iDLE UTTERANCE
Dr.Luke的日々のココロ


そして地は混沌かつ虚しくなり、アビスの表に闇が覆っていた。そしてエロヒムの霊が水の表にバイブレートとしていた。-創世記1:2(CLV)
創造はエロヒムの霊のバイブレーションにより開始された。Yahawehのフェイスが語り出されるとき、それはフレーム化された。かくしてすべてはバイブレーションである。
Yahawehのバイブレーションは地に満ちている。-詩編19:5

先に紹介した高山医師による臨床の現場からの最新情報。感染力はインフルよりも弱く、エアロゾル感染も言われていたが、接触感染が主だろうとのこと。
たとえば、電車やレストランなどで空間を共にしたぐらいでは感染していません(市中で空気感染はしない!)。咳やくしゃみによって生じる飛沫を吸い込むことでも感染しますが、それすらも限定的な印象があります(飛沫感染はするが限定的か?)。ただし、密閉された空間に有症者と長時間いると感染するリスクが高まってくるでしょう。
むしろ、もっとも効率的に感染を引き起こしているのは、ドアノブや手すり、トイレなどに付着していたウイルスに触れて、その手を目鼻口の粘膜に付着させることで感染しているのではないかと考えられます(おそらく接触感染が主体)。
たとえば、千葉県で感染を確認された3人が、市内の同じスポーツクラブを利用していたことが分かっていますが、それぞれ利用した時間帯が異なるようです。もちろん、この施設が原因であると決めつけてはなりませんが、施設内のどこかの共用環境にウイルスが付着していた可能性が高いと思われます。
市中で空気感染しているのであれば、もっと爆発的な感染拡大となるはずです。飛沫感染が効率的に起きているのであれば、動き回る「人」により拡大するので、クラスターとしては捉えにくく、より漠然とした地域的な流行を私たちは経験するでしょう。一方、接触感染は固定された「場」において発生するので、施設とか、事業所とか、病院といったクラスターを私たちは捉えやすくなります。
まだ決めつけるべきではありませんが、政府が「対策の重点=クラスター対策」とする背景には、そうしたウイルスの特性を踏まえたものだと理解してください。そして、もしも接触感染が主体であるならば、私たちは封じ込められる可能性を捨てるべきではありません。
こう考えてみれば、どのようなイベントに感染拡大リスクがあるのか分かってきますね。不特定多数がモノを共用するようなイベントは、とくに注意が必要です。たとえば、ビュッフェ形式の立食パーティはハイリスクです。いろいろな人が同じトングを触ります。ホテルで定番となっている朝食ビュッフェも、可能であればスタッフによる配膳にしていただいた方が良いかと思います。
卒業式はどうでしょうか? そんなに皆さんが触りあうわけではありませんね。不特定多数でもありませんし、有症者を休ませることも難しくないはず。ですから、開催自体は問題はないと思います。ただし、時間短縮は検討した方がいいかもしれませんね。念のため換気を行ってください。下級生との握手やハグは避けましょう。肘と肘をタッチする挨拶を普及させましょうね。あと、トイレなど共用部分にはアルコールを設置すること。
その後の謝恩会は? う~ん、残念ですが、流行が終わってからの企画へと延期した方が良さそうです。カラオケ行ってもいいけど、なるべく少人数で行きましょう。カラオケに限らず、それぞれの事業者はマイクのような共用物品の消毒をこまめにお願いします。
映画館に行っても大丈夫ですか? 残念ながら密度が高く、時間が長いことがリスクを高めています。とくに、高齢者や基礎疾患のある方は避けていただいた方がよさそうです。スポーツジムや日帰り温泉・・・ 残念ながら接触感染のリスクが高いと考えられます。ゴルフは開放的であり少人数でのプレーですから大丈夫です。ただし、入浴は自宅までお預けですね。
いまの段階では、むやみやたらにイベントを中止していく必要はありません。ウイルスの特性を踏まえつつ、リスクの高いイベントについて中止を検討したり、不特定多数が(直接・間接に)接触する機会を減らすよう工夫してください。どうしても共用を余儀なくされる場所(とくにトイレ)には、アルコールを設置して前後の使用を呼び掛けてください。そして、密閉空間で長時間に開催されるものでは、しっかり換気してください。
最後に・・・
実のところ、現時点では、皆さんが普通に暮らしていて、新型コロナウイルスに感染する可能性はほとんどありません。ショッピングモールに行こうが、ボーリングに行こうが、まあ感染することはないでしょう。ただ、唯一、リスクある場所があります。それは病院です。だから、いまの段階で最も実効性のある感染予防とは、「行かなくていいなら病院に行かないこと」ですよ。
今後の流行状況によっては、より強力な外出自粛を皆さんに求めていく可能性があります。事態は刻々と変化するでしょう。常に新しい情報へとアップデートしていただければと思います。

