iDLE UTTERANCE
Dr.Luke的日々のココロ



いつもの再建主義の富井氏の論。かなり因縁めいたものを醸している。その主張の核はこの二点。
>聖書の中核は、神がホレブの山においてモーセに対して自らの指で岩板に書き
>記された「十戒」である。
>旧約聖書の律法は、神の御心の表現であるから、その本質は、未来永劫不変
>であり、実行すべきである。
すでに何度も論駁しているので繰り返すまでもないが、次の聖句を上げるだけで十分であろう。
神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。-コロサイ1:27
このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。-ガラテヤ3:24
次に、「見よ、わたしは御旨を行うためにまいりました」とある。すなわち、彼は、後のものを立てるために、初めのものを廃止されたのである。-ヘブル10:9
律法はいのちの御霊の法則にヴァージョンアップされている。律法はレビ系のもの、いのちの御霊の法則はメルキゼデク系のものである。

———————以下引用——————-
tomi 2019/10/29(火)22:11
その宗教の教典に違反する教派はその宗教に属する資格がない5
この悪霊の働きは、ノンクリスチャンだけではなく、クリスチャンにも作用している。
これまで、どれだけ冷たい視線を浴びてきたことか。
「律法の本質を現代に適用する」ことのゆえに教会で裁判にかけられた。
アルミニウス主義やディスペンセーション主義の無律法主義の影響は、福音派に留まらず、カルヴァン主義者にも及んでいる。
アルミニウスもマニエル・ラクンザも、ローマ・カトリックから送られた刺客である。
ローマ・カトリックの本質は、タルムードユダヤ教のグノーシス主義、つまり、ルシファー崇拝である。
悪魔が、プロテスタント・キリスト教から骨を抜くために教理をかき乱してきた。
ミレニアムの活動は、以下の5条件に集約できる。
1.聖書の絶対的権威
2.人間に与えられた世界統治の使命の回復
3.神の法の回復
4.神の契約的取り扱い
5.キリストの不可避的勝利の確信
1.
聖書の中核は、神がホレブの山においてモーセに対して自らの指で岩板に書き記された「十戒」である。
それゆえ、人間が聖書を批判することは許されない。
聖書は、絶対不変の法であり、前提としてのみ受け取るべきものである。
聖書に疑いをかけることは、タブーであり、疑いをかけた人は、神との和解の契約から追い出される。
2.
神は人間を被造世界を代理統治させるために創られた。
それゆえ、聖書に啓示された神の御心に反する行為はすべて有害無益であり、それを継続的に行う者は、統治者の任務を解かれる。
3.
旧約聖書の律法は、神の御心の表現であるから、その本質は、未来永劫不変であり、実行すべきである。
この神の法は、キリストによって完全に成就されたので、遵守に失敗しても、それによって永遠の命を失うことはない。キリストの犠牲を根拠に、悔い改めることによって契約の中に留まることができる。
しかし、法律である以上、過失は許されるが、故意は許されない。
神の法そのものを拒絶することは、神ご自身を拒絶することであるから、契約から排除され、永遠の命を失う。
時代的・民族的特殊性を取り除いた後に現れる「本質」を遵守することが、われわれに求められている。
パウロは新約のクリスチャンに対して律法の本質を守るように命令している。
聖書に「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」、また「働き手が報酬を受けることは当然である」と言われているからです。(1テモテ5・18)
4.
神は人間を契約的に取り扱われる。
誰でも善を行う者は祝福され、悪を行う者は呪われる。
人間は、「救いの根拠」としての律法遵守を求められていない。
救いは、もっぱら信仰によるからである。
しかし、クリスチャンは、神の民として聖となり、祝福を受け、地上統治の任務を遂行するために、神の法の遵守が求められている。
5.
キリストの十字架と復活、昇天、再臨によって、サタンは天から追い出され、支配権を失った。
サタンが支配しているのは、ノンクリスチャンだけである。
紀元70年以降、全世界の支配者は、キリストである。
キリストが主権者であるから、悪魔の国を破壊し、神の国を前進させる活動は、必ず成功する。
クリスチャンは、キリストの代理統治者であるから、クリスチャンの活動によって、悪魔の影響力は弱まり、徐々に世界は神の国に変わる。

