AD70

新約世界は富士山から出発したかもしれないと再建主義者 歴史

新約世界は富士山から出発したかもしれないと再建主義者

最近の富井氏の主張はどんどんトンデモ系になりつつあるような・・・・。CLIPしておきます。 新約世界は富士山から出発したのかもしれない 5.ユダヤ民族の役割が終了した紀元70年に、神殿の役割も終わった。世界は新しいシステムに移行した。ある特定の山がエデン山ではなく、ある特定の場所がエデンの園ではない…
3.5年は35年を意味すると再建主義者 フェイス

3.5年は35年を意味すると再建主義者

このところの富井氏の論考は実に興味深い。最初の七人のうちのひとりにして、八番目である人物を、ネロの復活であるティトスと同定しているが、これは参考になる。 聖書はティトゥスを偽メシアとして描いている ところが本日の記事を読んで目が点になった。啓示録12章の荒野に逃げる女についてはこう書いているのだ。 …
「イエスの復活は中間的復活」と再建主義者 フェイス

「イエスの復活は中間的復活」と再建主義者

最近の富井氏の一連の記事は、彼の終末論を提示している。ちょっと分かりにくいが、AD70年に携挙も再臨もあったとし、現在は千年期、そして全世界が福音化されて後、二度目の再臨があるとする点は一貫している。また現在のわれわれの携挙とは肉体の死のことであり、死後ただちに霊の体を得ると言う。 紀元70年以前に…
黙示録はAD60年代に成立と再建主義者 フェイス

黙示録はAD60年代に成立と再建主義者

>>ケネス・ジェントリー『Before Jerusalem Fell』について 黙示録の執筆年代を60年代とするか、90年代とするかで終末論の理解は大きく変わる。60年代とすれば、黙示録の預言が紀元70年の神殿崩壊、イスラエル滅亡に関するものであるとなり、90年代とすればそれはわれわれの…
携挙はAD70年に起きたと再建主義者 フェイス

携挙はAD70年に起きたと再建主義者

ついに神の祝福を受けるために埴輪の恰好を実践している様子の富井氏。かれによると携挙は正しい教えだが、それは未来の事ではなく、AD70年に起きたことであると。(一度目の)再臨もAD70年にあったとするわけだが、どこをどう読むとそのような結論が出るのか?というより、再建主義の理論体系を維持するためにその…
「福音派はタルムードユダヤ人に騙されている」と再建主義者 フェイス

「福音派はタルムードユダヤ人に騙されている」と再建主義者

旧約聖書はすべてイエスにあって成就している。これが彼のドグマ。 旧約聖書にまだ成就されていない預言が存在するという教えは、イエスの否定です。イエスは「わたしは律法と預言者(つまり旧約聖書)を成就するために来た」といい、十字架上で「成就した」と宣言しました。エゼキエル書の神殿は、イエスの復活によって成…
携挙はすでに起きたと再建主義者-携挙も再臨も二種類- フェイス

携挙はすでに起きたと再建主義者-携挙も再臨も二種類-

携挙はすでに紀元70年までに終わっています。なぜならば、パウロが「生き残っている私達が・・・」とテサロニケ教会の人々に語っているからです。パウロは明らかに同時代に携挙があり、再臨があると信じていました。もし携挙が未来にあり、再臨が未来にあるならば、パウロがここで述べたことは「外れた」ということになり…
紀元70年と81年に裁きは行われたと再建主義者 フェイス

紀元70年と81年に裁きは行われたと再建主義者

最近、次々に新しいことを言い出している再建主義者の富井氏。千年期はすでに十字軍時代に終わって、現在は黙示録20章のサタンの復活の時代であると(Rev 20:7)。 またこのダニエルの70週の預言に関する記事では二回裁きが行われたと。彼はこの数値を象徴的に読んでいるようだ。 無駄な努力をするのをやめよ…
黙示録の成立時期はAD70前か後か? フェイス

黙示録の成立時期はAD70前か後か?