チャック・スミスやチム・ラヘイ系の前艱難携挙説では、最後の7年に入ってから(=エクレシアの携挙後)封印が解かれるとしているが、これだと現状を見誤る。
啓示録の封印は第一から第四まではすでに解かれ、第五の封印(=迫害)が解かれつつあるのだ。これはマタイ24章とパラレルである。ウォッチするのは第三神殿の再建だ。

- MSGタイトル:終わりの時代に備える-ダニエル&啓示録①
- 引用聖句:ビデオ内で確認のこと
- 2020年3月1&8日(日)のセレブは中止します
・場所:ワークピア横浜ユーフォニー
・時間:14.00-18.00 - プレイヤーMTG:
ハロー会議室石川町元町(2月26日&3月11日は中止します) - セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。

厚労省が正式には未承認薬のアビガンの投与を肺炎患者に開始した模様。
正式名ファビピラビル (Favipiravir)、富山大学医学部教授の白木公康と富士フイルムホールディングス傘下の富山化学工業(現:富士フイルム富山化学)が共同研究で開発したRNA依存性RNAポリメラーゼ阻害剤である。(@WIKI)
いつものとおり、化学構造を紹介しておこう。マウスでグリグリしてください。
Favipiravir |
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この詩はオリンピック招致が決まり、高き都庁の頂を極め有頂天だった猪瀬氏に対して詠んだもの。その後、彼は落ちた。五輪に関わる人々も次々に塵芥にまみれた。そして今、この国全体に滅びの風(霊)が吹いてきている。
なお、藤原氏の歌を意識している:
この世をばわが世とぞ思ふ望月(もちづき)の欠けたることもなしと思へば
揺らぐ江月
高樓に 金鏡滿ち
何来より 忽ち風を生ず
麈面に 江月揺るがし
功名 一切空(むなしく)ならん
(上平声一東韻)
高い楼に満月が光輝く
どこからか風が吹いてきて
噴き上がる塵に 水面の月も揺らぐ
かくして名声も 一挙に虚しくなってしまった
東京五輪も今や風前の灯。何度も書いたが、そもそも主に祝福されていないから。むしろ突っ張るとさらなる裁きを招く。アベちゃんもね。

