
いつもの再建主義の富井氏の論。かなり因縁めいたものを醸している。その主張の核はこの二点。
>聖書の中核は、神がホレブの山においてモーセに対して自らの指で岩板に書き
>記された「十戒」である。
>旧約聖書の律法は、神の御心の表現であるから、その本質は、未来永劫不変
>であり、実行すべきである。
すでに何度も論駁しているので繰り返すまでもないが、次の聖句を上げるだけで十分であろう。
神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。-コロサイ1:27
このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。-ガラテヤ3:24
次に、「見よ、わたしは御旨を行うためにまいりました」とある。すなわち、彼は、後のものを立てるために、初めのものを廃止されたのである。-ヘブル10:9
律法はいのちの御霊の法則にヴァージョンアップされている。律法はレビ系のもの、いのちの御霊の法則はメルキゼデク系のものである。

———————以下引用——————-
tomi 2019/10/29(火)22:11
その宗教の教典に違反する教派はその宗教に属する資格がない5
この悪霊の働きは、ノンクリスチャンだけではなく、クリスチャンにも作用している。
これまで、どれだけ冷たい視線を浴びてきたことか。
「律法の本質を現代に適用する」ことのゆえに教会で裁判にかけられた。
アルミニウス主義やディスペンセーション主義の無律法主義の影響は、福音派に留まらず、カルヴァン主義者にも及んでいる。
アルミニウスもマニエル・ラクンザも、ローマ・カトリックから送られた刺客である。
ローマ・カトリックの本質は、タルムードユダヤ教のグノーシス主義、つまり、ルシファー崇拝である。
悪魔が、プロテスタント・キリスト教から骨を抜くために教理をかき乱してきた。
ミレニアムの活動は、以下の5条件に集約できる。
1.聖書の絶対的権威
2.人間に与えられた世界統治の使命の回復
3.神の法の回復
4.神の契約的取り扱い
5.キリストの不可避的勝利の確信
1.
聖書の中核は、神がホレブの山においてモーセに対して自らの指で岩板に書き記された「十戒」である。
それゆえ、人間が聖書を批判することは許されない。
聖書は、絶対不変の法であり、前提としてのみ受け取るべきものである。
聖書に疑いをかけることは、タブーであり、疑いをかけた人は、神との和解の契約から追い出される。
2.
神は人間を被造世界を代理統治させるために創られた。
それゆえ、聖書に啓示された神の御心に反する行為はすべて有害無益であり、それを継続的に行う者は、統治者の任務を解かれる。
3.
旧約聖書の律法は、神の御心の表現であるから、その本質は、未来永劫不変であり、実行すべきである。
この神の法は、キリストによって完全に成就されたので、遵守に失敗しても、それによって永遠の命を失うことはない。キリストの犠牲を根拠に、悔い改めることによって契約の中に留まることができる。
しかし、法律である以上、過失は許されるが、故意は許されない。
神の法そのものを拒絶することは、神ご自身を拒絶することであるから、契約から排除され、永遠の命を失う。
時代的・民族的特殊性を取り除いた後に現れる「本質」を遵守することが、われわれに求められている。
パウロは新約のクリスチャンに対して律法の本質を守るように命令している。
聖書に「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」、また「働き手が報酬を受けることは当然である」と言われているからです。(1テモテ5・18)
4.
神は人間を契約的に取り扱われる。
誰でも善を行う者は祝福され、悪を行う者は呪われる。
人間は、「救いの根拠」としての律法遵守を求められていない。
救いは、もっぱら信仰によるからである。
しかし、クリスチャンは、神の民として聖となり、祝福を受け、地上統治の任務を遂行するために、神の法の遵守が求められている。
5.
キリストの十字架と復活、昇天、再臨によって、サタンは天から追い出され、支配権を失った。
サタンが支配しているのは、ノンクリスチャンだけである。
紀元70年以降、全世界の支配者は、キリストである。
キリストが主権者であるから、悪魔の国を破壊し、神の国を前進させる活動は、必ず成功する。
クリスチャンは、キリストの代理統治者であるから、クリスチャンの活動によって、悪魔の影響力は弱まり、徐々に世界は神の国に変わる。

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