いのちの御霊の法則

自己を忘れ身心脱落して法とひとつになること フェイス

自己を忘れ身心脱落して法とひとつになること

この詩は程明道の作品。 左脳からの解放、法に則ること。すると自然と一体となる。テイラー博士の経験と同一なのだ。 書き下し文 閑來事として 従容ならざるは無し 睡り覺むれば東窓 日已に紅なり 萬物靜觀すれば 皆自得 四時の佳興は 人と同じ 道は通ず天地 有形の外 思いは入る風雲 變態の中 富貴にして…
呪いと裁きの善悪二元論の道から祝福と恵みのいのちの一元論の道へ回帰せよ-聖書と歎異抄の共通項- フェイス

呪いと裁きの善悪二元論の道から祝福と恵みのいのちの一元論の道へ回帰せよ-聖書と歎異抄の共通項-

FBで面白い画像を見つけた。John Rockの言葉である((彼は経験論的認識論を提唱。人は生まれたままではタブララサ(白板)であり、経験により世界を認識するとする。対象そのものが持つ性質を第一性質、主観的なそれを第二性質とし、第二性質のみをわれわれは知るとした。現代的にはクオリアである。光の本質は…
原罪論の誤り:罪は世に入り死が全人類に入った-アダムの違反は型であり個人において再現される フェイス

原罪論の誤り:罪は世に入り死が全人類に入った-アダムの違反は型であり個人において再現される

このようなわけで、一人の人によって罪(Sin)が【世に】入り、罪によって死が入り込んだように、【死は】すべての人に及んだのです。【ゆえに】すべての人が罪を犯したのです。-Rom 5:12(Dr.Luke改) ここを邦訳では、「すべての人が罪を犯した【からだ】」するが因果関係が逆。ここの接続詞はCLV…
霊精神身体医学(Pneuma-Psycho-Somatic Medicine)の提唱 フェイス

霊精神身体医学(Pneuma-Psycho-Somatic Medicine)の提唱

かつて書いた記事を再録しておこう:(こちらも参照されたい☞人間の聖書的啓示と現代精神科学) 今、教会史をざっと眺めております。黙示録にも予言的教会歴史が描かれているのですが、時系列の中で起きている教会歴史ですね。まあ、Philip Schaffの著書などを繰るべきなのでしょうが、時間があまりありませ…
キリストは律法を超越している フェイス

キリストは律法を超越している

再建主義ではモーセ律法により国家を統治するべしと主張する。かつてはイスラエルのみに与えられたモーセ律法はキリスト以降超民族化されたからであるとする。しかるに- モーセ律法がレビ系の祭司制度であり、キリストはメルキゼデク系祭司制度をもたらしたことはヘブル書7章で論証されている(Heb 7:1-10)。…
日本は再興されたイスラエルであると再建主義者 フェイス

日本は再興されたイスラエルであると再建主義者

この根拠を再建主義の富井氏はこう説明している: イエスがユダヤ人の王であれば、イエスを王とする国が、ユダヤ系クリスチャンに与えられなければならない。「いや、1948年に建国された今のイスラエル国がその再建されたイスラエルである」とユダヤ人は言うかもしれない。しかし、もしそうであれば、紀元70年から1…
デュアルワールドに生きる フェイス

デュアルワールドに生きる

ロマ書5章の「アダムの違反と同類の罪」(Rom 5:14)と同7章の「内住の罪による罪」(Rom 7:17)の違いについてはすでに指摘した。一人の違反により罪(Sin)が世に入り、死が全人類に沁み込んだ(田川訳)(Rom 5:12)。現経綸の体は「死の体」ゆえ、罪(Sin)に抗せないため、アダムにあ…
詩編51編5節は原罪を説くか フェイス

詩編51編5節は原罪を説くか

https://www.youtube.com/watch?v=eJPqwWPlZTs この編はダビデがバテシバと過ちを犯した後、預言者ナタンによって諫められた時、YHWHに対する悔い改めのことばである。 ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。(新改訳旧版) 新改訳に…
「”神の御心を示す道徳規準としての律法”は廃止されていない、むしろ、確立されている」と再建主義者 フェイス

