道は冲(むな)しきも、これを用うれば或た盈(み)たず。-老子第四章

霊の空っぽの者は幸いである。―マタイ5章2節

誤訳に基づく妄想的三浦綾子ワールドなどを読むよりは老子を読めと言いたい。真の道(タオ)はジーザスである。

※全文:道は冲(むな)しきも、これを用うれば或た盈(み)たず。淵として万物の宗に似たり。その鋭を挫(くじ)いて、その紛を解き、その光を和げて、その塵に同じくす。湛(たん)として存(そん)する或るに似たり。われ誰の子なるかを知らず。帝の先に象(に)たり。

老子は宗とか帝(創造主)を意識しているのだ。ただ、それが誰であるかは分からないがとも。

追記:FBフレンドである肥田日出夫(鹿島春平太)先生のご指摘:中国語訳ではヨハネ1章1節の言葉(ロゴス)は道(タオ)となっているそうです。

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カテゴリー: フェイス漢詩異見

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