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デュナミスを知る-それは単なる聖霊派的なパワーではない

今日、いわゆるニッポンキ業界の聖霊派なる領域において、力を求める傾向が強い。「パワー・ヒーリング」や「パワー・エヴァンジェリズム」とか・・・。その根底にあるのは、自分が聖霊様(あえて彼らの用語で)の油注ぎに満たされて、自分の手からその力が流れ、しるし・不思議・癒しをなしたいという動機。あたかも聖霊を手段かのように取り扱う傾向。

そもそもいわゆる「油注ぎ」を求める傾向に対しては、ニッポンキ業界と関わって以来、実に違和感を覚えてきていることは何度も書いている(⇒ニッポンキリスト教の七不思議)。油はすでに注がれているでしょうに。それはエクレシアの頭なるキリストに注がれている。キリストとは「油注がれた者」の意味。私たちはその頭首権に服すれば自然と油が垂れて来るのだ(詩編133篇参照)。それは個々の肢体に注がれるのではない。頭に注がれているのだ!

御霊と人の関わりについて―油注ぎと油塗り-

一方で、聖書が完成している現在においては聖霊の働きも、霊の賜物もないとする向きもある。彼らは謹厳実直にキリスト教の礼拝儀式のお努めに励むご苦労様な人々である。が、聖霊の働き無くして、どうして人が救われようか。神のリアリティーはすべて聖霊が実体化して下さるのだ。そもそも誰がそんなことを決めたのであろうか?

いのちと賜物について

さて、パウロは宣言している―

神の国は言葉(ロゴス)にではなく、力(デゥナミス)にある-1Cor 4:20

Dunamisは「力」と訳されているが、これも日本語の世界で考えてはならない。もっと豊かな意味を持っているのだ。Thayerによると

Thayer Definition:
1) strength power, ability
1a) inherent power, power residing in a thing by virtue of its nature, or which a person or thing exerts and puts forth
1b) power for performing miracles
1c) moral power and excellence of soul
1d) the power and influence which belong to riches and wealth
1e) power and resources arising from numbers
1f) power consisting in or resting upon armies, forces, hosts

しるし・不思議・奇跡・癒しなどをなす能力はもちろんであるが、「魂の洗練(エクセレンス)」や「富と豊かさを得る能力」も含まれている。私たちの魂はアダム系にあって生きてきた過程において、不健全なSoul Tie(魂の結びつき)や自己および他者の罪に基づく傷によって、魂のエクセレンシーを失っているのだ。

ジーザスを信じた私たちは、霊がスーパーナチュラルに再生された新しい創造である。が、この魂は旧い体の一部である大脳とリンクしている。いつも私が言う大脳辺縁系の問題を抱えているのだ。これがクリスチャンの抱えるあらゆる葛藤のルーツである。この魂がエクセレンシーを得るほどに、大脳のネットワークも組み変えられ、あらゆる領域で繁栄することができる。ヨハネが祈るとおりである。

あなたがたの魂が繁栄しているように、あなたがたがあらゆることで繁栄し、健やかであるようにと祈る。-3John 1:2

私たちはすでにキリストのマインドを持っている(1Cor 2:16)。が、私たちの旧い大脳の影響により、キリストのマインドが私たちの魂のうちに広がらないのだ。そこでもろもろの問題や病気や欠乏を抱えたとき、旧いマインドの反応をせざるを得ない。私たちはキリストと共に天にいるのであるが(Eph 2:6)、その天的御座からの見方・考え方ができないのだ。こうして袋小路に自分を閉じ込めてしまう。

しかし、マインドがトラスフォーム(メタモルフォーシス)されるほどに(Rom 12:2)、私たちの魂の中で、キリストが見るて考えるとおりにマインドが作動し、すなわちキリストのマインドが展開するならば、私たちは常にあらゆる恐れ・不安・葛藤・絶望・無価値感・欝・自己疎外感・焦りなどなどから解放される。ゆえにパウロは勧めている。

兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき理性的な礼拝である。あなたがたは、この世の形に形作られてはならない。むしろ、思いを新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。-Rom 12:1-2

まず、なすべきは体を捧げること。これが理性的な礼拝。その後にマインドのリニューアルによってトランスフォーメーションされる。この体が旧い創造に属するゆえに、まずは体を主の御手の下にまず置く必要があるのだ。こうして魂のエクセレンシーを回復されればされるほど、私たちの魂は繁栄し、あらゆる領域で繁栄する。体・魂・霊のすべての層において健やかにされる(⇒人の構成)。これが主観的ホーリネスだ。

神のデゥナミスはこれを可能にする。

このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの栄光(原語)は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである。あなたはわたしのたましい(原語)を陰府に捨ておかれず、あなたの聖なる者に墓を見させられないからである。-Ps 16:9-10

かくして魂のマインドで何を考えるかはきわめて重要。マインドは私たちの存在を決定するからだ。箴言に次のようにある(邦語訳はいつもどおり不適切)。

For as he thinketh in his heart, so is he:(彼はその魂で考えるとおりの人間だ)-Prov 23:7

ここの「heart(心)」とある部分は、原語では”nephesh”であり、「魂」が適切。この場合、マインド(思い)はブレインのニューロンネットワークである回路を書き換え、人格として実体化されるのだ。私たちのマインドのパワーのひとつの証明である。

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