老子第五十七章-それ天下に忌諱多くして、民弥々貧し
この警鐘、真に現代ニッポン(とその合わせ鏡のニッポンキ業界)に対するものだ:
●全文:正を以って国を治め、奇を以って兵を用い、無事を以って天下を取る。吾れ何を以ってその然るを知るや。これを以ってなり。それ天下に忌諱(きき)多くして、民弥々(いよいよ)貧し。民に利器多くして、国家滋々(ますます)昏(みだ)る。民に知恵多くして、邪事(じゃじ)滋々起こる。法令滋々彰(あき)らかにして、盗賊多く有り。故に聖人は云う、我れ無為にして民自ら化す。我れ静を好みて民自ら正し。我れ無事にして民自ら富む。我れ無欲にして民自ら樸(ぼく)なりと。
●意訳:正しさで国を治め、奇策で戦いというが、何もしないで天下を取る。なぜそう思うのか。規制ができるほどに国民は貧しくなる。オツムのいいヤツが増えると国は乱れ、民がなまじ知恵を得ると邪悪な事件が頻繁に起きる。法律が増えれば盗賊も増える。だから無為自然であれば、民は自ずと自分を正し、豊かになるもの。私欲がなければ、民はみな素朴に人生を楽しむのだ。
これね、霊的にも同じ。日本民族総福音化決起大会とか激を飛ばし、教会成長セミナーとか、霊的形成のノウハウとか、あれこれ・・・。これらニッポンキ業界に溢れる本が増えるほど、実態は、クリスチャンは貧しく、堅苦しく、作為的になり、霊的に窒息しているわけ。オツムのよろしいセンセイたちが増えるほど、彼らがノウハウを語るほどに、この業界は絶滅危惧種と化す。人間的なことは何もするな!極私的に言えば、無為自然に超自然たれ!主も言われるであろう:
神の国の種は夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに人手によらず成長し、人はどうしてかわからない。-マルコ4:27
まことに老子の言う道(タオ)とはジーザスのこと。ジーザスは御父にすべてを任せ、無為自然に超自然を生きていたのだ。
わたしは道であり、真理であり、いのちである。-ヨハネ14:6
魂のリキが抜けると自然といのちの御霊の法則が働く。それは脱力すれば自然と水に浮くのと同じ。もがけば逆に沈む。すべては法にゆだねること。道元も、その任せる法は異なるも、こう喝破している:
仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、萬法に証せらるるなり萬法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。 -正法眼蔵・現状公案

ジーザス自身が正統から外れた存在。正統とか主流なるものはほとんどがフェイクである。

TODAY’S CELEBRATION Oct 27, 2019:霊的オーガニック・メタボリズム
MSGタイトル:霊的オーガニック・メタボリズム 引用聖句:Ma …
- MSGタイトル:霊的オーガニック・メタボリズム
- 引用聖句:Mark 4:26-29;John 6:53-57;John 6:63;Rom 12:2;Gal 4:19 etc.
- 2019年11月3日(日)のセレブ
・場所:ワークピア横浜ユーフォニー
・時間:14.00-18.00 - プレイヤーMTG:ハロー会議室石川町元町(第二、四水曜日13:00-17:00)
- セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。

NEW DVD発売:『FAITH CAMP 2019 SEMINAR』の二回のレクチャーを編集した映像。YouTube公開のものに手を入れてます。定価3,000円。注文はオンラインショップにて。

一言でいえば、アメリカ版『人間失格』だ。
主役のホアキン・フェニクスは『グラディエーター』でコモンドス皇帝を演じて印象に残っている俳優。『教授のおかしな殺人妄想』も面白かったが、やや病的なキャラがピッタリする。(彼は口蓋裂だったようだ)
ピエロはスティーブン・キングの『IT』などもだが、笑いを提供する存在であるはずだが、悲しみの象徴でもあり、不気味さを醸す存在でもある。存在自体が自己撞着的なのだ。
なお、若い女の子多かったのはちょっと意外だ。

