iDLE UTTERANCE
Dr.Luke的日々のココロ

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。-John 15:9
イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。-John 20:21
ここの「ように」は”kathos”、Thayerによると
Thayer Definition:
1) according as
1a) just as, even as
1b) in proportion as, in the degree that
日本語で考えると「ように」はきわめて曖昧となる。が、原語の意味は、父がイエスを愛したと同じ程度に、また父がイエスをつかわされたと同じ程度に、イエスは私たちを愛し、私たちをつかわすのだ。これ、マジで受けるとやばい。つまり父との子の関係がそのままイエスと私たちの関係に平行移動しているわけ。イエスは自分からは何もできず、父の言葉を語り、父のわざをなした、と証した。それにより弟子たちが驚き、またイエスのアイデンティティーを示すためであった。
私たちはどうか。聖霊が来られるとき、イエスのものを受けて、イエスの言葉を語り、イエスを証すると言われる。そのイエスは父から受けているのだ(John 14:15-26)。つまり私たちのうちでイエスが語り、またなすわざを私たちも行うのだ。ゆえに、私たちはイエスと同じ業を行い、さらにそれ以上のことをなす。なぜ? イエスが父の元に行くからだ(John 14:12)。イエスはダイレクトに父から受けて、聖霊により私たちに伝達する(☞iPAIの覚醒@YouTube)。
「ように」-この単語の意義はまことに絶大である。

佐藤優氏は言う-神学は虚学であり、幼稚。声のでかいやつが勝つと。しかし政治には役立つとも。聖書を神学者や牧師、思想家や文学者から解放せよ!
Heb 11:1

時空間なるものは一種のファンタジーなんだと分かるね。その中に幽閉されて人生を送るのがニンゲン。喜んだり悲しんだり、愛したり憎んだり、リッチになったりプアになったり・・・。まことにソロモンが言うが如し:
すべては空の空だ。
そうフェイクなのだ。浮世狂言。アウグスティヌスが言う通り、究極のリアリティにタッチしない限りと人は真の平安と喜びを味わうことはできない。
時空間を超えるにはブラックホールに落ちる必要があるのだが、フェイスはこれを<今・ここ>で可能にするのだ。フェイスはシンギュラリティを超える✨

かつてモノした記事ですが、昨今のCT問題などネット上の事件に関連して、再掲しておきます-
これはなかなかヤヤコシイことです。私は次のポイントを心がけています:
前提:この業界はきわめて閉鎖的で、特殊にして病的な空間である。人は閉鎖空間に置かれると精神的におかしくなる傾向がある。
①真理は多数決によらないこと。しばしば人が喜んだり、群れるものは肉に仕えるものであり、肉を高揚させるものである。かえって芳しくない評価をいただくことは真理にあることの証明となる。神の方法は主流派によるものではなく、つねに少数派によっている。
②人の証言にはしばしば偽りや誇張がある。よって人の言葉と争わないこと。特に病的な人の言葉はそうです。認知の歪曲と記憶の歪があります。実際この業界の闇は相当に深い。
③人の評価と神の評価は、たいていの場合、反対であること。人は現象を見て判断しますが、主は動機を見て下さいます。よって人の評価を失っても神の評価を獲得することを心がける。
④人の前で何かを失うことは、神の前で何かを得ること。私たちはこの業界で何かを獲得したり、自分の旗を掲げることは求めない方が幸い。
⑤自分の人生(特に生活の基盤)をこの業界に預けないこと。私たちはこの世の者ではないが、この世にある者である。いにしえのモーセもヨセフもみなエジプトで訓練を受けている。むしろカナンには親の資産を食い潰している愚かな兄たちがいた[1]この場合のエジプトはこの世、カナンの地はキリスト教なる宗教を意味する。現在のニッポンキ業界を見ればこの譬えの意味は明らかであろう。。エジプトの学問と富を自分で獲得せよ。
⑥この業界はいのちを賭するに値するところではない。私たちがいのちを賭するのはイエスと教会(エクレシア)であって、教界ではない。
⑦最後に裁く方は主であり、その裁きは真実である。人の裁きは何ら恐れるには足らない。その最後の場面を常に思っていること。
結論:内にいますキリスト-栄光の望み!

