「明らかにイエスは紀元70年に再臨された」と再建主義者
tomi 2017/09/04(月) 22:01 特定の場所や日、食物などにこだわる宗教は偶像礼拝である |
1.
フェイスブック上でも終末論は大流行だ。
アメリカ人の「クリスチャン」がすっかり洗脳されている。
トランプは終末のしるしだという。
またか。
ヒトラーが現れたら反キリストといい、毛沢東がそれだ、スターリンがそれだ、ムッソリーニがそれだ、・・・
911が起きたら終末は近いとか。
こんな与太話を、なんと1830年代(日本では江戸時代)から繰り返している。
当然のことながら、当たったためしがない。
なぜ黙示録の「わたしはすぐに来る」「これはすぐに起こることだ」という御言葉を無視するのか。
なぜマタイ24章の「これらの前兆はこの世代が過ぎ去らないうちに起きる」を無視するのか。
2.
明らかにイエスは紀元70年に再臨された。
神殿崩壊は、旧約の礼拝システムが崩壊したことを象徴している。
それ以来、神殿はキリストとクリスチャンの体になった。
・・・
旧約時代において、礼拝は、エルサレムで行った。
しかし、新約時代においては、礼拝はクリスチャンがいるところ、どこでも行える。
イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。(ヨハネ4・21)
私は、まだ支援者がいなかったころは、毎日曜日一人、車の中で行っていた。
警察に職質されると「礼拝をしています」と答えていた。
クリスチャンがいれば、いつでもどこでも礼拝ができる。
なぜならば、クリスチャンの体は神殿だからだ。
紀元70年以降、礼拝のシステムは、完全に変化した。
しかし、それはまったく新しい基準による新しい別の宗教になったという意味ではない。
旧約聖書の本質であるキリストが現れたので、「実質化」したということである。
・・・
確かに新約では旧約がキリストにあって「実質化した」ことはそのとおりだ。場所や時間は問わずに礼拝は可能となった。なぜなら霊による礼拝だから。それはスーパーナチュラルな世界にタッチすること。
が、AD70年にキリストが再臨した[1]ついでに富井氏は携挙も起きたと主張されている。故にそうなったとするのは意味不明なのだ。霊的領域の事象を地的な事件と絡めてしまっている。このマトリックスの相違は実に不思議なことである。
References
↑1 | ついでに富井氏は携挙も起きたと主張されている。 |
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