「”神の御心を示す道徳規準としての律法”は廃止されていない、むしろ、確立されている」と再建主義者

かつてはモーセ律法そのものが廃止されていないと言われていたように記憶しているが、私の記憶違いであろうか。ヘブル書やエペソ書に「律法は廃棄された」とある指摘に対して、こう主張されている: 歴史的にプロテスタントキリスト教は「律法は廃棄されていない」と考えてきました。(ウエストミンスター信条を羅列して)…
律法はバージョンUPされて超民族化されたと再建主義者 フェイス

律法はバージョンUPされて超民族化されたと再建主義者

富井氏とDr.Lukeの聖書理解の違いのシェーマ 過去にとらわれている人は、安息日の律法を破っている 新約時代において「祭司が変化した」ので「律法も変化した」。 祭司職が変われば、律法も必ず変わらなければなりません(ヘブル7・12)今日祭司は「キリストとクリスチャン」である。ユダ族のイエス・キリスト…
「クリスチャンになっても罪人である自分の本質が変わるわけではない2」と再建主義者 フェイス

「クリスチャンになっても罪人である自分の本質が変わるわけではない2」と再建主義者

先に再建主義者の富井氏の理解は経綸的な理解に過ぎないと指摘したが、今回見事にそれを立証して下さった。この発言は致命的に重要。本質的な霊の生命の誕生、そして霊的実質と魂・体複合体としての肉の相違を見ていないのだ。だから必至で律法を守れ~とやるわけだ。 これで再建主義者の本質は見抜けたと考える。 誰でも…
律法は聖書の中核でも永遠でもないVS.再建主義者 フェイス

律法は聖書の中核でも永遠でもないVS.再建主義者

いつもの再建主義の富井氏の論。かなり因縁めいたものを醸している。その主張の核はこの二点。 >聖書の中核は、神がホレブの山においてモーセに対して自らの指で岩板に書き>記された「十戒」である。 >旧約聖書の律法は、神の御心の表現であるから、その本質は、未来永劫不変>であり、実行すべきである。 すでに何度…
老子によるオーガニック・ライフ フェイス

老子によるオーガニック・ライフ

老子第五十七章-それ天下に忌諱多くして、民弥々貧し この警鐘、真に現代ニッポン(とその合わせ鏡のニッポンキ業界)に対するものだ: ●全文:正を以って国を治め、奇を以って兵を用い、無事を以って天下を取る。吾れ何を以ってその然るを知るや。これを以ってなり。それ天下に忌諱(きき)多くして、民弥々(いよいよ…
「主よ、主よ」と呼ぶが拒絶される者とは?-マタイ7章21-23節の意味- フェイス

「主よ、主よ」と呼ぶが拒絶される者とは?-マタイ7章21-23節の意味-

わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多…
律法より上位の判断基準に従うこと-それは不義な者たちのためにある- フェイス

律法より上位の判断基準に従うこと-それは不義な者たちのためにある-

しかし、わたしたちは、律法は正しく用いるならば良いものであることを知っています。すなわち、次のことを知って用いれば良いものです。律法は、正しい者のために与えられているのではなく、不法な者や不従順な者、不信心な者や罪を犯す者、神を畏れぬ者や俗悪な者、父を殺す者や母を殺す者、人を殺す者、みだらな行いをす…
十字架って何でしょう-砕かれるべきものとは? フェイス

十字架って何でしょう-砕かれるべきものとは?

クリスチャンがよく陥る罠が十字架における自己の死だ。これを宗教的に自分勝手に理解して、自我を否んで~、自我を十字架につけて~、自分は何もしない・・・、と。これでいわゆるクルシチャン化したり、受動性の罠に陥る。 受動性の問題 十字架は生まれついてのアダムにある古い人由来の魂(soul)由来のエネルギー…
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