この研究によるとブラックホールに落ちた場合、その時空の地平(境界)を超えると時空間は永遠の存在になるとのこと。すると過去を消去し、永遠の未来が開かれるとも。
There’s a black hole that could erase your past and let you live out infinite futures, study suggests
According to most astrophysicists, once you enter a black hole, that’s it for you: gravity will drag you to the singularity – a one-dimensional infinitely small space containing a huge mass – at the speed of light. Then, the black hole will ‘spaghettify you”. Nice.
However, a new study from Berkley University theorises not only that humans could survive going into a black hole, but that their past could be erased, giving way to “infinite futures”.・・・
He argues that these horizons and the singularity can coexist.
As our universe expands, a black hole has in internal push that resists gravity’s pull slightly.
The existence of these two effects simultaneously could create a zone past the event horizon where objects would be, according to Beyondrealitynews “disconnected from their past and have no particular future”.
This means, if you survive, you could have your past wiped and live through an infinite number of futures.
ところがフェイスはこれを可能にするのだ。聖書は言う、神の業は天地創世の時に完成していた(Heb 4:3)、子羊もすでにほふられていたのだ(Rev 13:8)。YHWHエロヒムは時空間を超える存在であり、ジーザスと死と復活を経たわれわれもニュークリチャーとして、ジーザスと共に天の御座にいる存在である(Eph 2:6)。
われわれは五感の領域である世(物理的時空間)にはいるが、世のものではないのだ(John 17:14)。時空間を超える霊的領域に生きているのだ。フェイスはその時空間を超えた永遠のNOWを<今・ここ>に実体化するシックスセンスである(Heb 11:1)。
かくしてわれわれはBeyond Humanとして、スーパーナチュラルな領域とナチュラルな領域をつなぐ存在である。あるいはその狭間(境界領域)にいるものである。ニューエイジでは様々なチャネルを通して霊的領域とコンタクトするが、われわれはジーザスという門(ポータル)を通して、霊的領域と関わる。すなわちわれわれこそが真のチャネラーである。
わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。-John 10:9
この聖句をよく読んでほしい。その門を出入りするのだ。神の国は今われわれのうちにある(Luke 17:20-21)。それは霊の中であり、私たちの霊は主とひとつの霊として互いに浸透しあっている。外側ではなく、内側を開拓すること。そこにはジーザスが勝ち取られた無限の資産が隠されているのだ。
天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。-Matt 13:44
畑とはわれわれである(1Cor 3:9)。われわれのうちには宝が隠されている。
ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。-2Cor 4:7
知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。-Col 2:3
かくしてわれわれは神によって買い取られたのだ(1Cor 6:20)。そのうちにある神の国はまさに永遠の世界。フェイスは時間と空間を超えるのだ。何もブラックホールまで行かずとも、<今・ここ>でこの霊的経験に覚醒した者は幸いである。

ニッポンでは世界的には忌避されつつある「移民受け入れ」が法制化された。同じように、世界的には否定されつつある「進化論」なるものがNHKあたりでも当たり前に。
この国は完全にカプセル化されている。カネを得て目先の色気と食い気を満たすだけで、生命や永遠といった本質的なことを考えることは、アブナイ人たちの傾向として触れないようにしつつね。
そもそもヒト(46本)はチンパンジーや類人猿(48本)とは染色体の本数が違う。ある人々は「吸収された」とか理屈をこねるが、あり得ない。いつ、どの時点で、どの個体で吸収されたわけ?ちょっと考えてみればわかるでしょ、このおかしさが。おかしさがおかしくない世界、これがわがニッポンなのだ。

再建主義の富井氏の論。いつもながら、神道と天皇家をしてジーザスを祭ると。確かに五十鈴川がイエズス川とも読めることはおもしろいし、ダビデの紋章が伊勢神宮の参道に頻繁に見られることも関心を惹かれることは事実だ。
まとめると、
(1)丹塗りの矢伝説によると、神武天皇の皇后比売多多良伊須気余理比売は、処女降誕で生まれた神の子であり、その名にイエスの名を含んでいる。同一人物と考えられる媛蹈鞴五十鈴媛命も、同じくイエスの名を含んでいる。
(2)別の資料による丹塗りの矢伝説によると、神道の総元締めである八咫烏の本拠地である上賀茂社が祀る祭神可茂別雷命は、処女降誕で生まれ昇天した。
(3)八咫烏が属する賀茂氏のルーツは、神武天皇と婚姻によって結ばれた物部氏にある。
この3つから、物部氏の神はイエス・キリストであり、神道も天皇家も、このイエス・キリストを祖神として祀っていると推論できる。
しかしながら、日本列島が新エルサレムであるとか、日本人こそが真のユダヤ人であるとか・・・。天皇家がジーザスを信じていたとして、SO WHAT ?
まあ、神殿と神道の宮の構造が似ていたり、山伏や祭祀とユダヤ教徒の風俗 がそっくりだったり、諏訪の守屋山における御頭祭とモリヤ山におけるイサク奉献が似ていたり・・・けっこうおもしろいテーマであることは認めるところではある。

