フェイス

フェイス・アウェイクン-フェイスを使え

またこの12月、『スターウォーズ/最後のジェダイ』が封切られる。前作『フォースの覚醒』の続編だそうだ。ニューエイジ系の内容であることはすでに明らかであるが、そもそもニューエイジは聖書のパクリである。われわれ的には『フェイスの覚醒』だと何度も指摘している。

イエスは答えて言われた、「神のフェイスを持て(原語)。よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。 そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。・・・」-Mark 11:22-24

私たちはよく祈った後も頭でいろいろと心配したり、信じられなかったりすることがある。するとすぐにこう結論する、自分は不信仰だ、ゆえに得ることができない、と思ってしまうのだ。しかしイエスが言っていることをよく読んで欲しい。

彼が言うのは頭で疑うな、ではない。心で疑うな、だ。私たちの思い(マインド)は霊と魂の接点。だから敵が放つ火の矢が飛び交う戦場なのだ。そこで飛び交う想いを自分のものとして受け入れて、それを思いめぐらすと不安や恐れなどで脅かされる。それを入口で拒絶すべきことをメッセでも語っている。

つまりマインドで何が展開していようが、心で信じているならばOKなのだ。私自身、自分が経験した癒しを頭では未だに信じられないのだ。が、癒しの事実は現れた。え?どうやって心で信じていることが分かるのかって?キリストの言葉(レーマ)を聞くこと。それは霊が知っている。

I KNOW THAT I KNOW!

否定しようがないのだ。例えば、イエスが処女から生まれた事実をマインドではいくらでも否定できる。しかし心、もっと言えば霊の中では決して否定できない。そのサブスタンスを得ているからだ。フェイスのサブスタンスは一度得られるならば、マインドの影響は受けない。「得た」と分かる。

かくして『スターウォーズ』では「フォースを使え」が常套句だが、われわれは「フェイスを使え」だ。

いま、フェイスとは望まれるサブスタンスであり、観察されていない事実の現出である。-Heb 11:1(私訳)

ここの「事実」は”pragma”、Thayerによると:

Thayer Definition:

1) that which has been done, a deed, an accomplished fact
2) what is done or being accomplished
2a) spec. business, a commercial transaction
3) a matter, question, affair
3a) spec. in a forensic sense, a matter at law, case, suit
4) that which is or exists, a thing

それは完了している事柄。今、ここに、存在しているモノ。spiritual realmにおいては厳然たる成し遂げられた事実。だからイエスは物理的には死んでいるラザロを呼び出した。イエスの内面の事実はラザロはすでに生きていたのだ。神はないものをあるものとして呼ぶ方であり、それと同じことをイエスは人間としてデモンストレーションされた1)イエスは悪魔の「神の子なら・・・」という囁きに、「人は・・・」と答えている。もし彼が神の子として対応したらわれわれとの接点は失われる。また使徒行伝10:38(Acts 10:38)には「イエスは聖霊に満たされ、神が共におられたのでそのわざをなした」とある。神として行っていたら、「神が共にいたので」という理由はナンセンスだ。また悪霊を追い出すにも「わたしが神の霊によって追い出しているなら」と語った。これらはいずれもイエスはあくまでも人として振る舞っていることを証明している。もちろん彼の二性一人格論(ヒュポスタティック・ユニオン)を否定するものではない。信じるならば私たちも同じことができると(John 14:12)。まことにわれわれの得ているフェイスのポテンシャルはすごいものがあるのだ!

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1. イエスは悪魔の「神の子なら・・・」という囁きに、「人は・・・」と答えている。もし彼が神の子として対応したらわれわれとの接点は失われる。また使徒行伝10:38(Acts 10:38)には「イエスは聖霊に満たされ、神が共におられたのでそのわざをなした」とある。神として行っていたら、「神が共にいたので」という理由はナンセンスだ。また悪霊を追い出すにも「わたしが神の霊によって追い出しているなら」と語った。これらはいずれもイエスはあくまでも人として振る舞っていることを証明している。もちろん彼の二性一人格論(ヒュポスタティック・ユニオン)を否定するものではない。
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