iDLE UTTERANCE
Dr.Luke的日々のココロ


先の藤巻氏の最新作『日銀破綻』に対する三橋貴明氏の批判を紹介しておこう。かなり辛らつに誤りを指摘しているのでけっこう面白い。藤巻氏は2000年初頭から日本は破綻すると叫び続けているモルガン・スタンレーの元ディーラーで、現在国会議員をされている方。
その論は-現在の国債残高はすでに一千兆を超えており、返済不可能。いずれその金利払いに自己資本を費やし、[1]日銀の借り方の資産に国債が計上され、貸方の負債に当座口座が乗るが、これに対する金利のこと。日銀は債務超過に陥り、円や株は暴落し、ハイパーインフレを招くとする。これに対する三橋貴明氏の反論はきわめて適格だ[2] … Continue reading。
References[+]
↑1 | 日銀の借り方の資産に国債が計上され、貸方の負債に当座口座が乗るが、これに対する金利のこと。 |
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↑2 | ちなみに私自身もかつては藤巻理論を支持していた者であるが、日銀が政府の子会社であり(株の55%を政府が保有)、連結決算ができると知り、考えを改めた。日銀破綻論者はいずれB/Sのダイエットを図るために国債を売るとし、その際は金利が暴騰すると主張する。が、国債を売る必要などはまったくないのだ。また国債を買う資金である個人金融資産がいずれ底を尽くとするするが、因果関係が逆で、国債を発行することによりマネーが生まれるのである。前から指摘しているとおり、マネーは誰かの負債であり、それを引き受けるのが政府であり、日銀である。その際の仕分けは、政府:<日銀当座口座/国債>、日銀:<国債/当座口座>。この当座口座から市中金銀はマネーを得るのだ。複式簿記の仕組みが理解できている必要がある。 |

この発言はけっこう重大なポイントかもしれない。
「契約的に生まれた」とは「法的に生まれた」と同義である。
あたかも「養子縁組によって成立した親子関係」のようである。
存在論的に父ではない人が、存在論的に子ではない人を「子にする」のが養子縁組である。
御父と御子の関係は養子縁組の親子関係であると・・・・。聖書にはこうあるのだが。
イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。-John 14:9-11
どうも再建主義ではいのちの関係、いのちの共有という面が開かれていないようだ。これはモーセ律法といのちの御霊の法則の関係にも関わること。また彼は、キリストは昇天し、天におられるが、聖霊が私たちのうちにおられるゆえに、契約的にキリストもうちにおられるとする。これは意味不明である。ジーザスは明確に言われた:
わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。
かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。
イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。」-John 14:18-23
御父と御子、そして御霊はエロヒムとしての霊的生命体としてひとつである[1] … Continue reading。私たちの霊もエロヒムの霊を分与されたものであり、私たちもエロヒム属としてYHWH家の一員とされた。それは単に法的関係ではなく、実質的ないのちの関係(=霊的DNAの共有)である。中村家に生まれた者は人属としてのいのちを得て、中村家の一員である。それは単なる法的関係ではない。DNAを共有するのだ。もちろん親と子は人格は異なるが、実質的に同じいのちを共有する。聖なる三位格も同様であり、同じエロヒム属としてのいのちをシェアする私たちもその交わりに預かるのである。
初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。―この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。―わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。-1John 1:1-3
なぜなら私たちのいのちはキリストであり、神のうちにキリストとともに隠されているからだ。
あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。-Col 3:3
それは単なる契約の関係ではなく、同質のいのちを共有する関係である。
tomi 2018/11/27(火) 22:10
神は存在論的には多、契約的には一である
1.