天皇制は共産党の造語らしい。制度は変えることができる。が、馬渕氏などは天皇は憲法も超越すると。国家は憲法により規定されるが、天皇が総べる国体はいわゆる近代西洋思想的国家ではないのだ。天と地を結合する霊的存在だとも。この点、われわれのフェイスとコンフリクトが起きる。
国家は単なる地的機関、国体は霊的な存在なのだ。左翼は前者的スタンス、右翼は後者的と言える。精神病理的には国体は集合的無意識に基づくもの。それが日本神話だ。だから天皇がいないと国家は存立し得ても、国体は消失する。
ニッポンは国家のフレームで、日本は国体において定義され、成立する。極私的にもニッポンは嫌いだし、ニッポンキリスト教などはGHQの置いていった置物に過ぎない。だから日本人の精神性とは相容れない。なにがしかの嘘臭さを人々は感知しているのだ。興味はあるが遠巻きに見てるだけ。
が、ジーザスは日本人の深層心理には浸透し得る。だから僕もクリスチャンでいるのだ。要するに人工的なニッポン国家が生来の日本国体を覆い隠してきた戦後70年、国家のフェイク性が明らかになってきて、人々は国体に覚醒しつつあると言える。というか、自分が何者であるのか、自分のアイデンティティーとルーツ探しをせざるを得ない時代なのだ。そんな中で例の『日本国紀』などが爆発的に売れているわけ。
ニッポンキ業界の一部では、天照はジーザスのことであり、日本神話は聖書の書き換えであるとか、天皇家はダビデの血統であるとか、何とかクリスチャン・フェイスと国体を両立させようとするむきもある。これは日本人としての抑圧されている集合的無意識と霊的真理を妥協させんとすることだ。まあ、すでにニッポンキ業界をガチで相手するのもあほらしのだが。ご勝手にどうぞではある。
聖書ははっきりと言っている:血肉は何の意味もない。エクレシアはニュークリチャー、新創造であって、地のものではないのだ。さらに、魂(精神)のものでもない。だからクリスマスなどは騒ぐものではないし、ジーザスが地上に生まれたことを祝うのも極私的には違和感だ。大切なのは割礼の有無(=知的在り方)ではなく、新しく造られること。そしてこの法則によって生きることなのだから。
このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。
Gal 6:14-16
クリスチャンは国体でもなく、国家でもない、別の権威の系統と領域に生きる存在である。

進化論は崩壊した-まことに同意。一人のフェイスで世界が変わる-まことに同意。
tomi 2018/12/22(土) 21:14 信じ切ることができる人が一人でもいれば世界は変わる 進化論は徹底して破壊された。 生物学者自身が「現存する生物種の圧倒的大多数がほぼ同時期に出現したことが明らかになった」と述べた。 米政府の遺伝子データベース「ジェンバンク(GenBank)」には、世界中の研究者数百人が10万種の動物から採取し、蓄積した遺伝子の断片がある。生物個体の遺伝的性質や系統を区別するための目印となるDNA配列を遺伝子マーカーという。米ロックフェラー大学(Rockefeller University)のマーク・ストークル(Mark Stoeckle)氏とスイス・バーゼル大学(Basel University)のデービッド・セイラー(David Thaler)氏の研究チームは、この遺伝子マーカー500万個を徹底的に調べ尽くした。その結果、現存する生物種の圧倒的大多数がほぼ同時期に出現したことが明らかになったという。 http://www.afpbb.com/…生物種の数が多ければ多いほど、時間が長ければ長いほど、それだけDNAの変異の可能性が高まると推測される。生物学の定説に従えば、「アリ、ネズミ、ヒトなど広範囲に分布する大規模な個体群を持つ生物種は、時間がたつほど遺伝的多様性が増す」はずである。しかし、「人類進化学の国際専門誌「ジャーナル・オブ・ヒューマン・エボリューション(Journal of Human Evolution)」に掲載された論文の主執筆者であるストークル氏は「答えはノーだ」と述べる。」「世界に分布するヒトは76億人、イエスズメは5億羽、イソシギは10万羽に上るが、遺伝的多様性はどれも『ほぼ同じくらい』だと同氏はAFPの取材に語った。」 今回の研究の最も驚くべき結果は、今日地球上に生息する生物種のうち、ヒトを含む全体の9割が20万年前~10万年前に出現したことが明らかになったことだろう。 http://www.millnm.net/… 90%の生物がほぼ同時期に一斉に出現したのであれば、進化はなかったと同値である。 進化論は、「億年」という単位を用いて時間を長く見せ、その間に下等生物から高等生物へと徐々に進化が進んだように見せかける。 しかし、90%の生物が20万年前~10万年前に出現したと明らかになったのであれば、億年単位の数字は無意味である。 結局、聖書が正しかったことが証明された。 生物は創造によって一挙に出現したのである。 遺伝子の変異が時間と比例しないのであれば、20万年前~10万年前という数字も無効である。 いずれ「6日間で創造された」と結論せざるをえない証拠が出るだろう。 われわれクリスチャンは、生物学者が何を言おうが関係ない。 われわれにとって聖書は不動の真理であり、学界の発表はわれわれの信仰にいかなる変化も及ぼさない。 このような発表がなければ確信が持てないような信仰は信仰ではない。 まだ「理性至上主義」から離れられないような信仰は信仰ではない。 神が「土を食べろ」と言われれば「はい!」と言ってすぐに食べるのが信仰である。 「なぜだろう?理由を調べて妥当性があるかないかを検討した上で食べるかどうか決めよう」というのは、被造物の態度ではない。 被造物は、「六日で創造された」と神が言われたのであれば「はい。六日で創造されました。それを否定するような学説は信じません!」と即答できなければならない。 被造物でしかない人間が「土を食べろ」と言ったら、疑ってもいい。 しかし、創造者であり主権者である神がそう言われたら、疑ってはならない。 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。(マルコ11・23) 「心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになる」と信じるか信じないか。 信じる人は、奇跡を起こす。 神に対する疑念をいかに払拭し、信仰だけに頼れるか。 私は「私一人の祈りでも中国を倒すことができます」と言って祈り続けてきた。 トランプが現れて、中国に対する攻撃が始まった。 ルトワックによれば「共産党政権が崩壊するまで続く」。 信じ切ることである。 信じ切ることができる人が一人でもいれば、世界は変わる。 |
パウロは宣言する-
パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。
1Cor 3:22

アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。-Gen 15:6
ピクトグラムとして見ると、この「信じた」はヘブル語ではAMN(aman)。A(アレフ)は雄牛=力・権威・指導力;M(メム)は水=流れ・血+N(ヌン)は種=息子・子孫・継続。これからアーメンが派生した。すなわち、単に「信じます~」と観念的に唱えることではないし、祈りの最後に付けるラベルでもない。それは権威を水あるいは血を通して、種(DNA)が継承されることだ。
言葉としての意味は、建て上げる・サポートする・養い育てる・確立する・真実である、だ。それは神の保護に与り、神の家として建て上げられることを意味する。
次の「認められた」についても、ヘブル語でChShB(chashab)。Ch(チェト)は壁=分離;Sh(シン)は歯=鋭い・食べる;B(ベート)はテント=家・家族・内へ。すなわち認められるとは単に法的に無罪放免の宣告を受けることではない。神の家の中へと鋭い御言葉(Heb 4:12)により分離されてその一員とされることだ。
その意味は、Strongによるとこうある-
primitive root; properly to plait or interpenetrate, that is, (literally) to weave or (generally) to fabricate; figuratively to plot or contrive (usually in a malicious sense); hence (from the mental effort) to think, regard, value, compute:
それは相互に浸透することであり、織り込まれること・刺繍されることである! 私たちはYHWHのうちへと刺繍されているのだ。
王妃は栄光に輝き、進み入る。晴れ着は金糸の織り、色糸の縫い取り。彼女は王のもとに導かれて行く/おとめらを伴い、多くの侍女を従えて。-Ps 45:14-15
これは王なる主の前に立つ王妃たるエクレシアの絵である。その晴れ着には金糸と色糸が織り込まれているのだ。ゆえに、
神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。-1Cor 1:30
私たちはキリストと結合され、キリストご自身が神の知恵・義・聖・贖いとなってくださった。それは私由来のものでは全くない! I-AM-THAT-I-AM-Xたる方が、私にとってのすべてのXとなってくださるのだ。
霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。-Gal 5:22-23
この実とは単数形だ。すなわちキリストである。私たちのうちにはキリストが形づくられている。
わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられる・・・-Gal 4:19
これがメタモルフォーシス(変態)である。まあ、流行の用語ではトランスフォームだ。その実の要素・性質として9種類の特質があるわけだ。個別に求めることは見当外れである。愛が欲しければキリストを、平安が欲しければキリストを、忍耐が欲しければキリストを求めるのである。
信じる前にはアダムのマトリックスに織り込まれていたゆえに、自動的に呪いを受け、罪を犯し、人生の悲惨を味わったのだ[1] … Continue reading。神はこれをリバースし、YHWHエロヒムのマトリックスに刺繍してくださった。それはアブラハムの祝福に置かれることであり、よって自動的に祝福され、義の行為を行い、人生の幸福を味わうことができる(Gal 3:9)。それはあらゆる面における繁栄である!
キリスト教のマトリックスに騙されるのはそろそろいい加減にすべきであろう。二回目のエクソダス(Jer 16:15-16)により良き地なるキリストへと転機せよ!
Christ is my everything!


