著書でも指摘したが、映画マトリックスには、聖書の多大なる影響がある。名称もトリニティとか、ザイオン(シオン)とか、メシアとか・・・。たとえばこういった発言がある。

われわれがリアリティーと思い込んでいる世界は単に五感を通して伝達された電気信号と神経回路が生み出したモノに過ぎない。青いカプセルは平々凡々の世界に生きる道、対して真のリアリティーは赤いカプセルを飲む時に経験する世界であると。そしてその世界での操作が五感の世界に現れ、あるいは逆に電話でのリクエストにより五感の世界のリアリティーを変える。なにかを実現しようとするな、それはならない。すでになっていると知れ。すると現れる。

なんでも願い求めたものは、祈るときすでに得ていると信じなさい。するとそのとおりになる。-Mark 11:22

神はいつか癒して下さるだろう、はフェイスではない。単なる願いであり、希望に過ぎない。はっきり言っておくが、それでは決して癒されることはない。

かくしてわれわれも同じ。イエスという門、ポータルを通して、私たちはこの五感の世界と霊の領域を出たり入ったりする。

わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。-John 10:9

きわめてダイナミック。出たり入ったりする。どことどこを?ニューエイジではよくチャネルと言うが、霊的世界とアクセスするチャネルはいろいろある。ニューエイジャーは確かにそのチャネルのどれかを通して出たり入ったりし、スピリチャアルワールドとコンタクトしているのだ。が、イエスは言われる:

よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。-John 10:1

われわれが五感で感知する世界はリアリティーのごく一部に過ぎない。繰り返すが、ニュートリノはわれわれのボディを1秒間に1兆個貫通しているのだ!感じる人、いますか?いわゆる思想・哲学、科学、音楽、芸術・・・といった人間が生み出した文化は所詮五感の世界の存在に過ぎない。確かにそれらは美とか、秩序とか、神秘とか、何らかの神の属性を表現するものではあるだろう。

が、それは所詮、影だ。神の領域のサブスタンスがこの五感の領域に投影されたものだ。クリスチャンはそのようなものを楽しむことはまかりならん(これは宗教)、ではないが、その追求のみで終わるべきではない。私たちが生きる領域は影の領域ではない。サブスタンス、すなわち実体そのものの領域である。

この五感の世界は今後ますます混迷を深め、それらの影は所詮影であることが明らかにされる。五感を超えた世界、すなわちスーパーナチュラルな世界に、フェイスというこれまた五感を超えたシックスセンスによってタッチすること。そしてそのサブスタンスをこの五感の世界にヨハネが証するとおり、タンジブルに、すなわち目で見て触ることが出来る形で現出させること。

今回、メッセでも映画『ダークタワー』のデュアルワールドを結ぶポータルを紹介した。このメッセもいわゆるキリスト教という宗教の領域(マトリックス)に生きる人々にはある種の挑発となるであろう。が、フェイスに覚醒するとき、それこそがリアリティーであると分かるのだ。フェイス(エミュナ)とはマトリックス・シフテドだ。

さあ、あなたは赤いカプセル青いカプセルのどちらを飲むのだろうか?

5 1 vote
Article Rating

Subscribe
Notify of
guest
0 Comments
Inline Feedbacks
View all comments
Translate »
0
Would love your thoughts, please comment.x
()
x