肉(五感)ではなく霊によりキリストを知る

この記事はいかにもモスレムらしい。彼らは肉によって生み出され、拒絶されたイシマエルの子孫。つねに被拒絶感を抱いている。ゆえにジーザスはパレスチナ人であるとして、その感覚を補償しようとするのだ。

‘Jesus was a Palestinian’ Platform; Islam’s Plot to Rewrite World History

一方の白いキリスト教のジーザス像は金髪で青い目。これもフェイク。例えば上のジーザス像、イケメン・ジーザス。これはフェイクの典型。そもそもパウロはこう言っている:

それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。-2コリント5:16

五感で知るのではない、霊で知るのだ。なぜなら-

最初のアダムは生きる魂とされたが、最後のアダム(=キリスト)は命を与える霊となった。-1コリント15:45

そのキリストは聖霊により内住される。聖霊は自分を証しされない(John 16:13-14)。ちょうどOSのような存在である。「聖霊様の油注ぎ~」とかやる人々は聖霊を知らない。

内なる塗油がすべてのことを教える。-1ヨハネ2:27(岩波訳)

これはクリスマ、注ぎの油ではない!塗り油だ。聖霊派の聖霊知らず。御言葉に反することを平気で語る人々。ついには野鳥の羽を天使の羽根とかやり出す始末。極私的にはとても理解しがたい。

御霊と人のかかわりについて
油注ぎと油塗りについて

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