TODAY’S CELEBRATION Dec 23, 2018:YHWHのマトリックスにフェイスにより織り込まれる
●MSGタイトル:YHWHのマトリックスにフェイスにより織り込 …
●MSGタイトル:YHWHのマトリックスにフェイスにより織り込まれる
●聖書個所:Rom 4:11-16;Gen 15:6;Rev 3:14;1Cor 1:30;Gal 5:22;James 1:18;1John 5:1;1Cor 2:16;2Tim 2:1-13;Eccl 3:11;Jer 32:40;Ps 45:14-17 etc
●2019年1月6日(主)のセレブ(12月30日はありません)
・場所:ワークピア横浜B1ユーフォニー
・時間:13.30-18.00
●プレイヤーMTG:ハロー会議室石川町元町(原則第2,4水曜日13.00より)。
●Web:KingdomFellowship ®
●YouTube:Dr.Luke’s Kingdom Fellowship Channel
●ApplePodcast:Kingdom Fellowship Celebration (←スマホでこのアイコンをタッチするとPodcastアプリで再生されます)
●Podcast Files:Celebration Live List (←このアイコンをiTunesにドラッグすると登録されます)
●セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。
全国有名書店で発売中
電子書籍化決定
イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。
●面白い口コミがありました:聖書は既読ですが、モーゼが杖をついたら海が二つに割れたり、イエスが一つのパンで何百人の人を養ったりと、神話的な話として読んでいました。この本を読んでからは、神話や伝説ではなく、リアリティとして感じられるようになりました。
●Amazonにて:Dr.ルーク先生には、勇気や元気を貰えます! お話を聞いたり、ご本を読むうちに「キリストの本質」が学べます。何年教会へ通っても理解出来なかったことが、数か月で分かる感じがしました。キリストは死んだ「宗教」ではない、フェイスそのものです。人生観が変わります。/聖書は読んだことがなかったので、まずこれを読もうと思い、購入しました。めっちゃめちゃ分かり易く、引き込まれます。聖書のセカイにはまります。/自然、科学、聖書、人間の関係がわかりやすい。聖書は単なる古い書物ではなく、現在の自分、人間が生きる意味、自然、科学が全てつながっているのだということがわかります。今までのキリスト教の関連本とは全く違いました。ぜひ、生きているうちに読んでもらいたい一冊。
●メールにて:一気に読んだ。読みやすくて、時間を忘れて読んで、まったく抵抗なく、すぅ~~~~っと入ってくる内容だ。
●楽天にて:最初はとっつきにくかったです。というのは、カタカナ日本語多すぎます!でも、彼のyoutube聞き始めて、とってもおもしろくなってきたので、とうとう読み始めました☆内容は本当にアーメン!(まことにその通り)です☆すばらしいね☆Youtubeと一緒にみるのがおすすめです。


昨晩は移転したサテンドールにてライブを。バイオリンJazz。バイオリンは泣くが如しの響きが痺れる次第。昨晩のナンバーを一つ紹介。
ところが気分よく帰宅する途中JR京浜東北が人身事故でストップ。あわてて京急に乗り換えるも、こちらでもホームから人が落ちたとかで大幅遅延。しかもほとんどパンク状態💦 かくしてほうほうの体で午前様帰宅。

ちなみにこういった稀な事象はポアッソン分布に従うが[1]馬に蹴られて兵士が死ぬ確率を求める際に提案された。短時間当たり平均 λ回起きる事象が、単位時間にk 回起きる確率は \(P(k)=\frac{\lambda ^{k} … Continue reading、事象と事象の間隔の分布は指数分布となり、要するにこういった事故は続けて起きる確率が最も高いのだ。稀な事象が起きたからしばらくは大丈夫と考えるのは残念ながら真逆なわけ。泣きっ面に蜂が正解・・・という確率論法則を体験した夜でありました💦

