再建主義の富井氏による霊・魂・体の解説、「人間の構成要素」。黙示録の解釈はさておいて、ほぼ私の理解と同じだ。一部、キリストは法的に内住するだけだとかの意味不明な部分もあるが[1]キリストは、今は、いのちを与える霊(1Cor … Continue reading。シェーマとしては、<聖霊⇒私の霊⇒魂⇒体⇒神の国の現出>。これはすでに述べてきている。あとは旧約と新約がまったく異なる次元にあることに気がつかれることを期待するところ(上図参照)。

再建主義の現在千年期説は黙示録がAD60年代に成立していないと崩壊する。これについてはこちらで指摘している。

 

引用
tomi 2017/11/19(日) 12:19

人間の構成要素3

1.

「われわれのうちにいるイエス・キリスト」という表現は厳密に言うと間違いである。

イエス・キリストは天におられる。

イエスが天におられないと聖霊が下らない。

・・・もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。(ヨハネ16・7)

人類にとって正常な姿とは、聖霊が下り、聖霊にあってイエス・キリストが支配されることである。

イエス・キリストご本人は、天におられ、全世界を支配しておられる。

イエス・キリストと聖霊は一体なので、聖霊がわれわれのうちにおられるということは、イエス・キリストもおられるということである。

それゆえ、イエス・キリストの臨在はあくまでも「法的なもの」である。

イエス・キリストは、「法的に」われわれとともにおられる。

「実際的に」われわれとともにおられるのは、聖霊である。

2.

われわれの肉体は「聖霊の宮」つまり「神殿」であるから、われわれの肉体は、神殿が象徴する天である。

天には御父と、その右の座にイエス・キリストがおられ、「王と将軍」として存在する。

それゆえ、われわれの肉体にも、御父とイエス・キリストが「王と将軍」として「法的に」臨在される。

なぜならば、御父とイエス・キリストと聖霊は一体だからである。

聖霊にあって、御父とイエス・キリストはわれわれの肉体に「法的に」存在し、指令を発し給う。

われわれのたましいは、その指令を受けて、自分の肉体を動かし、ことを実行する。

神の栄光と御国の拡大のために行動するときに、この地上に神の御支配が広がり、サタンのそれは縮小される。

われわれの人生は、このためにある。

自分の王国拡大のために働こうとするクリスチャンがいれば、その人は、聖霊を通じて与えられる御父とイエス・キリストの命令を無視している。

自分の栄光、自分の権力、自分の権威、自分の資産、自分の家族、自分の仕事、自分の・・・

至聖所において聖霊にあって君臨しておられる御父とイエス・キリストの命令が届かず、自分がその真ん中に座り、神を右の座に座らせている。

逆である。

神が中央に座り、われわれが右の座に座らねばならない。

神は王、われわれは将軍である。

3.

また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。(黙示録22・19)

黙示録のみ言葉を少しでも改ざんする者は、「いのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる」、つまり、救いの取り消しである。

イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。(黙示録1・1)

黙示録の預言は「すぐに起こるはずの事」に関する。

誰にとって「すぐに起こるはず」なのか。

黙示録の読者である。

紀元1世紀に小アジアにあった7つの教会のクリスチャンたちである。

彼らにとって「すぐに」起きるというのであれば、黙示録は「紀元1世紀」に起きるはずである。

それなのに、現代のディスペンセーショナリズムの教会では、黙示録はわれわれの未来に起きるという。

大患難がやってきて、666の反キリストが世界を支配すると。

このような解釈は、実質的に「黙示録の改ざん」である。

だから、ディスペンセーショナリズムの解釈を採用するクリスチャンは、救われることを期待してはならない。

うちにおられる聖霊のみ声を聞いて、神を至聖所の中央に座らせ、自分は右の座に座れば、素直に解釈できるようになる。

tomi 2017/11/18(土) 14:35

人間の構成要素2

天は至聖所の本体である。

つまり、至聖所は天を象徴する。

イエス・キリストが受肉する以前、至聖所には神だけがおられた。

しかし、イエス・キリストが受肉され、真の人間として復活され、昇天されてから、至聖所である天には、神とイエス・キリストがおられる。

そして、イエス・キリストにあって勝利したすべての人々、つまり、昇天したクリスチャンも至聖所にいる。

それだけではなく、われわれ地上にいるクリスチャンも、至聖所にイエスとともにいる。

キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。(エペ2・6)

われわれは、昇天したクリスチャンたちと一体であり、一人の人として、イエス・キリストの花嫁であり、イエス・キリストの体である。

つまり、われわれと昇天したクリスチャンたちは、契約的にキリストと一体である。

それゆえ、天には、神とイエス・キリストの2人がおられる。

至聖所にいる神と人間。このモチーフは、われわれの肉体についても言える。

神殿であるわれわれの肉体に存在する至聖所には、われわれのたましいと、聖霊がおられる。

われわれが最終指揮権を聖霊に与えている場合、われわれは、副官となる。

聖霊は王、われわれは将軍である。

天において、神は王、イエス・キリストは将軍である。

イエス・キリストは、ご自身の御体である教会を用いて、地上を制圧する戦いを進めておられる。

最終的に地上をすべて支配したら、全体を神に献上する。そのとき、歴史が終わり、永遠の世界が到来する。

王である聖霊はわれわれの肉体のうちにいて様々な指令を発し給う。

われわれのたましいは、その指令に基づいて行動する。

このような主従関係が存在する。

聖霊が主でない場合、その人の存在そのものがむなしくなる。

なぜならば、本来の目的に従っていないからである。

人間が創造された目的とは、王である聖霊が支配する肉体を用いて、神の国を発展させることにある。

アダムが失敗したので、聖霊が去った。

キリストにより、クリスチャンには聖霊が与えられた。

聖霊が王として君臨され、われわれのたましいはその命令に従って肉体を動かし、神の国を建設する。

クリスチャンに聖霊が与えられたのは、元初の人間の働きを再開するためである。

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1 キリストは、今は、いのちを与える霊(1Cor 15:45)だから、時空間に制限されていない存在。富井氏の頭はまだ五感の時空間に束縛されているようだ。上の図で分かるとおり、彼の主張はこの霊的領域と物理的領域が分離されていないことによるのだ。

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