聖霊は腹から川々と流れ出る=腹で考えること=

なんとかのことば社の雑誌の特集で、現代における聖霊の働きを議論するとかの特集があった。議論する? もはやこの時点で意味不明だ。聖霊はオツムで扱う存在ではないし、そもそも聖霊は神たるお方であり、不遜なこと極まりない。

聖霊は腹から川々(複数形!)と流れ出る(John 7:38)。腹からだ! 聖霊が来られるとき、父と子も内在される(John 15:23)。聖霊派の、父が天に、その右に子、地上は聖霊様といった図は三神論である。「聖霊様油注ぎ~」の人たちとは一線を画していることは繰り返さない。

神の霊は私たちの霊から、思いに、感情に、意志にペネトレーションする。染み込むのだ。

思いの霊において新たにされ・・・。-Eph 4:23

ここを「心の底から」とか訳すのが通常であるが、「思いの霊において」である。つまり魂の機能である思い(マインド)に霊が浸透するのだ。これによりマインドのリニューアルがなされる。

そして、さらに御霊は私たちの死ぬべき体にすらいのち(Zoe)を与える(Rom 8:11)。われわれの体の個々の細胞にまでそのいのちはペネトレーションする[1]マインドのあり方によってDNAですら影響を受けることはサイエンスの教えるところである。。こうして私たちの若さは若返って鷲のように空に昇る。

聖霊派のように外側の現象を求めることは敵の霊のつけ入る隙を与える。神の業はつねに内側から外側へ、インサイドアウトだ。なぜならわれわれの心がすべてを生み出すからだ。プライベートリアリティーは心の反映である

かくして霊のうちから始まる聖霊の業は魂へとペネトレーションし、体へと至り、腹から川々と流れ出る[2]精神医学的にも精神状態は内臓感覚として反映される。最近では小腸の健康と若さや精神衛生と密接に関係していることが分かってきている。。悩みや葛藤は心の塊を生じる結果だ。これに霊が絡むと、私の指摘する霊感情観念複合体が構築される。聖書では要塞だ。これはいのちのフロー(流れ)をブロックする。健康はつねに流れている心、ハートフローがカギである。

だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。-ピリピ3:15

ここにある「考える」と訳された単語の原意は横隔膜だ。つまりブレインの表層的意識で思いめぐらすのみでなく、ハートへと下ろし、さらに腹へと下ろしたとき、それは納得できる。いわゆる腑に落ちる状態だ。このときサブコンシャスマインドの書き換えが起きている。これまでのアダム系のアレコレの思念や思惑で生きるのではなく、キリストのマインドが活性化される(1Cor 2:16)。私の考えはキリストのそれであり、キリストの思いが私の思いとして反映し、再現される。ゆえに100%御父によって受け入れられる。

父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。-ヨハネ11:41-42

このフェイスの告白は私のものとなる。このときこのみ言葉が実現する。

わたしを信じる者はわたしのなしたわざをなし、さらにおおいなるわざをなす。-ヨハネ14:12

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1 マインドのあり方によってDNAですら影響を受けることはサイエンスの教えるところである。
2 精神医学的にも精神状態は内臓感覚として反映される。最近では小腸の健康と若さや精神衛生と密接に関係していることが分かってきている。

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