この用語は友人の内海信彦画伯が用いたもの。が、霊的な意味で理解するとこれが実にフィットする。
わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり、神の建物である。-1コリント3:9
わが身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストがエクレシアになさったと同じに、わが身を養い、いたわるものです。-エペソ5:29(Dr.Luke改)
「モルフォー」とは構成される・形成されるの意味。受精卵が分裂し、徐々に器官が分化する過程を言う。「メタモルフォー」は昆虫の変態、毛虫から蛹になり、蛹の中では中枢系を除いて一旦器官がドロドロに溶かされる。そしてあの蝶の形が形成されるのだ。コリント書が指摘するのはモルフォーがなされる場=畑=がエクレシアであるとする。では何が構成されるのか?
エペソ書をよく読んでほしい。みな自分の身(flesh)を憎んだ者はなく、むしろわが身を養うとある。それはキリストがエクレシアになされたとのと同じであると言う。つまりキリストは自分の身を養われるのである。自分の身とは、すなわちエクレシアである。つまりエクレシアはキリストご自身である。
わたしたちは、キリストの体の一部なのです。-エペソ5:30
この節には落ちている言葉がある。すなわち、「キリストの体の一部であり、肉の肉、骨の骨である」。これはもちろん
そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。-創世記2:22-24
の反映である。ゆえにパウロはこの奥義は偉大である、わたしはキリストとエクレシアについて言っている、と証しする(Eph 5:32)。エバがアダムの骨、つまり眠らされているアダムのわき腹の傷からの骨、すなわち彼の要素から建て上げられた(build up)ように(Gen 2:22)、エクレシアもキリストが眠らされている間にそのわき腹の傷から流れた血と水により生み出されて、建て上げられる(Eph 4:16)。
すなわちアダムとエバは同じ生命を共有してひとつであるのと同様に、キリストとエクレシアも同じ復活の生命(Zoe)を共有したひとつの有機的な生命体である。ゆえに、
エクレシアはキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の充満です。-エペソ1:23(原語)
エクレシアはキリストの充満、すなわちキリストである。われわれはパースンとしてはキリストとは別のパースンであるが、同じ生命を共有している。つまり同じ霊のDNAを共有し、霊的遺伝学(ジェネティクス)的には同じ種族、すなわちエロヒム族である。これは、中村家に誕生した赤子は両親とは別人格であるが、同じDNAを共有した中村族であることと同じである。ゆえにパウロはこう証しする:
神の増殖を増殖する。-コロサイ2:19(田川訳&岩波訳注)
エロヒムが増殖するのである。エロヒムとは霊的生命体の属であり、その最も高きエロヒムがYHWH=父・子・聖霊=である。そこでイエス自身も詩編82編を引いてこう確証する:
そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちはエロヒムである』と書いてあるではないか。神の言葉を植え込まれた人たちが、『エロヒム』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。-ヨハネ10:34-35(Dr.Luke改)
この部分に関してHRB(Hebrew Root Bible)は次のようにコメントしている:
This psalm is talking about mankind’s great potential to become a literal child in the family of Yahweh
われわれは文字通りのYHWH家の子供とされるのである! 同じ生命をシェアしているからである!
今、われわれのうちにはキリストがモルフォーされつつある(Gal 4:19)。ゆえにわれわれはモルフォジェネティクス・フィールド、すなわち神の畑なのだ。キリストを培養する培地である。そしてかの日、御子は肉体をもって地上に来られるとともに、私たちを通して表現されるのだ。
愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。-1ヨハネ3:2