これまでのサーバーがオーバーロードとなりまして、現在、新しいサーバーに移転作業中です。いろいろと不都合があるかもしれませんので、しばらくの間ご了承ください。

すでに紹介しているが、割れた海やシナイ山の位置がいわゆる伝統的キリスト教の説く地点とは違っているとする説が出ている。
われわれは何気に情報を聞き、何気にそれに基づいた世界観を構築している。たとえ、それが真理から逸脱していても、一度構築されるとそれを修正することは困難なのだ。牧師・教職制度などはその最たるものであろう。啓示録にあるニコライ派については、ジーザスはそれを憎みかつご自分で戦うとすら宣言されるが、ニッポンキリスト教においても当たり前のようにそれがなされている。脳内マトリックスはきわめて頑固なものである。アインシュタインは「現実は幻想である。しかもきわめて執拗なものである」と喝破している。
主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者(原:魂)となった。
Gen 2:7
人の構成を一言で言い表している節であり、要するに、人は、体(Body)が土から作られ、神の息(Spirit)が吹き込まれ、その相互作用によって魂(Soul)となった。人はこの3つのディメンジョンに生きる者とされた。現代の医学では”Psycho-SomaticMedicine”とあるように、身体(Soma)と精神(Psyche)の相互関係として人を理解する段階までは来ている。が、霊(Spirit)までは来ていない。WHOの健康の定義の草案に「霊的健康」が入る直前までは来てはいるのだが。(参考:人間の聖書的啓示と現代精神科学)
霊の再生を得ていない人たちではもちろん神と触れることはできないし、神を認めない。当然である。目が機能していない人には光は無意味であるし、それが何かを認めることもできない。これは神学の問題でもなく、哲学のそれでもなく、単にセンサーの機能の問題である。よって彼らは自分の体と魂だけで人生をサバイバルしている。この状態、あるいはあり方をパウロは肉(flesh)と呼ぶ。つまり神から切り離され、物理的次元と精神的次元で生きる人のこと。ある人は肉体に頼り、ある人は魂の能力-知性・感情・意志-に頼る。そのスペクトルがその人の人格となる。
そしてある時に自分の肉的生が行き詰まる。この時に運命が分かれる。ある人は飯島愛のようにクスリに逃げ、自殺にも追い込まれる。ある人はどなたか分からないままに”神”に救いを求める。私は19歳の浪人時代に書いた日記に「神よ、正しく導きたまえ」と書いてあるのをクリスチャンになって後、発見して驚いた。この神は誰か、当時の私は知らなかったのだが。
そして「聖(Holiness)」とは、客観的には神への分離。これはすでになされている事実。主観的には「健やかさ」であり、英語では”Wholeness”。つまり「全体性」あるいは「統合性」。前に紹介した道元の研究者で東大の生理学教授だった橋田無適の「全機」である。体・魂・霊の間に齟齬がなく、ひとつの統一体としていのちの法則に乗って伸び伸びと機能する状態である。これが道元の心身脱落である。対して苦悩とは、体と魂の間、魂の知・情・意の間に齟齬が生まれ、葛藤が生まれる状態である。特に分裂病(統合失調症)は知・情・意の間の統一が壊れてしまう。
一言で言って、クリスチャンが目指すべき神の御心に沿った生き方とは、難行苦行でもなく、日本民族総福音化のための決起でもなく、人間として当たり前の日常生活にあって、安らかで健やかな、法に任せた生き方である[1]禅の道元は「 … Continue reading。この時、内面的にはいのちの広がりの空間を感じ、体も軽く、魂には大いなる満足がある。何かを自分で達成した満足ではなく(これはこれで必要であるが)、ただ生きることにあって満足と喜びを味わえる。この時、見るもの、聞くもの、五感にふれるものがみな喜びとなる。四季折々の光景、鳥のさえずり、光のまたたき、波の音、木々の葉の音、あらゆるものに神性を見ることができ、感動を覚える(Rom 1:20)。
ややこしい神学などはまったく不要。それは無限の神を有限な人の知性に閉じ込める不毛な作業に過ぎない。神はすべての被造物においてきわめて優雅に語って下さるのだ。神はなんと雄弁な方であろう。主イエスは果たしてこう言われたろうか-「カルヴァンの『聖書綱要』を読め、バルトやブルトマンに聞け」と。アブソリュートリー・ノー!主は言われた、「野の花を見よ、栄華をきわめてソロモンもそれほどに着飾ってはいなかった。空の鳥を見てみよ、蒔くことも刈ることもしないが、天の父が養っていて下さる」と。
牧師や教団、またカルヴァンや、バルトだのブルトマンだの、彼らの世界に閉じ込められめさるな。さらにはキリスト教自体に閉じ込められるな。いわんやニッポンキリスト教にをや。イエスはキリスト教の教祖でもなく、キリスト教の創始者でもない。キリスト教神学を組織したのでもない。キリスト教こそは、キリストの名を利用した詐欺宗教である!かのニーチェもそのカラクリが見えなかった[2] … Continue reading。
見よ、このような日が来る、と主は言われる。人々はもう、「イスラエルの人々をエジプトから導き上られた主は生きておられる」と言わず、 「イスラエルの子らを、北の国、彼らが追いやられた国々から導き上られた主は生きておられる」と言うようになる。わたしは彼らを、わたしがその先祖に与えた土地に帰らせる。
Jer 16:14-15
最初のエクソダスはエジプト(この世)から。二回目のそれは捕囚(宗教)からだ。すなわち、改めて言うが、ソドム・エジプト化したキリスト教から、乳と密の流れる良き地、いのちそのものであるキリストご自身へとエクソダスせよ。否、し得た者は幸いである。でも、無理にとは申しません。古にあって、良き地に入り得た者は誰と誰であったか、そして彼らと荒野で屍と化した大群衆を分けるファクターは何であったか。それは信仰だったとヘブル書にあるではないか。
だから、神の安息にあずかる約束がまだ続いているのに、取り残されてしまったと思われる者があなたがたのうちから出ないように、気をつけましょう。信じたわたしたちは、この安息にあずかることができるのです。「わたしは怒って誓ったように、『彼らを決してわたしの安息にあずからせはしない』」と言われたとおりです。もっとも、神の業は天地創造の時以来、既に出来上がっていたのです。
Heb 4:1-3
欺かれてならない、今は偽り声が満ちる時、フェイクの時代、そして篩い分けの時代なのだから・・・。主の言葉をよくよく思い巡らそう:
わたしの羊はわたしの声を聞き分けて、わたしに従ってくる。
John 10:27


