フェイス, 科学

神とマインドの場を共有する

今週のメッセとも関連するが、マインドのあり方が霊的経験と密接に関係する。

「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。-1Cor 2:16

私たちのマインドの場(フィールド)がある広がりを有していることを書いた。いわゆる気配とか殺気、あるいは分裂病者のプレコックス感などはこの場が影響するためだ。ちょうど磁石の周りに砂鉄を置くと見ることができる磁場と同様に、私たちのマインドは場を形成している。初対面で理由はないのに「いけ好かない」と感じたり、逆に何年も知っているかのような親しみを覚えたりすることがあるが、これもその場の影響による。磁石のN極同士は反発し、NとSは引き合うように。

私たちはつねにこのような場の中に置かれ、互いに影響されたり、影響を与えたりする。かつての大日本帝国が無謀な戦争に突入した時も、この国家全体がそのような場に置かれたためだ。個人の意見は封殺され、相互監視体制、一億火の玉・・・といった社会の雰囲気が生まれる。最近もややそのような臭いを感じるところではある。敵はこうして世の中を誘導するのだ。

同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。-Gal 4:3

彼らは空中の権を持つ者と呼ばれる。

わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。-Eph 6:12

この「天」とは第三の天ではなく、第二の天である。未信者の場合、自動的にこの霊の場に置かれ、絶えずその影響下にあるのだ。しかも無意識的に。まさか自分が悪の諸霊の影響を受けているとは思いもしないだろう。こうしてサタンは全世界を欺いている(Rev 12:9)。クリスチャンであっても、神の御言葉に明け渡していない領域、自分が出張る領域は同じ状態である。特に自分のウリにする部分はまずやられている。

自分を放棄し、神に明け渡し、委ねることができた領域は、御霊の領域とされ、神の国の実際が展開する領域となる。それは神のマインドの場であり、私たちのマインドもつねに神のマインドを共有するようになる。自分のしたいことが即神の御旨となる。あえて神の御旨を問うまでもない。マインドが溶け合っているからだ。キリストのマインドがそのまま私のマインドに展開する。Bill Johnsonが面白いことを言っている:

When we submit the things of God to the mind of man, unbelief and religion are the results. When we submit the mind of man to the things of God, miracles and the renewed mind are the results.
(神の事柄を人間のマインドに委ねれば、不信仰と宗教を生む。人間のマインドを神の事柄に委ねれば、奇跡と新たにされたマインドを生む。)

そして神の究極の目的は(宗教的な人々よ、つまづくことがないように!)

God wants our minds to be renewed so that our will can be done.
(神は私たちの意思がなされるためにマインドが新たにされることを願われる。)

なぜ?メッセでも語ったが、創世記を見てみよ。

主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。-Gen 2:19

神はアダムに口出ししてはいないのだ。任せている。さらにかのサウルに対してすら神はこう言われた。

「主の霊があなたに激しく降り、あなたも彼らと共に預言する状態になり、あなたは別人のようになるでしょう。これらのしるしがあなたに降ったら、しようと思うことは何でもしなさい。神があなたと共におられるのです。・・・」
サウルがサムエルと別れて帰途についたとき、神はサウルの心を新たにされた。以上のしるしはすべてその日に起こった。-1Sam 10:6-9

ここで「心」とある単語はlabe、Strongによると”the heart; also used (figuratively) very widely for the feelings, the will and even the intellect;”。つまり感情、意志、マインドまでを含む(cf.霊の機能と魂・体の相互作用について)。ゆえに「サウルですら預言者か」と、ことわざになったほどだ。Are U with me?

結論はこうだ:神はマインドが新たにされた人には全権を委ねて下さるのだ!「何でも求めるものはかなえてあげよう」と白紙小切手を下さる。WOW! このことに抵抗を覚える人は、はっきりと言うが、宗教の霊に侵されている。聖書は宗教の書でないし、イエスはキリスト教の教祖でもない。神が天を裂いて、その霊的領域から物理的時空間に介入された証が聖書であり、イエスである。全宇宙を創造された方が、被造物の世界に介入されている、今もだ!

しるし・不思議・奇跡は新たにされた思いにとっては自然なことなのだ。宗教の霊の場に置かれている者は見ることもできないし、求めもしない。そんなことは低級なことだとかのたまって・・・。かつての私がそうだった。今後、ステージ4のガンが当たり前に癒され、むしろ癒されないことが信じられない事態になるだろう。否、すでになりつつある。神の国にガンはないし、神はガンの源でもないし、盗み、殺し、滅ぼすのはあの者の仕業。神の御旨ではない!神の御旨は癒し。私たちの魂が繁栄するほどに、あらゆる面で繁栄し、健やかであることができる(3John 1:2)。

私のリアリティーは私の心が生み出すのだ。

SO BE IT!!!

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