「存在論的に誕生した」と言ったら「存在していなかったものが、存在するようになった」ということである。
それゆえニケア信条の「神よりの神」「光よりの光」がもし存在論的にそうであるというならば、それぞれ「存在しなかった神が存在する神から出た」「存在しなかった光が存在する光から出た」という意味になる。
これは「御子は、存在する神である御父から創造された」ということを意味し、当然の帰結として「存在しなかった時代があった」ということを示す。
それゆえ、このことを主張する人は、ニケア信条の「主の存在したまわざりし時あり・・・と宣べる者らを、公同なる使徒的教会は、呪うべし」の規定に該当するので、教会は彼または彼女を除名すべきである。
では、「神よりの神」「光よりの光」は、どのように解釈すべきか。
「御子は御父より『契約的に』発出した」のである。
「存在しなかった時が一時もない御子」が「存在しなかった時が一時もない御父」より「契約的に生まれた」のである。
「契約的に生まれた」とは「法的に生まれた」と同義である。
あたかも「養子縁組によって成立した親子関係」のようである。
存在論的に父ではない人が、存在論的に子ではない人を「子にする」のが養子縁組である。
しかし、法的には「子」であるから、父の遺産を相続できる。
存在論的三位一体と、契約的(または経綸的)三位一体を区別すべきである。
2.
第一位と第二位の神の間には、存在論的に父子関係はない。
存在論的には「同質」「同等」「同権威」「同権力」「同永遠」である。
しかし、契約的(法的・経綸的)には「上下関係」「父子関係」が存在する。
イエスは「わたしは去って行く」と言われ、事実、昇天された。
しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。(ヨハネ16・7)
こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。(使徒の働き1・9)
イエスはこの昇天後、現在に至るまでずっと「天におられる」。
しかし、イエスは、弟子たちに「わたしはあなたがたとともにいつもいる」と言われた。
・・・見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28・20)
これは「契約的に」である。
イエスは、存在論的には天におられるが、契約的にはわれわれとともにおられる。
なぜならば、御霊がわれわれとともにおられるからである。
昇天後イエスは「助け主をあなたがたのところに遣わ」された。
それがペンテコステである。
ペンテコステ以降、御霊はわれわれとともに常におられる。
御霊がおられることは、イエスがおられるのと同然である。
なぜならば、イエスと御霊は契約的に一人だからである。
父、子、聖霊は、「法的に一人」なので、御霊がおられることは、イエスがおられることと同義である。
この三位が「存在論的に一人」であるならば、イエスが昇天されたら御霊も天におられる。
父、子、聖霊は、三者とも天におられ、地上にはおられない。
逆に、聖霊が地上に下ったのであれば、父、子、聖霊も地上におられ、天にはおられない。
「存在論的に一人」と解釈すると、聖書の無数の箇所を解釈できなくなる。
「いや、神は空間的にも絶対だから存在論的に一人でも、天にも地上にも同時におられる」というだろうか。
では、なぜわざわざイエスは「わたしは去って行きます」と言われ「助け主を使わします」と言われたのか。
明らかに、御子と聖霊が存在論的に「他者」であるからこそ、そのような表現をされたのである。
4.
これで「神は存在論的には多、契約的には一」ということがおわかりいただけたと思う。

人は一日のうち数万回の意思決定をしているらしい。大抵は無意識になされているから、ほとんど意識に上らず、記憶にも残らない。が、このミクロな意思決定の積み重ねがマクロな人生を構成する。
意思決定-私たちが何気に行うこの行為。これが人生を、そして永遠を決める。
女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。-Gen 3:6
エバは、見た、思った、そして食べたのだ。これが人類の罪の原点。そこから死とすべての悪と悲劇が侵入し、人類を罪の中に閉じ込めた。私たちが見ること、思うことは、そのとおりに実現する。ポイントは同意の有無。エバはその木の魅力に同意した。ゆえに行動を起こした。私たちのビジョンとマインドのパワーはまことに運命を支配する。どんなビジョンを持ち、何をマインドに浮かばせるか。同意とともに思ったことは必ずなるのだ。