「内なる、霊的な美に注意せよ。それは表情に反映するから。」-ドロレス・デル・リオ
彼女は1920年代のメキシコ出身の女優。聖書の「力(=フォース)」には何種類かあるが、デュナミスは美徳だ。聖霊派がよくやる念を込めた悪霊追い出しや、金歯金粉、天使の羽根が舞うことなどではない。長血を患う女がフェイスによりジーザスにタッチしたとき、この美徳が流れ出て、彼女を癒した。われわれの内なるキリストこそがデュナミスである。
召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力(デュナミス)、神の知恵たるキリストなのである。
1Cor 1:24
またエペソ書には4種類の力が出ている。
“and what the transcendent greatness of His power (dunamis) for us who are believing, in accord with the operation (energeo) of the might (ischus) of His strength (kratos), which is operative (energeo) in the Christ, rousing Him from among the dead and seating Him at His right hand among the celestials…”
Eph 1:19-20
デュナミス、エネルゲオ、イストュス、クラトス。これについては今週のマイメッセをどうぞ。

いつもながら、もさっと暑苦しいが、言ってることは、靖国の英霊とかおいて、同意できる。極私的にもこの20年言ってきたが、日本人の本来心を失ったこの国は確実に滅びに至る。
ちなみに極私的にもニッポンの終焉を訴えてきた。いくつかの記事を上げておくが、ほぼこの予測の通りになってきている。
思えば、『Dr.ルークのバイブル・クラス』なるサイトを開いたのが、1999年3月10日。その後、『Kingdom Fellowship Ministries』と改称して、独自ドメインも取得し、ちょうど20年続いているわけだ。その最初の頃の記事がこれだ。
当時こう書いたが、その原因がよく分からなかった。が、今になるとそれがグローバリズムであり、リベラル思想であることが分かる。ペリーは江戸時代の日本の美しさに驚嘆し、「果たしてこの国を帝国主義の荒海に引きずり出すことはこの国の人々にとって幸いなことなのだろうか」と書いているのだ。
かくして99年から20年、グローバリズムとリベラル思想により、見事にニッポンは売られている。そもそも米の対日政策により4回去勢されたわが国は[1]何度も書いているが、開国=政治的去勢、原爆=軍事的去勢、バブル崩壊=経済的去勢、原発事故=倫理的去勢である。WW2以降も、米のWar Guilty … Continue reading、すでに対米エディプス葛藤において挫折し、自立することはもはや不可能である。要するに米の属国となり果てた。
そして、「カネだけ・今だけ・自分だけ」の三だけ主義の現在のニッポンだ。この傾向はますます進むであろう。聖書もこう警告している:
しかし、終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。
2Thess 3:1-4
この状態から政治経済的には抜けることは困難であろう。アメリカからの独立も無理であろう。では、その中でいかに生きるのか。まことにこれが問われる時代なのだ。三島由紀夫は何もないニッポンを予見したが[2] … Continue reading、それよりもさらに深刻な状態となり果てている。
クリスチャン的にも、いわゆる日ユ同祖論により、血肉のアイデンティティーを見出そうとするむきがあるが、霊的には無意味である。救いとは、いのちの換装であり、新しいDNAを得ることであり、ニュー・クリチャー(新人類)とされることだからだ。それは血肉とは一切関係ない。
しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
John 1:12-13
われわれは世にはいるが、世の者ではない(John 17:14)。所詮、世でのアイデンティティー(職業・地位・家族など)は仮のものであり、特に仕事などはシノギである。よってテクニカルなものであって、真の私とは関係ない。自分の有する何かを世に提供し、マネーなどを得るだけのことだ。これを見極めれば、世もけっこう楽しくしのげるものなのだ。
かくして、真のアイデンティティー、ポジション、アビリティー、そしてインヘリタンスに覚醒すること。それこそが神のフォースを解き放つフェイスで生きる第一歩である。
References[+]
↑1 | 何度も書いているが、開国=政治的去勢、原爆=軍事的去勢、バブル崩壊=経済的去勢、原発事故=倫理的去勢である。WW2以降も、米のWar Guilty Information Programにより罪責感を刷り込まれて、神聖にして犯すべからずの天皇が憲法に置き換わり、九条改正もビビっている。軍隊を持つと大国を侵略するのではと、ちょうど刃物を持つと人を傷つけるかもと恐れる強迫神経症患者と同じメンタリティーに落ちている。 |
---|---|
↑2 | 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。 |