この度のコロナウイルス(COVID-19)につきましては、専門家の間でも情報が一部錯綜しております。あのクルーズ船が培養器のような形になってしまったことは残念であり、我が国の防疫体制の甘さも否定できません。
現場の意志の得た臨床像によれば、高齢者や持病のある方々以外は致死率も低く、インフルエンザとリスクは大差ない模様です。またセレブにつきましては、23日は一応実施の方向でまいります。3月以降につきましては新たな情報と感染の拡大の様子を見て判断します。今、考えているのは3月はお休みにして状況を見る対応です。
神戸大の岩田教授のビデオは多くの皆さんがご覧になったと思います。一方で現場で奮闘している医師の発言にも耳を傾ける必要があります。そこで現在厚労省に出向されて現場で働いている高山医師[1]同氏は知遇はありませんが、私の後輩に当たります。の情報をご紹介します。
診断キットがあることによって医療機関は過密になり、院内感染のリスクも高まることでしょう。そもそも、インフルエンザのような特異的な治療薬もないわけですから、あえて受診する理由などなかったはずです。むしろ、高齢者や持病のある人を守るためにも、救急医療の機能を保つことに協力していただければと思います。
もちろん、息苦しさや高熱など、いつもの風邪とは違うと感じたときには、迷わずに病院を受診するようにしてください。診断キットの意義があるとすれば、こうした重症者のなかから新型コロナウイルス感染を見抜いて、カレトラなどの重症者向けの治療薬を選択することにあるのです。
このあたりのこと、理解できている政策決定者が少ないような気がします。地域における医療者の説明能力が問われていますね。
次に、風邪症状が1週間ぐらい続いて、倦怠感と息苦しさが出てくるもの。体がむくんだり、下痢が重なる人もいるようです。高齢者や基礎疾患のある方において、この経過をとる人が多いのですが、健康な壮年層にも見られることがあります。一方、この経過を子どもがとることは極めて稀とされています。
感染してから発症するまでの潜伏期間は5日(1-11日)ぐらいで、入院を要するほどに重症化するのは、さらに10日(9.1-12.5日)経ったころだと見積もられています。感染力が強いのは、発症から3~4日目ぐらいだと考えられていますが、重症化すると感染力も維持されて院内感染を引き起こしやすくなっています。
若者と高齢者で臨床経過が異なるので、重症化率と致命率についても世代別に考えた方がよいと思います。いまだ、世代別の疫学報告はありませんが、私個人のざっくりとした印象で言うと・・・、若者の重症化率と致命率は、統計的に見れば、ほぼゼロ%でしょう。一方、感染した高齢者の1割ぐらいが重症化して、1%ぐらいが死亡するのではないかと感じています。これは、やや甘めの見積もりであって、要介護高齢者や入院患者では、さらにリスクが高まるものと考えてください。
というわけで、これから私たちは何をすべきか。もはや、流行を抑止することは主たる目的ではなくなってきました(やれることはやるべきですが)。むしろ、重症化する人を減らし、とくに新型コロナに感染して死亡する人をできる限り減らすことに力を注ぐべきです。
つまり、高齢者や基礎疾患のある人に感染させないようにしましょう。そして、院内感染を防ぎましょう。これに尽きます。なお、基礎疾患のある人とは、糖尿病や高血圧、腎臓病など慢性疾患があって、定期の内服薬を要する人だと考えてください。以下、これらの方々をハイリスク者と呼びます。
ハイリスク者がいる家庭では、ウイルスを外から持ち込まないように、玄関先にアルコールを置いて帰宅時の手指衛生を徹底してください。アルコールが手に入らないなら、おしぼりでもいいです(やらないよりはマシ)。とにかく、ドアノブなどあちこちを触ってから、洗面台に行っても手遅れだってこと。
同居する家族が風邪をひいたら、ハイリスク者と接触しないよう症状が治まるまで家庭内で隔離してください。そして、風邪をひいている人が部屋を出るときは、マスクを着用させて、アルコールで手指衛生をしてください。部屋の外では、できるだけ余計なものは触らないこと。トイレに行った後は、触った場所をアルコールを染みこませたペーパータオルで拭うこと。お風呂は最後に入ること。バスタオルは絶対に共用しないこと。
こうした対応を発症してから7日間は頑張ってください。それが困難であるなら、一時的にハイリスク者を親族の家などに疎開させることも考えてください。
なお、風邪症状に過ぎないのに新型コロナかどうかを確認するためだけに、救急外来を受診することは避けてください。そこには、体調を悪化させたハイリスク者がたくさん受診しているのです。彼らへ感染させないように協力してください。また、救急外来には新型コロナの重症患者もいるかもしれません。あなたが「ただの風邪」だったとしても、救急外来を受診することで新型コロナに感染して帰ってくることになるかもしれません。
流行期には、ハイリスク者の方々が人混みを避け、なるべく自宅で過ごしていただくことも大切ですね。感染リスクのある病院に行く回数を減らすためにも、1カ月おきの外来受診を3カ月おきなど、長期処方とともに予約延長してもらうことも考えられます。かかりつけの先生に相談してみてください。
高齢者施設の感染管理は極めて重要です。100人の入所者がいる施設で新型コロナがアウトブレイクした場合、30人以上が発症し、10人以上が救急搬送を要して、数人がお亡くなりになるというイメージが必要です。このような事態を避けるためにも、全力で感染管理に取り組みましょう。
まず、外から持ち込ませないこと。流行期にあっては、原則として面会はすべて中止。物品の搬入なども玄関先で行います。どうしても入らなければならないのなら、玄関先でアルコールによる手指衛生を行って、トイレも含め共用の場所には立ち入らないように求めます。
職員についても、当然ながら玄関先で手指衛生。そして、毎朝の検温と症状確認を自己申告ではなく、管理者による指差し確認を行います。もし、軽微であっても症状があれば、絶対に休ませてください。絶対にです。勤務中であっても症状を認めたら、絶対に休ませてください。もう一度言います。絶対にです。
なお、流行期においては、出勤できる職員数が半減することも想定しなければなりません。このとき、すべての業務を継続させようとしたり、現場の判断で場当たり的に仕事をさせるのではなく、優先的に継続させるべき中核業務を決定しておくことが必要です。入居者の協力のもと、どこまで業務をスリム化できるかが勝負です。
一方、悩ましいのは通所サービスですね。ここでの感染管理を徹底することは不可能でしょう。デイケアやデイサービスをどのように運用するのか・・・。最善の方法は、流行期にはすべて休止させることです。
もちろん、その分、訪問系サービスを充実させる必要があります。通所サービスの職員に、利用者宅を巡回させるなど工夫してください。これは事業者だけで解決できる問題ではないので、市町村が主導するなどして、どうすべきかを急ぎ話し合っていただければと思います。いま、話し合ってください。
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【追記1】ここに紹介した文章も図表も、著作権主張しません。皆さん自由に使ってください。それぞれの現場の実情に応じて改変されるのも自由ですが、その際は私の名前を引用元としないよう御配慮ください。
【追記2】神戸大学の岩田先生より、冒頭の段落において「達成した」としたのは「成功した」という印象を与える恐れがあるとの指摘がありました。政府が行ってきた検疫強化などの封じ込め策には、エビデンスを収集するための時間稼ぎという目的があります。しかしながら、その目的に「至った」のは、政府による封じ込め策による成果とは言いきれず、あるいは中国や日本国内の医療者からの迅速な臨床情報の提供など、様々な要因によるものだったと考えられます。また、政府の施策が妥当であったかについては、今後の検討を要することだと思います。そこで、ご指摘に従って「達成した」を「至った」と改めました

