくても、音楽を楽しむことができる。耳がそれを私の経験として実体化してくれるからだ。こうして五感により私たちは世界を認知し、それぞれの経験に応じて世界はこうこうであると知っている。それが各人の世界観であり人生観である。これがマトリックスだ。

では、霊的サブスタンスはどうか。メッセでも語ったがLAに行かずにガイドブックだけは隅から隅まで知っている人がいる。同じように霊的サブスタンスにタッチすることなく、聖書は隅から隅まで知っている人がいる。信仰なる単語があまりよろしくないと言っているが、それは視仰とか聴仰とか言ったらおかしいでしょということ。フェイスとは第6のセンサーなのだ。ゆえに信覚とでも言うべきかもしれない。

それは霊的領域にタッチし、それをセンスする。霊的サブスタンスを経験する感覚器官なのだ。ゆえにそれはスーパナチュラル。聖書を知っていることと霊的サブスタンスを味わうことはまったく別のこと。ガイドブックを知っていることとLAを味わうことはまったく別のことであるのと同じ。この意味でいわゆる霊的書物を漁って、誰がこう言った、彼がああ言ったとよく知っていても、それはオツムの中の現象に過ぎないのだ。

今回のメッセで語ったが、われわれはゼロクリアする必要がある。フェイスとは何か。義人は視によってでもなく、聴によってもなく・・・、信すなわちフェイスによって生きるとはどういう経験であるか、主よ、教えてください。私たちは何か大いなる勘違いの中に生きていたかもしれません。マトリックスにはまっていたかもしれません。教えてください、と求める必要があると強く感じている。

これからの時代、自分の聖書の知識や御言葉の解き明かしとかいったものに頼るならば、必ず失望に終わるであろう。この意味で、自分が何によって生きているかが明確に表れてしまうのが癒しなのだ。ある人は言う、主の打たれた傷によりわれわれは癒された、といっても神は癒す人と癒さない人があるのだ、と。いや、現代では医学も発達しているから神の癒しはもはや廃れたのだ・・・。では、伺おう。主の打たれた傷によりわれわれは赦された、といっても神は赦す人と赦さない人があるのだ、と彼らは言うのであろうか?

イエスは昔も、今も、永遠に変わらないお方!すべての人を偽りとしても、神を真実とせよ!

Glory be to God!

追記: Pistis,Faithは霊覚というのがイイかもですね。ウォッチマン・ニーのThe Spiritual Manにおいては、霊の機能として良心・直覚・交わりとしています。その統合的作用が霊覚、つまりフェイスです。霊的領域のサブスタンス、リアリティーをこの五感の領域において実体化(Substantiation)するわけです。

 


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祈りのコツ―具体的にリクエストする

本日のセブレでの証:

ある兄弟、以前の職場側のトラブルで退職し、仕事を探していた。いろいろ受けたが、なかなかだった。その過程で霊的な問題が取り扱われ、祈りも具体的に自分が願う項目をリストして祈った。そんなうまいところがあるかとも思えるほどに。ところがこれがビンゴ。求めたとおり(あるいはそれ以上)の条件の職場が与えられた。しかも、収入が以前のほぼ2倍!時期もピッタリ。まことに主のわざは時にかなって美しい。

カギは、曖昧にではなく、具体的に求めること。イメージを明確に持ちつつ、求めること。この間に霊的サブスタンスも形成されるのだ。マインドはサブスタンスを孵化する。たとえ、それが常識から外れていたとしても、都合が良すぎると思えたとしても、主は満たして下さる。曖昧なリクエストでは神もどのように応えるべきか分からない。ジャスト・オン・タイムに神の方法で御座から降りてくるのだ。

もうひとりの兄弟。KFCに来られる前に腰を痛めており、その苦痛はかなりのものだったが、今、気がつくと痛みが消失。さらに花粉症がきれいに消えたとのこと。

その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。―ヨハネ16:23-24

GLORY BE TO GOD!!!


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