tomi 2019/10/23(水)14:53
日本の解放を告げる皇居の上の虹
http://www.millnm.net/cgi-bin/wwwboard.cgi
即位礼が始まったときに雨が止み、皇居の上に虹が出、富士山に三重の雲がかかったのは偶然ではなく、神の摂理と考える。令和とともに日本が戦後負わせられた桎梏を断ち切る時が来たのではないか。戦後、イルミナティ共産主義者が米国を使って日本を奴隷状態に置いてきた。われわれの稼ぎは米国イルミナティに上納され、イルミナティの代理人である異民族が世論形成の手段マスコミを支配してきた。
・・・中略・・・
神が、大洪水を起こさないと誓われたのは、贖いが存在するからである。虹は、キリストによる和解の象徴である。日本は、その和解を象徴する国であることが今回明らかになったのである。
まことに今の日本の惨状を見る時、かくあるべしと思うのは理解できる。彼らの世界観は-
悪魔がイルミナティやメーソンを用いて世界統一政府を画策し、真の神の国イスラエルである日本を抑圧しているが、彼らの企みを祈りと信仰によって打破し、日本から世界の救いをもたらし、ひいてはモーセ律法によるに国家統治を行うことこそキリストの千年王国の建設であり、全世界が福音化された暁にイエスが再臨する
というわけだ。
すでに千年期である以上、その状態にふさわしくない自然現象や社会事象はすべてイルミナティやメーソンによる陰謀・シカケである。福島の原発事故さえも放射線のホルミシス効果によってむしろ―
毎時300mSvを浴びる勇気のある方はぜひ福島へ移住されたらよいでしょう。この映像は2011年に現地で調査したときのもの。これで30mSv/hである。
シーザーが言った:人は見たいものを見たいように見て、聞きたいことを聞きたいように聞くと。つまりは外的事象に対して自分の心の在り方あるいは願望を投影しているのだ。自分の内的パラダイムと矛盾しない解釈を与える、あるいは採用する。まことにこれが人の心の真実である。

わたしたちには、神が”霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。”霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。-1コリント2:11-12
神は人の内に霊を造られた。霊は内なる神の光。その霊は人の心の奥深くも知る。実は自分の霊は自分のことをよく知っている。が、人の心は歪んでいる(Jer 17:9)。その真実から逃れるために、実にいろいろな企てをする。自分が満たされていること、自分には信仰があることなどを、自分で証明しようとして・・・・。ああ、それ自体、自分の内なる空虚を証明しているではないか。そのような作為は、自分の真実から逃れるための哀しきもがきなのだ。自分が霊的に空虚であることを認め、あらゆる取り繕いを放棄して、真に頭を垂れた者は幸いだ。

TODAY’S CELEBRATION Oct 20, 2019:スピリチュアル・モルフォジェネティクス
MSGタイトル:スピリチュアル・モルフォジェネティクス 引用聖 …
- MSGタイトル:スピリチュアル・モルフォジェネティクス
- 引用聖句:Gen 1:26;5:1;5:3;Rom 5:14;1Cor 15:20;2Thess 2:13;James 1:18;Prov 27:19;Heb 4:12;Rom 2:29;Gal 6:15;5:17;5:21 etc.
- 2019年10月27日(日)のセレブ
・場所:ワークピア横浜ユーフォニー
・時間:14.00-18.00 - プレイヤーMTG:ハロー会議室石川町元町(23日13:00-17:00)
- セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。

NEW DVD発売:『FAITH CAMP 2019 SEMINAR』の二回のレクチャーを編集した映像。YouTube公開のものに手を入れてます。定価3,000円。注文はオンラインショップにて。