旧約聖書はすべてイエスにあって成就している。これが彼のドグマ。
旧約聖書にまだ成就されていない預言が存在するという教えは、イエスの否定です。
イエスは「わたしは律法と預言者(つまり旧約聖書)を成就するために来た」といい、十字架上で「成就した」と宣言しました。
エゼキエル書の神殿は、イエスの復活によって成就しました。
ダニエルの70週の「荒らす忌むべき者」は、ティトゥスによる紀元70年の神殿破壊とイスラエル滅亡、さらに81年のティトゥスの死において成就しています。
この「旧約聖書未成就説」の解釈は、ディスペンセーション主義と言って、今福音派において流行っている18世紀に生まれ、19世紀にイギリスとアメリカに広まった新しい神学による解釈ですが、これを作ったマニエル・ラクンザはイエズス会のユダヤ人司祭です。
もちろん、イエズス会はNWO。イルミナティの母体です。
AD70年に旧約のシステムは裁かれ、携挙も(一度目の)再臨もあった。ゆえに現在は千年期であり、黙示録19章まではAD70年に成就している。が、その千年期も十字軍において終わり、黙示録20章の封じられていたサタンが解き放たれている時代であるとも。
- 旧約聖書はすべてイエスにおいて成就していること。
- AD70年に旧約が終わり、携挙・再臨があり、モーセ律法は超民族化され、現在はそれによる統治がなされるべき千年期またはその終わりの時代であること。
これが再建主義者富井健氏のドグマである。すべてはこのふたつの公理を擁護し、またこれらから演繹される命題群の体系が再建主義であると言える。
しかしながら、この体系が成立し得る大前提は黙示録がAD70年以前に書かれている必要があるのだ。これについてはすでに富井氏本人の論証に沿って論駁している(☞666の正体は?)。仮にAD60年代に書かれていたとしても、AD70年までの数年間に黙示録1章から19章までが成就しなくてはならない。はたしてそのような証言はあるのだろうか(☞再建主義者の「AD70年携挙&再臨説」を論駁する)? この教父たちの証言は聖書外の論証であるが、聖書内の証拠から見てもAD90年代成立の方が蓋然性がはるかに高い(☞黙示録の成立時期はAD70前か後か?)。
かくして富井氏に言わせれば、プレ・ミレ説に立つ現代のほとんどのクリスチャンはサタンによって騙されていることになる。彼とそのシンパのみが真理を知り、正統な信仰の証を建てているわけだ。現代の終末的事象はすべてイルミナティなどの陰謀によるものであり、それと彼は戦いつつ、NWOの成立を阻止するのだ。常に臨戦態勢モードである。対する私はすでにイエスが勝利しているので、その勝利の中で安息するモードである(Heb 4:9-10)。
私はそもそも福音派でもないし、プロテスタントでもない。現在ニッポンキ業界において使われている標語「わたしたちはエホバの証人、モルモン教、統一教会とは関係ありません」は、もともと私が83年の東大五月祭のシンポジウムにおいて配った招待状に書いたものだ。これが全国版となっている。さらにご丁寧に「わたしたちは正統なプロテスタントの教会です」をつけているのだ。これは極私的にはアウトだ(☞プロテスタントの誤り)。
現在の私のスタンスは上の標語に加えて「ニッポンキリスト教とも関係ありません」となる。もちろん個々のクリスチャンとの交わりには開いているが、教団や組織など、キ業界のシステムとは一切関係ないことは明言しておく。
かつてはディスペンセイション主義にどっぷり浸かり、主の再臨で世界が終わるとしたらむなしいとして、仕事も家庭も放棄した富井氏。ディスペンセイション主義で人生を壊されたとするわけだが、それは恨む対象を間違っている。氏自身のマインドがその実を生み出したのだ(☞プライベート・リアリティはマインドが作る)。
すでに60歳を超え、これまでの人生の基となった再建主義を捨てられないことは理解できる。彼とのディスカッションはすでに懐かしさの彼方にあるが、その後も彼の主張からいろいろと学ばせてもらっている。同調する部分も多々ある。しかしながら、彼は自分に敵対する者が裁かれ、滅びるとよく主張しているが、これからがどのような実を結ぶのかが問われる本番である。

