フェイス, 科学

論理学から見る死者の復活

数学では公理と言われる前提から論理に従って定理が生み出される。この公理は自由に取ることができる。例えば、ユークリッド幾何学においては、「二本の平行な直線は決して交わることがない」とする。まあ、われわれの常識においてはOKだ。が、「交わる」としても矛盾なく幾何学(非ユークリッド幾何学)を構築できるのだ1) この”無矛盾“なる体系を構築するのが数学なのだが、ゲーデルによると無矛盾な公理体系の中で肯定も否定もできない命題があることが示された。これを「ゲーデルの不完全性定理」という。

さて、そこでわれわれは「フェイスの公理:聖書は(その原典において)誤りのない神(=宇宙の創造者)の言葉である」ことを公理として受け入れよう。これはもちろん拒絶することもできる。これを受け入れることはシックスセンス(五感を超えた超感覚)であるフェイスによるのだ。

というわけで、これからの論証は、聖書は真実を記録しており、イエスは復活したことを信じている人に対するものである。そもそも聖書の真実性やキリストの復活を認めない人には無意味なものであると言っておく。そのような人々(つまり「フェイスの公理」を拒絶する者たち)を折伏するつもりはもとよりないので、あらかじめ・・・。

さて、聖書にはこうある:

死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。-1Cor 15:13

よく読んで欲しいが、ここで大切なのは、このパウロの命題の対偶を取ると2) 命題「p⇒q」(「pならばq」と読む、英語では”p implies q”:pはqを意味する)は、言い換えると、「『pであってqでない』ことはない」(たとえば、「雨が降るならば傘をさす」とは、「『雨が降っているのに傘をささない』ことはない」という意味)だ。記号では「¬(p∧¬q)」。一方対偶は「¬q⇒¬p」(qでないならばpではない)。言い換えると「¬(¬q∧¬(¬p))」すなわち、「¬(¬q∧p))」となり、元命題と同値。対偶は元命題の言い換えなのだ。、「キリストが復活したのであるから、死者の復活もある」となる。ARE YOU WITH ME?

かくして、聖書を神の言葉と信じると宣言する以上は、死者の復活があることを認めざるを得ないのだ。仮にあなたの経験の範囲においてはそのような現象がなかったとしても、だ3) 自然科学は「これまで見てきたカラスは黒いので、すべてのカラスは黒い」と結論する。具体例から一般則を導く手法を帰納法と言う。が、元より全カラスを調べたわけではないから、これはあくまでも不完全。対して、数学においては完全帰納法を用いる。同様に、あなたがこれまでの経験で死者の復活を見たことがないとしても、それが「全くない」とは結論できないわけ。。ここでわれわれは真の遜りを求められる。私が信じるのは、自分の経験(常識)か、神の言葉か・・・。主は言われた:

だれでもわたしに従う者は、自分を否み、自分の十字架を負って、わたしに従いなさい。-Luke 9:22-23

ここにわれわれのマインドのトランスフォーメーションが必要となるのだ(Rom 12:1-2)。そもそも、私たちのうちにある世界モデルは一種の幻想、あるいはマトリックスであると知り得た者は幸いである。神のマトリックスに転帰すること―これがフェイスによる霊的跳躍(スピリチュアル・リープ)である。そのとき、神のマトリックスの広い世界に入り込み、その豊かさを享受できるのだ!

かくして幼稚かつ曲がりくねったキリスト教神学などでマインドをかき回されないこと。ソロモンも言っている:

ただし見よ、見いだしたことがある。神は人間をまっすぐに造られたが人間は複雑な考え方をしたがる、ということ。-Eccl 7:29

対してジーザスは言われた:

信じる者にはすべてが可能である。-Mark 9:23

この「すべて」は文字通り「すべて」である4) これを全称命題という。。あなたのオツムで「すべて」の領域を勝手に設定しないように。ジーザスのマインドにおける「すべて」である。もしあなたが例外があるとすれば、ジーザスを嘘つきとすることになる。あなたにはその勇気があるだろうか?

ここでわれわれはすでに得ているキリストのマインドをアクティベーションする必要があるのだ(1Cor 2:16)。ジーザスの考えたように考えること。一度われわれの常識や先入観を崩していただく必要があるのだ。破壊と創造だ。これを死と復活の原則と呼ぶ。まさに神はこの原則に基づいて永遠のみわざを達成されたのだ。

わたしたちはバプテスマによってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。・・・ わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。-Rom 6:4-8

この新しいいのちの領域はフェイスによって生きる領域。そこには時空間や五感の制限はない。フェイスする者にはすべてが可能なのだ!

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1.  この”無矛盾“なる体系を構築するのが数学なのだが、ゲーデルによると無矛盾な公理体系の中で肯定も否定もできない命題があることが示された。これを「ゲーデルの不完全性定理」という。
2.  命題「p⇒q」(「pならばq」と読む、英語では”p implies q”:pはqを意味する)は、言い換えると、「『pであってqでない』ことはない」(たとえば、「雨が降るならば傘をさす」とは、「『雨が降っているのに傘をささない』ことはない」という意味)だ。記号では「¬(p∧¬q)」。一方対偶は「¬q⇒¬p」(qでないならばpではない)。言い換えると「¬(¬q∧¬(¬p))」すなわち、「¬(¬q∧p))」となり、元命題と同値。対偶は元命題の言い換えなのだ。
3.  自然科学は「これまで見てきたカラスは黒いので、すべてのカラスは黒い」と結論する。具体例から一般則を導く手法を帰納法と言う。が、元より全カラスを調べたわけではないから、これはあくまでも不完全。対して、数学においては完全帰納法を用いる。同様に、あなたがこれまでの経験で死者の復活を見たことがないとしても、それが「全くない」とは結論できないわけ。
4.  これを全称命題という。
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