私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ・・・2Cor 10:5
人間の悲惨はどこから来るか。たいてい、ある時にサタンの偽りに同意している。自分は病弱だ、同意。するとそうなる。自分は貧しい、同意。するとそうなる。自分の家庭は不幸だ、同意。するとそうなる。自分は大したことない存在、同意。するとそうなる。神は私たちの幸福と健やかさを願っておられる。エデンの園におけるように、ご自身の保護と満たしによって生きることを願われる[1] … Continue reading。なぜ、あえて病気や貧困に人を閉じ込めることがあろうか。現在の地上の縞模様の様はサタンの横奪の結果なのだ。人々がサタンの偽りに同意し、受け入れているからだ。神の責任ではない。
御言葉は言う:
- 私たちは天地を造られた神の子である[2] … Continue reading。
- 私たちはキリストと共に死んで復活し、新創造とされている[3]これは文学的表現ではない。十字架以前には存在していなかった新しい種を産み出したのだ。ネオ・ホモサピエンスである。。
- 私たちは恐れを抱かせる奴隷の霊を受けたのではなく、子とする霊を受けた[4]これはエロヒムの霊。われわれの霊は単に再生されたのみではなく、YHWHエロヒムの霊を分かち与えられたものである(1John 4:13)。。
そう言われても、今の自分を見ると・・・という人は取り残される。セルフ・フォーカスの姿勢は神の真理を拒絶する。なぜなら肉の思いは神に敵対するからだ(Rom 8:7)。私たちはサタンの中傷や告発を拒絶し、これらの真理に意志を用いて同意するのだ。これらの御言葉を常に見つめ、思うこと。すると信仰が生まれ、それを語ること。するとサブスタンスがこの世界に現出するのだ。
病気の人に同情(sympathy)してはならない。貧困にあえぐ人に同情してはならない。運命を恨む人に同情してはならない。同情はその人のアイデンティティーをその状況によって肯定し、そこに固定してしまう。サタンの偽りの中に置き去りにするのだ。イエスは決して弱者や病者に同情しなかった。彼は彼らをあわれんだのだ(compassion)。日本語ではこの区別が曖昧だが、あわれみはその状況にある彼らを肯定しない。罪の赦し、病の癒し、必要の満たし、豊かないのちと生活、キングダム・ライフにある真のアイデンティティーへと彼らを引き出し、そこに確立するのだ。
イエスは盲人に「かわいそう」とは決して言わなかった。泥を目に塗り、シロアムの池に行けと命じたのだ。まだ目は開いてないのに! イエスはすでに彼の目が開くのを霊で見て、思った。そして信じて、語ったのだ。サブスタンスを明確にとらえていた。
いま、フェイスとは願うサブスタンス、まだ観測されていない事柄の現出である。-Heb 11:1(私訳)
何を見るのか。目の前の物理的状況か、霊の世界のサブスタンスか。そのどちらを思うのか。思えばその結果をいずれ得るのだ。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。-2Cor 4:18
References[+]
↑1 | アダムは罪により、アインデンティー(Identity)、保護(Protection)、供給(Provision)、委託(Assignment)を失った。私はこれを「IPPAの喪失」と呼んでいる。ジーザスは死と復活によりこれらを回復してくださったのだ。 |
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↑2 | 単なる養子ではない。それは法的関係に過ぎないが、神の霊から生み出されたわれわれの霊はエロヒム属であり、霊的DNAを共有する。すなわちわれわれは同じいのちを持つものとして、神の実子である。 |
↑3 | これは文学的表現ではない。十字架以前には存在していなかった新しい種を産み出したのだ。ネオ・ホモサピエンスである。 |
↑4 | これはエロヒムの霊。われわれの霊は単に再生されたのみではなく、YHWHエロヒムの霊を分かち与えられたものである(1John 4:13)。 |