再建主義はカルバン神学を基礎として、ポスト・ミレに立っている。つまり現在はすでに千年期であり、御国の建設のために邁進すべしというスタンスである[1]この点において、再建主義者は天皇をトップにした統一された世界すなわち八紘一宇の建設(大東亜共栄圏)と親和性があるのだろう。。サタンの手先であるメーソンやイルミナティによる世界統一政府樹立を阻止し、欺かれているディスペンセイションを粉砕し、モーセ律法によるキリストの国を打ち立てることが彼らの人生の意義である。ゆえに次のような発言になる-
瞬間に創造できる神が、なぜ世界を6日で創造されたのか。
http://www.millnm.net/cgi-bin/wwwboard.cgi
それは「人間の労働のフィールドだから」である。
世界は、労働の場、作業場として建設された。
6日働いて1日休むシステムは、労働のそれである。
神は人間を労働のために創造された。
人間は、神の命令にしたがって作業をし、神的文明を築き上げる責務を負っていた。
そして、その作業を完成したら、報酬を与える予定であった。その報酬とは、自分が耕した農地、自分が獲得した利益である。
神は、アダムが完全に神の命令にしたがって労働したら、その労働した分を全部、アダムに「永遠に」与える予定であった。
アダムにとって、人生とは、報酬を受け取るための労働であった。したがって、「人生は楽しむためのもの」という認識は基本的に間違っている。
人生の主要な意味は「労働」である。
神のために財やサービスを生産することである。
果たして御言葉はこのようなことを啓示しているだろうか?
パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの-1コリント3:22
信じた私たちは安息にはいるのです。「わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息にはいらせない。」と神が言われたとおりです。みわざは創世の初めから、もう終わっているのです。-ヘブル4:3
すでにニュークリーチャーたるわれわれは時空間の存在をすべて所有していると書いてある。そして信じた者は自分のわざをやめて安息に入るのだ(Heb 4:10)。主はご自分の血で買い戻して下さったすべての嗣業をわれわれに相続させ、それを楽しめと言われるのだ。
すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」-ルカ15:31-32
どうも再建主義者はこの放蕩息子ではなく、「こんなにあなたのために働いているではありませんか、なのに・・・」と不満を訴えた兄のスタンスで生きているようだ(Luke 15:29)。御父は、わたしの持っているものはすべてお前のものなのだと言われるのだが・・・・。
われわれが労するのではない[2] … Continue reading。フェイスによるエルゴンが労するのだ(Col 1:29;James 2:22)。それはフェイスとエルゴンのシナジー効果だ。フェイスはわれわれの僕だ。YHWHエロヒムの霊のバイブレーションに共鳴したわれわれの霊から語り出された言葉(レーマ)は、必ずその言い送られたことを成し遂げる(Isa 55:11)。
フェイスは”おあづけ”状態の犬のようなものではない。これから頑張ってゲットするのではない。すでに得ていることを実体化することだ。
いま、フェイスとは願われるサブスタンス(or 実体化)であり、まだ見ていないことの現出である。-Heb 11:1(私訳)
「まだまだ」モードから「すでに」モードへのシフトである。われわれはそのフェイスの実を収穫して楽しむのだ。満ち足りよ! 楽しめ! そしてこれは来るべき千年期の前味わい、フォア・テイスティングである。そのために聖霊が手付金として与えられたのだ(Eph 1:14)。ゆえにわれわれはセレブレーションにて喜び祝うのである。
人を豊かにするのは神の祝福であり、人の労苦は何も加えない。-箴言10:22