それはAD70年前か、後か・・・。後であれば再建主義は根底から崩壊する。再建主義富井氏のAD60年代説を彼の論の運び方に沿ってすでに論駁しているが、ここで面白い点がいくつかあるので、書き留めておく。 前説の根拠:富井氏の論以外にも- ヨハネはAD70年のタイタスによるエルサレム崩壊についてなんら言及…
使徒行伝3章21節の「時」とは フェイス

使徒行伝3章21節の「時」とは

再建主義者らポスト・ミレ(千年期後に再臨)といわゆるディスペンセイション主義のプレ・ミレ(千年期前に再臨)を分ける聖句はいくつかあるが、その代表的なものがこの節である: このイエスは、神が聖なる預言者たちの口をとおして、昔から預言しておられた万物更新の時まで、天にとどめておかれねばならなかった。(口…
再建主義者の「AD70年携挙&再臨説」を論駁する フェイス

再建主義者の「AD70年携挙&再臨説」を論駁する

すでに再建主義の富井氏の論はここでもできる限り正確に紹介し、その論点の難を指摘している。たとえば、「"再臨"が二回ある」とか、「黙示録の書かれた時期はAD60年代」とすることなどについては別の記事で論駁している((「再建主義」のTAGを参照されたい。))。 今回は、いわゆる教父たちが携挙や再臨につい…
“マタイ28:20の「世の終わり」は法的には紀元70年” by 再建主義者 フェイス

“マタイ28:20の「世の終わり」は法的には紀元70年” by 再建主義者

いつもの再建主義者の富井氏の論、またまた錯綜してきた感があるが、できるだけ理解に努めたい。今回、明確にマタイ28章の「世の終わり」はAD70であると宣言している。これも下にあげておいた私の記事に対する反論かもしれない。 世界の諸民族は現在法的に御国の民である 紀元70年に「イエス様は権威(支配)と国…
「肉体の死が携挙である」と再建主義者 フェイス

「肉体の死が携挙である」と再建主義者

AD70にジーザスの来臨と携挙が起きたとする再建主義の富井氏の論は先に紹介した。この中で「昇天」とは、つまり「携挙」とは肉体の死を指すのであろうかと疑問を呈しておいた。今回、私の指摘を受けてか否かは不明であるが、次のような言説をなされた。 相当ヒットをとばしているのですが 3.未来に関する預言だと思…
再建主義者はなぜAD70にこだわるのであろうか2 フェイス

再建主義者はなぜAD70にこだわるのであろうか2

富井氏による先の記事の続編が出ている。 紀元70年に死は滅ぼされた2 新しい主張は何もないが、AD70の主の「空中来臨」により当時のクリスチャンが全員ではないが携挙され、霊の体に変えられて天に生きている、ということのようだ。根拠はパウロが「生きている私たち」と言っているからだと。携挙が未来のことであ…
再建主義者はなぜAD70にこだわるのだろうか? フェイス

再建主義者はなぜAD70にこだわるのだろうか?

いつもの富井氏の記事。どうも私の指摘を意識している書いている感じがあるのだが、まあ、それは不問にしておこう。 紀元70年に死は滅ぼされた いつもどおり、AD70にキリストが再臨された、いや、今回はあえて来臨あるいは臨在としている。私が「再臨」が二回あるのは変だろうと指摘しているためかもしれない。また…
「パーシャルプレテリズムだけが正しい終末論である」と再建主義者 フェイス

「パーシャルプレテリズムだけが正しい終末論である」と再建主義者

すでに再臨が二回あるとする、すなわちAD70と千年期の後AD3,000年あたりにイエスは再臨するとし、結局のところ都合三回地上に来られることになる同氏の論については論駁し得たと思うが、改めて再建主義の富井氏の論を検討してみよう。 なお啓示録は未来の事象を予言するのものではないとする立場をプレテリズム…
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