ここでも何度も述べているが、マネーは現ナマだけではない。銀行預金もマネーである[1]マネーの種類はM1、M2、M3などに分けられている(☞マネーサプライ)。。銀行は融資する場合、現ナマに対して準備率の逆数倍まで貸し出しができる(☞タラントの行くへ、この記事の中でアベちゃん以前に2%のインフレ誘導が必要であることを指摘している。)[2]ただし、貸し出しは資産になるので、資本金の率が低くなり過ぎないように、BISなどの規制があるが。。その際の仕訳は<貸付金/現金>ではなく、<貸付金/預金>だ。その預金が借り手の側では<預金/借入金>として仕訳される。かくして日銀の紙幣発行残高は100兆円だが、個人金融資産は1,600兆! 16倍に膨らんでいる。これをみなが一斉に降ろそうとしても、現ナマは元からないのだ! これが取り付け騒ぎ。だからみんながその事実を知らずに、自分の通帳の金額だけを眺めている限りは経済は回る[3]預金と言っても庶民が預けた現ナマだけではないのだ。貸付金の預金とは、無から作られた単なる数字である。。まことに幻想のマトリックスなのだ。

TODAY’S CELEBRATION Nov 25, 2018:ギデオンとYHWHのマトリックス
●MSGタイトル:ギデオンとYHWHのマトリックス ●聖書個所 …
●MSGタイトル:ギデオンとYHWHのマトリックス
●聖書個所: Josh 24:15;Jdg 6:14-15; 7:7;7:13;8:23 etc
●2018年12月2日(土)のセレブ+交流会(メッセはありません)
・場所:ワークピア横浜B1ユーフォニー
・時間:13.30-18.00
●Web:KingdomFellowship ®
●YouTube:Dr.Luke’s Kingdom Fellowship Channel
●ApplePodcast:Kingdom Fellowship Celebration (←スマホでこのアイコンをタッチするとPodcastアプリで再生されます)
●Podcast Files:Celebration Live List (←このアイコンをiTunesにドラッグすると登録されます)
●セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。
全国有名書店で発売中
電子書籍化決定
イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。
●面白い口コミがありました:聖書は既読ですが、モーゼが杖をついたら海が二つに割れたり、イエスが一つのパンで何百人の人を養ったりと、神話的な話として読んでいました。この本を読んでからは、神話や伝説ではなく、リアリティとして感じられるようになりました。
●Amazonにて:Dr.ルーク先生には、勇気や元気を貰えます! お話を聞いたり、ご本を読むうちに「キリストの本質」が学べます。何年教会へ通っても理解出来なかったことが、数か月で分かる感じがしました。キリストは死んだ「宗教」ではない、フェイスそのものです。人生観が変わります。/聖書は読んだことがなかったので、まずこれを読もうと思い、購入しました。めっちゃめちゃ分かり易く、引き込まれます。聖書のセカイにはまります。/自然、科学、聖書、人間の関係がわかりやすい。聖書は単なる古い書物ではなく、現在の自分、人間が生きる意味、自然、科学が全てつながっているのだということがわかります。今までのキリスト教の関連本とは全く違いました。ぜひ、生きているうちに読んでもらいたい一冊。
●メールにて:一気に読んだ。読みやすくて、時間を忘れて読んで、まったく抵抗なく、すぅ~~~~っと入ってくる内容だ。
●楽天にて:最初はとっつきにくかったです。というのは、カタカナ日本語多すぎます!でも、彼のyoutube聞き始めて、とってもおもしろくなってきたので、とうとう読み始めました☆内容は本当にアーメン!(まことにその通り)です☆すばらしいね☆Youtubeと一緒にみるのがおすすめです。

ここに物理的時空間がある。キリストにある新人類である私たちはその中に物質からなる肉体(=五感のスーツ)を着て生きている。同時に霊的世界がある。私たちの霊には聖霊により御子と御父が住まい(John 14:23)、ジーザスは御父に開く門である(John 10:7-9)。この物理的時空間が普通の人(=アダムにある人)にとってのリアリティーであり、霊的世界などはほとんどSFあるいはオカルトとされる。が、実はこの世界がこの物理的時空間を形成するのだ。
御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。
信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。-Heb 1:3;11:3
「本質」はサブスタンス、「ことば」は共にレーマ、語り出されたことば、あるいは今語られつつあることば、だ。ロゴスはあえて言えば、「かつて語られた言葉」あるいは「書かれた言葉」と言える。つまり冷凍保存された言葉。が、聖霊が解凍するとき、今・ココにおける生の言葉として聞くことができる。永遠の世界が展開するのだ。これがレーマだ。