再建主義にしろ、昨今の日ユ同祖論者にしろ、聖書の真理を外れかけている危険性を覚えている。YHWHの意図はキリストの体を得ることであり、現在の経綸においてはアダムにある者たち(旧創造)とキリストにある者たち(新創造)の二種類しか存在しない。
アダムはYHWHの型と様に創造されたが、罪により堕落した。そしてカイン、アベルをもうけ、アベルの死後
アダムは百三十歳になったとき、自分に似た、自分にかたどった男の子をもうけた。アダムはその子をセトと名付けた。-創世記5:3
YHWHの贖いの計画はセト系につながるが、セト自身はアダムにかたどって生まれたのである。つまり生まれた時からすでに罪を得ている古い創造として。そのアダムについてはこう言われている-
ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。アダムはきたるべき方のひな型です。-ローマ5: 14
アダムにあって生まれる者はすべてアダムの型に従っている。そのアダムにある存在(=古い人)をキリストは十字架で終わらせた。
わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が
滅ぼ廃業され、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。-ローマ6:6-8
ここに新しい存在が生み出されたのである。
肉から生まれる者は肉であり、霊から生まれる者は霊である。-ヨハネ3:6
これがニュークリーチャーである(2Cor 5:17)。この存在はエロヒム属としてキリストにある存在である。つまりアダムが自分の型に従って子孫を生み出したように、キリストは自分の型に従って子孫を生み出すのである。そしてこの節の前にはこうある―
それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。-2コリント5:16
パウロはキリストを肉に従って知ってはいない。ここは彼独特の皮肉的な表現であり、肉に従ってキリストを知っている人々をけん制しているのである。彼らはそのことを誇りに思っていたのであろう。しかし、今やキリストはいのちを与える霊として、われわれニュークリーチャーの霊のうちに聖霊により住まわれる。この霊なる存在を知ることこそ、新約の特権なのだ。キーワードは「肉に従って知ることをしない」。
昨今、メシアニックジューなるものがもてはやされ、ニッポンクリの間でも仮庵の祭りを執り行うとかのむきがある。愚かしいものだ。レビ23章をよく読めと言いたい。キーワードはmiqra。そしてコロサイ2:17では、それらはすべて影、体(soma)はキリストだと明言している。
メシアニック・ジューを奉る心理と日ユ同祖論に入れ込むそれは同じものだ。所詮は肉を頼りとして誇るもの。それをパウロはゴミだと言っている。ニッポンキ業界の偽り事に欺かれることなかれ!
とはいえ、肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない。だれかほかに、肉に頼れると思う人がいるなら、わたしはなおさらのことです。・・・・しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。-ピリピ3:4-8
日本にはユダヤの秘密が隠されていると詮索する傾向がブームとなりつつある感もある。ムー系の人たちの得意とする事だが、まことの奥義はエクレシアである。仮に天皇がレビ系祭司だったにしても、それは廃止されて、現在はメルキゼデク系。メシアニック・ジューや神社などを奉るのは愚かさの極みだ。
この奥義は偉大です。私は、キリストとエクレシアとをさして言っているのです。-エペソ5:32
日本人のルーツを聖書に求め、一方でメシアニック・ジューを奉りつつ、自分たちも仮庵の祭りだの過ぎ越しの祭りだのを実演するクリも増えているが、これは新創造としてのアイデンティティーの希薄さをカバーする試みに過ぎない。彼らには何らの秘密も神秘もない! すべての神のサブスタンスはキリストの内に形をとって宿っているのだから(Col 2:9)。
キリストとその御業に何かを付け加えてはならない。すべては完ぺきに完成しているのだ! 何も足さない、何も引かない。ゆえにわれわれは表題のグラフィックのとおり証しするのだ。