TODAY’S CELEBRATION Feb 16, 2020:考えるな感じよ-YHWHのセンスをシェアする
MSGタイトル:考えるな感じよ-YHWHのセンスをシェアする …
- MSGタイトル:考えるな感じよ-YHWHのセンスをシェアする
- 引用聖句:Gen 1:27;2:7-9;2:15;3:6;1John 4:13;1Cor 6:17;Josh 5:12;2Tim 2:8 etc.
- 2020年2月23日(日)のセレブ
・場所:ワークピア横浜ユーフォニー
・時間:14.00-18.00 - プレイヤーMTG:ハロー会議室石川町元町(第二、四水曜日13:00-17:00)
- セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。

これ、なかなか面白い。ハードコア・サイエンスのトピックだが、すでに仏教では「色即是空」、道元も「前後ありと言えども、前後裁断す」と言っているとおりである。
認識論を極めると、意識とは何か、意識はリアリティーの正確な反映か、と問われるが、実はそうではないことが分かる。人類は、この概念のマトリックスに幽閉されているにすぎないのだ。では、究極のリアリティーを知ることはできるのか?これが、pneumaの作用、つまりシックスセンスであるフェイスである。
なお、仏教はもともと創造主や礼拝などでない。それは認識論なのだ。今の葬式仏教は、キリスト教と同じように、本来の在り方から堕落した姿である。

極私的にはemunah;pistisなども、「信じて仰ぐ」と考えて、「信仰」にしたのだろうと推測する。これでニッポンキリスト教が作られたのだ。これでは「Yahawehのpistis」や「御子のフェイス」などは意味不明となる。なんで神(これもエロヒムに当てはめているが見当はずれだが)が信仰を?とか言い出すであろう。
emunahにせよ、pistisにせよ、そのようなオリジナルな意味はない。それはシックスセンスであり、spiritの作用だからだ。既成の概念にはないのだ。
そもそもニッポンキ業界では霊(pneuma)と魂(pshche)、さらには心(kardia)の区別さえないわけで、そこで「信仰にハゲメー!」とかやり出すわけ。だいたい、「霊と魂の分離」などは僕くらいしか語っていない。あるイケイケ系ボクシなどは「ジーザスは魂のロッカーだあ!」とか言い出す始末。嗚呼。
これで延々とお偉いセンセイたちがリバイバルを夢想しつつ伝道に励んでこの業界を建て上げてきた。が、多分、キリストの御座の裁きでは木・草・藁とされるであろう。一言、ハマルティアだから。
言語マトリックスを抜けた者は幸いである。