神が語れば、それは物質的世界の要素や事象を形成したり、変化したりする。生身の人間も水面を歩く。神はこの霊的世界からこの物理的時空間に介入されるお方。イエスご自身が神のサブスタンスの物質化(受肉)だったのだ。「見える世界」と「見えない世界」、あるいは「触れる世界」と「触れない世界」。あなたはどちらによりリアリティーを感じるだろうか。
ジーザスはナザレ時代の生活、すなわち30年間、普通の人間生活を送られた。ジーザスはこの30年間を、ただ無為に人として生きていたのではない。つねに霊的領域との接触にあって生きていたのだ。だから12歳ですでに自分の真の父を知っていた。彼の知識に律法学者も驚いた。それをどこから得たのであろうか? 霊的世界との関わりからである。家族からするとよほど不思議な子供だったと思う。
ジーザスは神のロゴスであり神のサブスタンス、その存在が神のフェイスにより、肉体化(物質化)された。同様に霊のサブスタンスがわれわれのフェイスにより物質化される。見えない世界が見える世界に介入するのだ。「見えない世界」と「見える世界」の接点に働くフェイス、すなわち願うサブスタンスとその現出の不思議さを深く感じる(Heb 11:1)。イエスが私たちに求めるところは、御心が天になるとおり、地にもなるように、だ。つまり「見えない世界」が「見える世界」に現れ出ることだ。そのために神は天を裂かれたのだから(Mark 1:10)。
クリスチャンはニュー・クリーチャー。ただの人ではない!(1Cor 3:3-4 [1]ここには「ただの」はない。「人ではない」が正確。われわれは人=ホモ・サピエンスではないのだ!)この二つの世界の狭間に生きる存在。クリスチャンが自身のアイデンティティーと居場所、そして権威と能力に目覚めたら、それは闇の王国にとっては恐るべき脅威であろう。だから、クリスチャンを目の前の世事や神学などで振り回して、その物質世界の日常性の中に幽閉しているのだ。この喩えの意味は明らかであろう。
イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。耳のある者は聞きなさい。」-Matt 13:3-9
物理的時空間の自然科学などの法則で生きるのか、霊的領域のフェイスの法則で生きるのか。実はこの法則を変更することはかなり心許なさを覚えるのだ。これまで慣れた縁(よすが)から手を離すことだから。ちょうど補助輪付き自転車から補助輪を外す時のように、だ。これは霊と魂の接点であるマインドによって決定される。マインドがトランスフォームされること。これはキリスト教の神学とか思想から自由だとか、自分なりのユニークな考え方や視点だとか、御言葉の解き明かしの切り口が新鮮だとか、そういったことととはまったく違う。それはあくまでも物理的時空間でのこと。鍵は霊的世界のサブスタンスを把握できるかどうかが問題なのだ。
これは終末を生きる私たちの緊急の課題であると思う。
この世の形に構成されてはなりません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、思いを新たにして自分を変えていだきなさい。-Rom 12:2(私訳)

ダビデ張の拠点オリベット大学も詐欺で起訴されるという事件で、クリスチャン・トゥデイ問題はニッポンキ業界でも再燃。被害者の会もできているようではあるが、NEWS WEEKを同氏は買収したことはかなり驚きだった。改めて2014年4月の記事を再掲しておく。
以下再掲=================
救世軍の山谷真少佐に勝訴したと高らかに宣言したクリスチャン・トゥデイ紙。ニッポンキリスト教では決着は着いたに見えているが、アメリカではNEWSWEEK誌を買収したダビデ張氏の正体に関する調査が継続されている。
今回、米国のフリーランス記者ベン・ドゥーレイ氏[1]ドゥーレイ氏は共同通信のワシントンDC在住記者でもある模様。がダビデ張とニューズウィーク誌の関係に迫る長文の調査報道を発表した。媒体はオンラインメディア『マザージョーンズ』。
この図は上の記事より引用。ダビデ張を巡る人物相関関係図(クリックで拡大)。
追記:ダビデ張とニューズウイーク誌の関係について、The GurdianやUSA TODAYなどが次々に記事を書いている。一部の筆者はダビデ張から訴訟圧力を受けている模様。
- A fool and his money — are the new owners of Newsweek financing a South Korean cult?