いつもの再建主義の富井氏の論。日本は神が残されたユダヤ系の国であると。昨今、宇野正美以来、日本には新旧のユダヤ人が来ており、日本は真のイスラエルであるとし、神社にはその秘密が隠されている主張する人々が増えている感じだ。雑誌『ムー』系のニッポンクリもけっこういる。かく言う私も、同誌は必ずしも嫌いなわけではない。
ポイントは旧約のユダヤ人の反逆により、あのイスラエルの地はYHWHにより、AD70年に見捨てられたとする。代わりにこの日本列島が真のイスラエルとして選ばれたわけである。しかしながら、御言葉はエレツ・イスラエル(カナンの地)は永遠のイスラエルの嗣業の地であると宣言している(Ps 105:11)。以下、引用・・・。
tomi 2019/10/18(金)10:27
われわれの祈りによってルシファーの世界征服計画は頓挫する
故江上波夫東大教授が述べたように、日本には紀元2世紀に初代教会の人々がやってきたのである。
神武天皇は秦氏であり、秦氏は、弓月国というユダヤ系キリスト教国からやってきた。
紀元前2世紀にやってきた徐福は物部氏の祖先になったが、物部氏は秦氏と互いに璽を見せ合って、同族であると確認し、畿内の政権を秦氏に委譲した。
つまり、物部氏もユダヤ人なのである。
神は、日本にユダヤの王族を隠してこられた。
パレスチナのユダヤ人は、ミシュナーによって堕落し、バビロン化した。
ルシファーを崇拝するパリサイ人に支配され、預言者を次々と殺し、最後には御子まで殺害した。
そのため紀元70年に裁きが下り、イスラエルは滅んだ。
しかし、イスラエルの中にはイエスに従う「本物のユダヤ人」がいた。
彼らは初代教会を形成し、ローマ軍のエルサレム包囲から逃れて、東に移動した。
イスラエルは全滅したのではなかった。
マタイ25章でイエスは「羊と山羊をわける」と言われた。
紀元70年に羊と山羊は分けられて、羊は救われ、山羊は滅んだ。
この羊系ユダヤ人は歴史から忽然と姿を消すのだが、江上波夫氏は、日本にやってきたという。
山羊系ユダヤ人は、異邦人の中に散って、迫害を受けながら徐々に力を蓄えて、現在、世界の富を独占するまでになった。
日本は、羊系ユダヤ人の国であり、おそらく皇室は、古代イスラエル王家の末裔だろう。
山羊系ユダヤ人が信じるタルムードはルシファー崇拝の書である。
彼らは、世界を統一し、ルシファーの国にしようとしている。
それを妨害するクリスチャンを黙らせるために、ディスペンセーション主義を注入して、クリスチャンを自分たちの仲間、つまり、シオニストに変えることに成功した。
日本は、この計画を挫折させるために用意された神の秘密兵器であり、その秘密は日本人自身にも隠されてきた。
物部・秦氏の末裔である八咫烏たちは、この秘密を絶対に外部に漏らさない。
伊勢神宮の心御柱と八咫鏡も絶対に外部に秘密にされている。
日本は表面上、多神教国で、仏教国であると見えるが、実は、本家本元のユダヤ系キリスト教国である。
このことは、皇室自身も知らない。
それくらい秘密にされてきたのは、「最後に破壊するため」である。
毒麦は毒麦の姿を現さない限り、抜き取ることはできない。
911において、バベルの塔はその姿をはっきりと現した。
2本の塔が破壊され、1本の塔になった。
ヘーゲルの「正反合」である。
テーゼとアンチテーゼを対立させ、最後に止揚し、合わせる。
この1本の塔の名は「ワンワールド・トレードセンター」。
バベルの塔である。
欧州にもバベルの塔がある。それがEU会議場。バベルの塔の形をしている。
世界は、ルシファー崇拝者によって牛耳られた。
しかし、日本には、神が最終兵器を残しておられる。
それがわれわれ日本人クリスチャンである。
われわれの祈りによってルシファーの世界征服計画は頓挫する。

ニッポンキリスト教で盛んに言われるのが、これ、「ありのままのあなたが高価で尊い」とか。いい加減目を覚ませよと思うが、あまりにも幼稚なレベルで、すでに苦言を呈する気も失せていた。ところが世の人がその欺瞞性に気がつき出しているようだ。例えばこの記事:
「ありのままのあなたが高価で尊い」云々・・・。これを砂糖まぶしの福音と呼ぶ。ああ、久々に使ったなあ・・・。もっと言おう、これは負け犬のいい訳神学であると。御言葉はそんなことを一言も言っていない。むしろイエス自身が「自分(セルフ)を否め」と言われ(Luke 9:23)、さらにこうあるのだ:
互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。-Col 3:9-10
セルフは魂と霊を切り分けられることをもっとも嫌う(Heb 4:12)。よってニッポンキリスト教徒の神経をもっとも刺激するのがこの点なのだ。彼らの反応はある種の狂気を帯びている。反論する者、非難する者はご勝手に、だ。彼らは私に対立するのではなく、御言葉に対立しているだけだ。いずれその結末を自ら得ることになるだろう。

わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。-マタイ7:21-23
イエスを主と告白できるのはただ聖霊によるから(1Cor 12:3)、ここの「主よ、主よ」と呼ぶ者はクリスチャンである。彼らは主の名を使って、預言をし、悪霊を追い出し、力ある業を行っている。まさに今日の聖霊派の状況である。が、彼らはイエスにより「全く知らない」と宣告される。理由は「不法を働く」からだ。そこでここを普通の牧師は「悪いことをしないで生きましょう」と説教する。嗚呼、これ自体が不法なのだ。
これについてはメッセでも何度も触れているが、「不法を働く」とはいわゆる「悪行」のことではない。われわれ、YHWHの霊と種(DNA)をインプラントされてニュークリーチャーとされた者たちは、善と悪を知る木によって生きるのではない。いのちの木によって生きる者である(☞聖書が究極的に語ることとは<旧新約聖書の鳥瞰図>)。善と悪とか、生と死とか、二元論的世界ではなく、いのちの一元的世界に生きること。そのいのちはZOEであり、いのちは法則によって機能する。それがいのちの御霊の法則である(Rom 8:2)。
23節の意味は、「法則に従わないこと」。その法則とはレビ系の石に書かれたモーセ律法ではなく、その上位互換バージョンのメルキゼデク系キリストの復活のいのちの御霊の法則だ(Rom 8:1-2)。この法則によるとき、モーセ律法も自動的に満たされる(Rom 8:4)。このことは再建主義の富井氏との議論でも何度も書いた[1] … Continue reading。メルキゼデク系の祭司制度にある私たちの責任は肉やモーセ律法に対してではない。それらに対してはすでに死んでいるからだ(Rom 7:1-6)。その死を信じ、御霊により生きること、これが私たちの責任となる(Rom 5:11;Gal 5:11)。これに外れることに対する警鐘がマタイのここである(Matt 7:21-23)。
つまり、イエスの名を使うことにより聖霊派が追及しているような徴・不思議は可能であるのだが、必ずしもいのちの御霊の法則に則っているわけではない。そこを主は咎めているのである。すべていのちから現出すること、これがYHWHの求める御霊の実である。
これらのイエスにより拒絶された人々は滅びるのだろうか? アブソリュートリー・ノー。彼らは永遠の救いは受けている。しかし、千年期において御国から追い出されているのだ(Matt 22:13;25:30)。その査定がキリストの御座の裁き(ベーマ)で行われる(2Cor 5:10)。この査定は千年期の前に行われるものであり、千年期における報酬を決定するものである(Luke 19:16-18)。よって滅びへの裁きではない。滅びへの裁きは千年期後の白い御座の裁きである(Rev 20:11-12)。
神の国とは霊的領域はもちろんであるが、経綸的に言って、YHWHエロヒムの主権の及ぶすべての時間と空間を網羅した領域である。御国とは現在のエクレシアの時代と来るべき千年期である。つまり経綸的に神の国の一部分である(☞神の国(キングダム)とエクレシア)。永遠のいのちを得てエクレシアに招かれるのはただ恵みによるが、千年期の報酬はフェイスによる行為(エルゴン)が問われる(James 2:17)。
なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。-2コリント5:10
報いとは必ずしも罰とは限らない。報酬である。だからパウロはこう証ししている:
植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。-1コリント3:8
神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。-ピリピ3:14
永遠の救い(=神の国にエロヒム属として生み出されること)と経綸的に千年期に参与(=御国の報酬を得ること)することの区別、それに伴う白い御座の裁きとキリストの御座の裁きの区別を見る必要がある。この点においても再建主義の現在が千年期であるとする立場は聖書にそぐわないものであると言わざるを得ないのだ。

スパムがひどくて閉鎖しておりましたが、恐々と再会してみました。今のところ荒らされておりません。ややこしい内容はこちらにお願いします。

再建主義では千年期に反する社会自然事象はすべてイルミナティやメーソンの陰謀とせざるを得ないわけ。彼らを潰して、世界をモーセ律法で統治すること。これが彼らの「地を治めよ」の意味である。が、律法は罪人のために付加的に与えられたもの。YHWHの当初の目的ではないのだ。