黙示録の成立時期はAD70前か後か?
2020-01-16
それはAD70年前か、後か・・・。後であれば再建主義は根底から崩壊する。再建主義富井氏のAD60年代説を彼の論の運び方に沿ってすでに論駁しているが、ここで面白い点がいくつかあるので、書き留めておく。
前説の根拠:富井氏の論以外にも-
- ヨハネはAD70年のタイタスによるエルサレム崩壊についてなんら言及していない。
- 11章には神殿が建っている(Rev 11:1-3)。すなわちエルサレム崩壊前である。
後説の根拠:
- 教父たちの証言による(文書外根拠)。
- AD60年代にはスミルナの教会は存在していなかった。
- AD60年代のラオデキアの状況(Col 2:2;4:13,16)と黙示録の状況(Rev 3:16)は乖離する。
- AD60年にラオディアは大地震に見舞われており、黙示録の「不足は何もない」とする記述と矛盾する(Rev 3:17)。
- ヨハネはパトモス島にいたが、AD60年代のネロの処刑は斬首であり、流刑ではなかった。流刑はAD90年代のドミティアヌスの方法であった。
前説の1.については、エルサレムが「たとえてソドムとかエジプトとか呼ばれる大きな都」と記述され(Rev 11:8)、裁きを受けた都であることが示唆される。そもそも黙示録は歴史書ではなく、幻による予言書である。
前説の2.については、エゼキエルも存在しない神殿を記述している(Eze 40;42)。そもそもそれは天の神殿である(Rev 11:19)。
教父たちの証言についてはすでに紹介しているが、改めてこの表をクリップさせてもらおう。教父たちの証言によれば圧倒的にAD70年後の成立となる。
Comparison of the External Evidence
Domitianic Date | Neronic Date |
Irenaues (AD 180) | — |
Victorinus (AD 300) | — |
Eusebius (AD 300) | — |
Jerome (AD 400) | — |
Sulpicius Severus (AD 400) | — |
Primasius (AD 540) | — |
Isidore of Seville (AD 600) | — |
The Acts of John (AD 650) | Syriac witnesses (6th and 7th centuries) |
Orosius (AD 600) | — |
Andreas (AD 600) | — |
Venerable Bede (AD 700) | — |
— | Arethas (AD 900) |
— | Theophylact (AD 1107) |
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