- Faith and a media icon: Newsweek’s unconventional new owners
- Newsweek owner’s ties to religious school reemerge
追記の追記:ダビデ張の関連企業であるオリベット・マネージメントLLCが労働安全保健局(OSHA)から230万ドルの罰金を課せらた模様。地元紙『ハドソンバレー・リポーター』が報道した。
- Olivet Hit with $2.3M Fine for Exposing Workers to Asbestos During Wingdale Psychiatric Center Renovation
- Olivet Management faces $2.3M in OSHA fines for knowingly exposing workers to asbestos and lead at NY work site(米労働保健安全局広報)
同地の廃病院を買い取ってオリベット大学のキャンパスに改装する工事を進めていた同社は、作業員のアスベスト被曝を防止する措置を適切に取らなかったため今年1月にEPAから工事中止と立ち入り検査を命じられ、今回約2億円の罰金を課せられた。同社が巨額の罰金を支払えるか、あるいは母体のオリベット大学と共に破産するか、動向が注目される。

マインドをアイドリング状態におくこと。無意識が勝手に仕事をしてくれるのだ。必死さ実は何も達成しないものだ。マジメとか、ガンバルとか、タエルとか、ニンタイとか、そんなマトリックスは脱ぎ捨てよ!
DMN(ドフォルト・モード・ネットワーク)が活性化するのだ。温泉やジョッギングや海を眺めること。これが実に脳にとっては良い習慣なのだ。
ちなみに出力30%で生きてるDr.Luke的には、このブログのタイトルは”iDLE UTTERANCE”である😊



再建主義者富井氏の三位一体論。彼は明確に主張している、
神は「存在論的に三人であり、契約的に一人である」のほうが正しいのではないか、と問題提起したわけです。
つまり三人の神々がおられ、契約的に法人としてひとりであると。しかし三神一体とまでは言えないが、実質はそう言っていると。
・・・うーむ、どっちなのですか?彼は中間領域はないとしている以上、いずれ白黒はっきりしなくてはならないのだ。
繰り返すが、われわれにとっては父・子・聖霊の3パースンズ(位格)におられて、本質において同質であるとすることで何ら問題を覚えない。量子は粒子であると同時に波動でもある。ピリオド。自然界は霊の世界の模型。われわれの認識能力はそこまでなのだ。
ゆえにわれわれはこのお方に服するのみである。聖霊は御子を証しし、御子は御父を証しする。この存在をそのまま霊において受けれて、味わうこと。これがフェイス。それはマインドの映像や理論ではなく、霊における実体験なのだから。
そこで私は信条を調べたのですが、そのような記述(つまり神は存在論的に一人である)がないのです。
ただ「神はお一人であり、三つの人格がある」としか述べていません。
その場合、次の2つの解釈が可能です。
(1)神は「存在論的に一人であり、同時に、三つの人格がある」
(2)神は「存在論的に三人であり、契約的に一人である」
そこで私は(2)のほうが正しいのではないか、と問題提起したわけです。
なぜならば、聖書は「神は似姿として男女を創造された。その男女は一体となる。」と啓示しているからです。
男女はそれぞれ別の人格ですが、結婚を通じて一体となり「一人の法人」になります。
そして、これが「神の似姿」であると。つまり、「神とはこのように別の人格であるが、契約を通じて一体となっている」と解釈できるのです。
この私の議論に対して、伝統的である(と言われている)解釈では異端らしいのです。
そこで、私は異端であるならどうして異端なのかを示してほしいと主張しているのです。
私は、自分の立場が誤謬であるならば、潔く自分の考えを捨てます。
こだわりは一切ありません。
聖書が究極の権威であり、判断基準なのですから、それに従います。
メールをいただいたときに、強く感じたのは「三神一体」という言葉から受ける違和感です。
「三位一体」なら違和感はありません。
「三人格一体」でも違和感はありません。
しかし、「三神一体」は強い違和感を覚えます。
なぜなのかと考えてしまいました。
もしかして「三人格」を「三神」と明言することは、聖霊が望んでおられないのではないかと思いました。
というわけで、現在の私は、「三神一体」までは主張できません。