かなり以前にディスカッションしたことがある富井健氏。これまで再建主義の旗手富井健氏をフォローしてきたが、これは論敵としてではなく、個人的にも関心を持つ人物だったからだ。現在のキリスト教の在り方に対するするどい批判などはきわめて共有できる。東京外語大を出て、英語、ロシア語に堪能、ソ連に勤務してその末路の悲惨を目撃、精神を病んだ模様。河合塾で英語講師を務め、90年代に日ユ同祖論に覚醒し、ラッシュデューニーを信奉して現在に至ると、極私的には理解している。
当初、彼は、尾山礼二の教会の教職者の頃は、いわゆるディスペンセイション主義を信奉し、千年期前に携挙と再臨があるとするプレ・ミレの立場だった。が、それによれば、世界はサタンの支配下にあり、何をどうしようとも滅びへと運命づけられているゆえに、仕事や家庭を築いても無意味であると感じ、世の仕事や家庭を設けることから一切退かれた。個人的にも教会裁判を受けて、ディスペンセイション主義を捨て、ラッシュデューニーの再建主義(ポスト・ミレ)に転向。現在まで、身体の衰えや経済的困窮にあらがって孤高の歩みをされている。
ディスペンセイション主義はイエズス会のラクンザの発明したサタンの教えであり、イルミナティから資金援助を受けたプリマス・ブラザレンのJ.N.ダービーやスコフィールド・バイブルのスコフィールドらにより主にアメリカ大陸で広まったとする。最近では統一教会と関係のあるティム・ラヘイやハル・リンゼイが活躍していると・・・。
AD70年に携挙と一回目の「再」臨があり、旧約のシステムは裁かれ、ユダヤ人は散らされた。彼らの多くは金融を支配するユダヤ人として世界を陰で動かしているが、それらは山羊派であり、羊派のユダヤ人は日本列島に逃れて、秦氏や物部氏が神社信仰の形で原始キリスト教を保存している。神はこの日本に真のエルサレム、ひいてはイスラエルを復興されて、十二部族もすでに回復されている。現在われわれが経験する「個人的携挙」は死の後に霊の体を得ることである。かくして日本から始まり全世界が福音化された後、キリストは二度目の「再」臨をされる。
この事実を山羊派のユダヤ人は知っており、イルミナティなどを通して開国以降様々の陰謀を仕掛けて、真の神の国イスラエルである日本を亡ぼそうとしている。現在の終末的様相はすべて彼らのシカケによる陰謀である。天皇制はユダヤ人によるものであり、神社はもともとキリスト教の信仰であった。日本こそ世界の中心であり、まことのキリスト教国である!
・・・・というのが彼の脳内マトリックスであろう。
極私的には、別にディスペンセイション主義の立場ではないが、プレ・ミレである。前艱難携挙説ではないが、再臨も携挙も一度限りの事件と考えている。そして携挙と再臨を待ち望んでいるが、仕事もし、カネも稼ぎ、マンションも得て、家庭も築いた。主の再臨ですべてが無に帰するとして、むなしくなることもなかった。むしろますます人生は楽しくなっている。
結論は、別にディスペンセイション主義そのものが問題なのではない。それが聖書の啓示として正当か否かは別の問題である。問題は受け取る側のメンタルの問題に過ぎない。富井氏はそれを聞いて、すべてがむなしくいと感じ、世の在り方から自ら退いただけなのだ。プレ・ミレを採っている私はそのようには反応しなかった。これは前から言っている通り、私のサイエンティストとしての姿勢も影響しているかもしれないが[1] … Continue reading。
主は言われた、何をどう聞くかによくよく注意せよ。それは自分の内側にどのような世界観を構築し、そのマトリックスにおいて、そのプロトコルに従って生きることを意味するからだ。これが各人の人生を構築するのだ。
References[+]
↑1 | 一応断ると、私はプレミレに立つが、それは今までのところプレミレを捨てる理由がないからだ。再建主義の主張を詳細に調べても、それを棄却するところまではいかない。もし今後、十分なるエビデンスが与えられれば、私もポストミレに変わるかもしれない。これは数理統計学的思考。すなわちある仮説を立てる。この否定の仮説(帰無仮説)を立てる。帰無仮説の上で今起きている事象の確率計算をして、それが5%未満のとき、帰無仮説を捨てる。これで危険率5%で当初の仮説を否定し得ないとするわけだ(これを「「統計的に5%の有意水準にある」と言う)。 私の仮説はプレミレ。帰無仮説はポストミレ(この際、ア・ミレは除いておく)。聖書と世界の諸現象からポストミレが成立する確率を推定すると、今のところきわめて低い。よって、なお判断ミスの危険(これを第一種の過誤と呼ぶ)はあることを承知の上で、プレミレは否定できないとしているのだ。これがサイエンティストの思考法なのだ。なお、第二種の過誤とは帰無仮説が間違っているのに棄却しない誤りのこと。 |
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霊と真理にある霊拝
現状、募集をペンディングしております。今年度の実施は困難であると判断し、延期いたします。詳細が決まり次第、アナウンスいたします。


- MSGタイトル:霊の道を開く霊拝
- 引用聖句:Eccl 11:5;John 10:34;Job 26:4;29:22;32:18-19;John 4:22-24;7:37-38;Col 2:19;Eze 3:3; Job 32:8;Prov 3:5-8 etc.
- 2020年2月16日(日)のセレブ
・場所:ワークピア横浜ユーフォニー
・時間:14.00-18.00 - プレイヤーMTG:ハロー会議室石川町元町(第二、四水曜日13:00-17:00)
- セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。

NEW DVD発売:『FAITH CAMP 2019 SEMINAR』の二回のレクチャーを編集した映像。YouTube公開のものに手を入れてます。定価3,000円。注文はオンラインショップにて。

