エクレシアとキリスト教会の食い違い
エクレシアといわゆるキリスト教会はどう食い違うのか[1] … Continue reading。エクレシアとはキリストの充満(プレローマ)、つまりキリストご自身だ。これがエクレシアの霊的定義である[2]可視的エクレシアの定義は「いたるところで私たちの主イエス・キリストの御名を呼び求めている人々である」(1Cor 1:2)。。邦語訳(邦誤訳)で、その方の満ちておられる【ところ】とするから的外れ。彼らの理解では「ところ=エクレシア」であり「キリスト≠ところ」だから、「キリスト≠エクレシア」となる。それはハマルティア。日本語の呪縛から解かれよ!
このエクレシアとはキリストの体、すべてのものをすべてのものの中に満たす方の充満である。-Eph 1:23
つまりエクレシアはキリストの充満(岩波訳、Eph 1:23)、ひとりの新しい人(Eph 2:15)。つまりキリストそのものだ。邦語(誤)訳で理解してはならない。
体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。-1コリント12:12
パウロはここで「キリストの体の場合も同様」とは言っていない。「キリストの場合も同様」と言っている。パウロはキリストと体を同一視しているのだ[3] … Continue reading。お分かりになるだろうか、白いキリスト教神学の洗脳を受けているキリスト教徒の皆さま。
われわれはひとつの体の中へとバプテスマされたのだから。
For by one Spirit we were all baptized into one body-whether Jews or Greeks, whether slaves or free-and have all been made to drink into one Spirit. -1Cor 12:13 (NKJV)
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