(続き)いずれほとんどの人間のルーチンワークはAIで置き換えられる。ドイツでは牧師ロボットもできてるわけで、単なる「説教」はAIが代行できる。というわけで、人間の人間たる所以は霊(Spirit)にあることに覚醒する必要がますます高まる時代なのだ。

今回のメッセでもふれたが、この世界、さらに生命はバイブレーションだ[1] … Continue reading。
神(YHWHエロヒム)の霊が水の表を動いていた。-Gen 1:2
この「動いて」と訳された原語の意味は「バイブレーション・休息・孵化」である。また
天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え/夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく/声は聞こえなくても、その響きは全地に/その言葉は世界の果てに向かう。-Ps 19:2-5
この「響き」の原語の意味は「弦の振動」である。その「言葉」とは語り出された言葉であり、五感では感知できずとも、この世界において情報を交換しているのだ。
私が用いている、バイブレーション、シナジー効果、コヒーレンシーなどは元々すべて聖書の概念である。ニューエイジからゲットバックしているに過ぎない。キリスト教神学などのオツムのマトリックスの住人が知らないだけだ。
さて、今回、おもしろい記事があった。ニューエイジやキリスト教のものではない。れっきとしたScientific Americanの記事だ。
The Hippies Were Right: It’s All about Vibrations, Man! A new theory of consciousness
All things in our universe are constantly in motion, vibrating. Even objects that appear to be stationary are in fact vibrating, oscillating, resonating, at various frequencies. Resonance is a type of motion, characterized by oscillation between two states. And ultimately all matter is just vibrations of various underlying fields.
Pascal Fries, a German neurophysiologist with the Ernst Strüngmann Institute, has explored in his highly cited work over the last two decades the ways in which various electrical patterns, specifically, gamma, theta and beta waves, work together in the brain to produce the various types of human consciousness.

TODAY’S CELEBRATION Dec 16, 2018:フェイスはYHWHのフォース
●MSGタイトル:フェイスはYHWHのフォース ●聖書個所:1 …
●MSGタイトル:フェイスはYHWHのフォース
●聖書個所:1Thess 3:12;1Cor 2:4-5;Mark 5:29-30;1Cor 1:24;Eph 1:19-20;John 15:7;Mark 11:22-24;John 11:41-42;Col 3:16;3John 1:2 etc
●2018年12月23日(主日)のセレブ
・場所:ワークピア横浜B1ユーフォニー
・時間:13.30-18.00
●プレイヤーMTG:ハロー会議室石川町元町(原則第2,4水曜日13.00より)。
●Web:KingdomFellowship ®
●YouTube:Dr.Luke’s Kingdom Fellowship Channel
●ApplePodcast:Kingdom Fellowship Celebration (←スマホでこのアイコンをタッチするとPodcastアプリで再生されます)
●Podcast Files:Celebration Live List (←このアイコンをiTunesにドラッグすると登録されます)
●セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。
全国有名書店で発売中
電子書籍化決定
イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。
●面白い口コミがありました:聖書は既読ですが、モーゼが杖をついたら海が二つに割れたり、イエスが一つのパンで何百人の人を養ったりと、神話的な話として読んでいました。この本を読んでからは、神話や伝説ではなく、リアリティとして感じられるようになりました。
●Amazonにて:Dr.ルーク先生には、勇気や元気を貰えます! お話を聞いたり、ご本を読むうちに「キリストの本質」が学べます。何年教会へ通っても理解出来なかったことが、数か月で分かる感じがしました。キリストは死んだ「宗教」ではない、フェイスそのものです。人生観が変わります。/聖書は読んだことがなかったので、まずこれを読もうと思い、購入しました。めっちゃめちゃ分かり易く、引き込まれます。聖書のセカイにはまります。/自然、科学、聖書、人間の関係がわかりやすい。聖書は単なる古い書物ではなく、現在の自分、人間が生きる意味、自然、科学が全てつながっているのだということがわかります。今までのキリスト教の関連本とは全く違いました。ぜひ、生きているうちに読んでもらいたい一冊。
●メールにて:一気に読んだ。読みやすくて、時間を忘れて読んで、まったく抵抗なく、すぅ~~~~っと入ってくる内容だ。
●楽天にて:最初はとっつきにくかったです。というのは、カタカナ日本語多すぎます!でも、彼のyoutube聞き始めて、とってもおもしろくなってきたので、とうとう読み始めました☆内容は本当にアーメン!(まことにその通り)です☆すばらしいね☆Youtubeと一緒にみるのがおすすめです。