サマリヤの女に対して主はいわれた:
しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。-ヨハネ4:23-24
この訳はいかにも宗教としてのキリスト教のものである。Vincentは次のようにコメントする:
Spirit (πνεῦμα) is the highest, deepest, noblest part of our humanity, the point of contact between God and man (Rom 1:9); while soul (ψυχή) is the principle of individuality, the seat of personal impressions, having a side in contact with the material element of humanity as well as with the spiritual element, and being thus the mediating element between the spirit and the body.
The phrase in spirit and in truth describes the two essential characteristics of true worship: in spirit, as distinguished from place or form or other sensual limitations (John 4:21); in truth, as distinguished from the false conceptions resulting from imperfect knowledge (John 4:22).
True worship includes a spiritual sense of the object worshipped, and a spiritual communion with it; the manifestation of the moral consciousness in feelings, motions of the will, “moods of elevation, excitements,” etc. It includes also a truthful conception of the object. In Jesus the Father is seen (John 14:9) and known (Luke 10:22).
Thus the truthful conception is gained. He is the Truth (John 14:6). Likewise through Him we come to the Father, and spiritually commune with Him. No man can come in any other way (John 14:6). To worship in truth is not merely to worship in sincerity, but with a worship corresponding to the nature of its object.
人の構成は体・魂・霊。体は物理的サブスタンスを五感を通して実体化あるいは主観的経験とする。電磁波である光は目により、音波である音は耳によりといった具合である。魂は精神活動、わたしの意識の中核であり、体を通してインプットされた世界の像(電気信号)を主観的に経験する。

対して霊はもっとも深い部分であり、主との結合にもたらされたわれわれは、霊が再度生み出された者である。それはエロヒムの霊の分与であり、同じDNAを共有している。この霊こそが霊のサブスタンスであるYahawehエロヒムを実体化する。これがシックスセンスとしてのフェイス(Heb 11:1)。この霊によってこそ、Yahawehエロヒムを知ることができる。これが永遠の命である(John 17:3)。
「まこと」と訳された言語は”aletheisa”、それは究極の実存の実体・実質である。Yahawehエロヒムこそがあらゆる存在の究極であり、このI-AMなる存在が物質化されたお方こそがジーザス。この方のみが父に至る道、門、ポータル。そこでVincentはこう結論する:
To worship in truth is not merely to worship in sincerity, but with a worship corresponding to the nature of its object.
私たちはI-AMなる存在のうちに生み出され、その存在は私たちのうちにいます。その本質に従ってワーシップするのである。それは霊のサブスタンスそのものであり、よって霊拝である。しかも、主は言われる:今であると。この今とは時空間の中におけるそれではない。永遠の領域、永遠のNOWであり、そこにこそ究極の存在者I-AMがおられる。私はこの「ありてある」方を、在とお呼びしたい。かくしてフェイスとは在の実体化である!

この記事はまことに同意である。
ここで電車の例を語っているが、これは極私的にもしばしば語ってきたことだ。何をするかの問題ではなく、どこ行きの列車に乗っているかがすべてを決める。
自分がその列車の中で何をしようと、全能の神が保証してくださるので、必ず目的地につきますし、自分の行動によって失敗する可能性はゼロです。
私は20代にすべてを委ねました。今までいろいろありましたが、全部利益になりました。
もっとも無駄のない、有意義な人生を送ることができました。
世間から見ればどう評価されるかわかりませんが、そんなことどうでもいいです。世間が自分を幸せにしてくれるわけではないので。
自分の人生について責任を取ってくださるのは神ご自身なので、何が起きても全部自分にとって最善であるとわかれば、未来について安心していられます。
彼が幸せか否かは彼の内心の問題なのでこちらがどうのこうの論じるものではない。が、極私的にはもし自分が彼のような人生であったら、ちょっと悲観するところである。家族もない、仕事もない、住居もない、まことにストイックな生き方。一方、おかげさまで大家族や住居を得て、六本木のJAZZライブや温泉、映画と遊びが好きな小市民Dr.Lukeとしてはリスペクトする以外にないところである。
彼とはほぼ年齢も同じ、生きてきた時代背景も共有できるわけで、立場は異なるがある種の同志的な感覚を覚えるところである。最近身体が衰えたとか、雨漏りするアパートから引っ越したいとか、GYMに行くカネが欲しいとか訴えてる同氏、やや心配している(いや、余計なお世話かもだが・・・)。かくして孤高の再建主義者富井健氏にエールを送りたいと思う。