しかし「契約による一体説」は実質的に「三神一体」を主張しているわけです。
正直なところ、自分にとって「この問題についてはペンディングにするしかないのか」と思っています。
神が示してくださるのを待ちます。

届きました✨
本日のメッセで語ったが-
「いと高き神(Elyon)が国々に嗣業の土地を分け/人の子らを割りふられたとき/神の子(b’nai ha elohim)らの数に従い/国々の境を設けられた。主に割り当てられたのはその民/ヤコブが主に定められた嗣業」(Deut 32:8-9)[1]口語訳、新改訳の「イスラエルの子ら」は誤訳
こうして人類は分散統治下に配剤されている。それぞれの地にはエロヒムが配置されている[2]「エロヒム(Elohim)」をいわゆる神(God)と訳すキリスト教のマトリックスは聖書からズレているから要注意。。
神は、一人の人からすべての【民族】を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の【境界】をお決めになりました。-Acts 17:26
これが地政学の根拠だ。グローバリズムは反聖書的、神の秩序を破壊するもの。そしてカナンの地はYHWHエロヒムの嗣業の地。ここからご自身の霊的DNAを拡散・増殖するのだ。後はメッセージをどうぞ。
かなり大部の本書、しばらく楽しめそうだ😊

TODAY’S CELEBRATION Nov 18, 2018:カナンの地はYHWHの嗣業
●MSGタイトル:カナンの地はYHWHの嗣業 ●聖書個所: D …
●MSGタイトル:カナンの地はYHWHの嗣業
●聖書個所: Deut 32:8-9; Gen 3:15;Heb 2:14-16;2Cor 5:17;Eph 2:6;Matt 16:13-17;Jdg 17:6;Gal 6:15-16 etc
●2018年11月24日(土)のセレブ(会場の都合により土曜日に行います)
・場所:ワークピア横浜B1ユーフォニー
・時間:13.00-17.00
●Web:KingdomFellowship ®
●YouTube:Dr.Luke’s Kingdom Fellowship Channel
●ApplePodcast:Kingdom Fellowship Celebration (←スマホでこのアイコンをタッチするとPodcastアプリで再生されます)
●Podcast Files:Celebration Live List (←このアイコンをiTunesにドラッグすると登録されます)
●セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。
全国有名書店で発売中
電子書籍化決定
イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。
●面白い口コミがありました:聖書は既読ですが、モーゼが杖をついたら海が二つに割れたり、イエスが一つのパンで何百人の人を養ったりと、神話的な話として読んでいました。この本を読んでからは、神話や伝説ではなく、リアリティとして感じられるようになりました。
●Amazonにて:Dr.ルーク先生には、勇気や元気を貰えます! お話を聞いたり、ご本を読むうちに「キリストの本質」が学べます。何年教会へ通っても理解出来なかったことが、数か月で分かる感じがしました。キリストは死んだ「宗教」ではない、フェイスそのものです。人生観が変わります。/聖書は読んだことがなかったので、まずこれを読もうと思い、購入しました。めっちゃめちゃ分かり易く、引き込まれます。聖書のセカイにはまります。/自然、科学、聖書、人間の関係がわかりやすい。聖書は単なる古い書物ではなく、現在の自分、人間が生きる意味、自然、科学が全てつながっているのだということがわかります。今までのキリスト教の関連本とは全く違いました。ぜひ、生きているうちに読んでもらいたい一冊。
●メールにて:一気に読んだ。読みやすくて、時間を忘れて読んで、まったく抵抗なく、すぅ~~~~っと入ってくる内容だ。
●楽天にて:最初はとっつきにくかったです。というのは、カタカナ日本語多すぎます!でも、彼のyoutube聞き始めて、とってもおもしろくなってきたので、とうとう読み始めました☆内容は本当にアーメン!(まことにその通り)です☆すばらしいね☆Youtubeと一緒にみるのがおすすめです。

いつもの再建主義の富井氏の論だ。いわゆる正統神学では同時同在する区別される三つの位格(ペルソナ)が本質において同質(ホモ・ウシオス)とするわけだが[1]理系の人間には別に理解不可能でもなんでもない。量子は粒にして波。これがわれわれの認知の限界であるからそのまま受け取るだけなのだ。。古事記の造化三神を父・子・聖霊とし、アマテラスをジーザスであるとする思考回路もここから生まれるのだろう。
tomi 2018/11/17(土) 21:09
三神論は異端である5
教会は、もしかして「存在論的に一人であり、存在論的に三人」という立場をとり続けてきたのかもしれませんが、それが信条の中に記されていないので、なんとも言えません。
信条に記されているのはただ「神はお一人であり、三つの人格がある」という文言だけです。
これだけですと「契約的に一人で、存在論的に三人」と解釈できるように思えます。
そして、問題は、もし「契約的に一人で、存在論的に三人」が異端的な見解であるならば、なぜ異端であるのか知りたいです。
私は異端となって永遠の裁きを受けたくありませんから。
聖書が「結婚した男女は一人である」とはっきりと述べている以上、「神はお一人である」という箇所を「契約的に一人」と解釈しても間違いではないと思います。
いや、むしろ、「存在論的に一人で、存在論的に三人」と解釈することは聖書から論証することは不可能はないかと考えます。
なぜならば、イエスは「私が去らなければ、聖霊が来られない」と言われ、聖書に「イエスは神の右に座しておられる」と示しているからです。
もちろん神の真理について、有限なるがゆえにわれわれに理解不能であるという側面はあるとは思いますが、聖書は「人間の合理的な理解力に合わせて」啓示されているのですから、もし「契約的合一」という考えによって解釈が可能であれば、そちらを選択するべきであると思いますし、それが否定されると、神学的な探求には意味がないということになるのではないかと思います。
啓示の理解は、歴史を通じて発展します。黙示録についても、理解できなかったことが理解できるようになりつつあります。
カルヴァンの時代のセオノミーや契約の考え方は、その後、聖書研究が進むにつれて発展してきました。
そういう意味で、三位一体論も発展するのではないかと思っています。

わが愛読書、GOLGO13。
オドロキ(*_*) ゴルゴは数学もできる!?谷山志村予想も知っており、コンマ何秒でハッシュ関数かどうかを判別する。
「最終通貨の攻防」
今話題のQも指摘するように、紙幣発行権をロスチャイルドが握ったことが、現代のすべての悲劇のルーツ(FRBは民間銀行だ!)。ドルを無限に擦り続けることにより巨万の富を得る仕組み。そこである数学の天才が仮想通貨(作中:ディールコイン)を発明するわけだが、彼の動機を知ったゴルゴはそれを阻止する側から、守る側に回る。ゴルゴの人間性が分かる。
仮想通貨は基本的に金本位制と同じ。担保となるブツ(これがデジタルデータに過ぎない)が有限である限り価値が上がる。暗号を解くというマイニング(採掘)によりそのブツを得るのだが、これは上限があるわけ。そして参加者全員がそれを信じれば、それは通貨として通用する。だから、作中でも「マネーは共同幻想、一種の宗教だ」と。なかなか現代の本質を突く展開だ。
・・・が、あえて二点指摘する。紙幣はFRBの「債権証書」と言っているが、これは誤り、正しくは「債務証書」だ。それと最後の対決場面で、相手は0.16セコンドで、ゴルゴは0.17セコンドで銃を抜く。ゆえにゴルゴの負けかと思いきや、相手は早打ちするも、なんとハズレるのだ。そのセリフが「速さではなく正確さが決め手ってことか・・・」と。おいおい、そのオチはないでしょ!
まあ、とにかく楽しめることは事実。ゴルゴは多額の報酬でシゴトをするが、所詮マネーは幻想とわきまえているようだ。だから、あのゾゾタウンのバカみたいにカネに物言わせて、弾けもしない億単位のストラディバリウスを買い込んで見せびらかすという卑しいマネはしない。
人の本質とはマネーや権力を得たときに明らかになるものだ。

かつて山谷さんが敗訴判決を受けたときに書いた記事。CT問題は別にCTだけのことではない。ニッポンキリスト教なる業界の本質が問われていると書いたが、まことにそのとおりだったのだ。
CT問題に見えるとおり、ニッポンキ業界、反キリストが出現してもあっさりと受け入れるでしょう。霊的識別力がゼロ。盲人と盲人の絡み合い。ボクシとシントも合わせ鏡なのだ。はっきり言うが、ニッポンキ業界などにとどまればかの日にあの者によって印を押されるであろう。二回目のエクソダスをせよ!・・・と言っても、とどまりたい方はご自由にだが。
山谷さんのブログでは削除命令によりCT関係記事が消されているので、私が実況した過去ログをリストしておく。