ヘブル11章はいわゆるフェイスの定義と旧約の偉人のリストである。
いま、フェイスとは願われるサブスタンス、観ていないことの現出である。-Heb 11:1(私訳)
そして旧約の偉大なキャラクターのリストが続く・・・。
が、最後にこうある-
ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです。-39-40節
お分かりだろうか? 彼らは私たち(=新約のニュークリーチャー)によって完全とされるべきなのだ! 判断の基準は彼らのなした業によるものではない。生まれの問題である。
御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。-ヤコブ1:18
この「生む」は”apokueo”、その意味は(Strong)-
to breed forth, that is, (by transformation) to generate (figuratively): – beget, bring forth.
これは生命現象である。われわれはニューブリード、新しい生命体なのだ。すなわちエロヒム属である。
あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちはエロヒムである』と書いてあるではないか。神の言葉(ロゴス)を
受けた内在化された人たちが、『エロヒム』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。-ヨハネ10:34-35
ロゴスは種、”sperma”、精子、すなわちDNAである。
あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉(ロゴス)によって新たに生まれたのです。-1ペテロ1:23
神から生まれた
人すべては皆、罪を犯しません。神の種がこの人の内にいつもあるからです。-ヨハネ3:9[1]生まれた「人」とすると罠に落ちる。この原語は”pass”、生まれた「すべて」はである。それは霊である。
これはYahawehエロヒムのDNAがわれわれの霊のうちにインヒュージョンされたことであり、われわれの霊とはYahawehの霊が分かち与えられたものである(☞神の遺伝子工学@YouTube)。
神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。-1ヨハネ4:13
かくしてこの生命現象にあずかることは旧約の聖徒が経験し得なかった、新約に生きるわれわれの特権なのである。われわれはヘブル11章にリストされた旧約の偉大な英雄たちよりも偉大な存在である! 主ご自身がそれを証しされている。
はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。-マタイ11:11
旧約の偉人たちは女から生まれた者である。新約のわれわれは神から生まれた者である。アイデンティティの意識をトランスフォームせよ! われわれは罪赦された哀れな罪人などではない[2] … Continue reading。われわれは新しい生命体、ニュークリーチャー、ジーザスと同じDNAの生命(Zoe)をシェアするエロヒムである!(☞エロヒムの増殖) だから主はわれわれを兄弟と呼ぶことを恥とされないのだ(Heb 2:11)。
エロヒムの増殖を増殖する。-Col 2:19(原語)

携挙はすでに紀元70年までに終わっています。
なぜならば、パウロが「生き残っている私達が・・・」とテサロニケ教会の人々に語っているからです。
パウロは明らかに同時代に携挙があり、再臨があると信じていました。
もし携挙が未来にあり、再臨が未来にあるならば、パウロがここで述べたことは「外れた」ということになります。
すると外れた予言が聖書に入っていることになり、聖書に誤謬があるということになる。(*)
・・・
「歴史的な、一回限りの」携挙はすでに終わっていますが、「個人的な、クリスチャンならだれにでも起きる」携挙(肉体的死の後に起きる昇天)は「信仰のみ」によって可能です。(*)「パウロ自身は殉教しているので外れたのではないか」という人がいるかもしれませんが、この文脈は個人に関する運命を扱っているのではなく「テサロニケ教会の人々」を主題として彼らへの慰めとして述べられている個所ですから、例外としてその教会の誰かが先に死んでしまうこともあるかもしれないし、また、パウロが個人的に携挙の前に殉教し、それに含まれていなかったとしても問題はありません。
http://www.millnm.net/cgi-bin/page.cgi?url=../qanda4/22novlRkY89ek22948.htm
あくまでも携挙によってテサロニケ教会の人々は天にあげられ、イエス及びすでに亡くなった兄弟姉妹と会えることが強調されているのです。
「歴史的な、一回限りの」携挙と個人的な、「クリスチャンであればだれにでも起きる」携挙(肉体的死の後に起きる昇天)というように[1]肉体の死を個人的携挙とするのは私が疑問を呈した後に初めて主張し出した経緯がある(☞「肉体の死が携挙である」と再建主義者)。、「携挙」には二種類あると言うわけだ。これもまた???な主張である[2] … Continue reading。
そして面白いのは(*)の部分。これは明らかに私の反論(☞再建主義者の「再臨と携挙を未来の出来事とするのは悪魔教である」を論駁する)を意識しているわけだ。「再臨」が二回あると言い出したのも私の反論(☞二重写しの預言か、二重の再臨か?)に対してと思われるが、けっこうここを読んでくださっているようではある😊
References[+]
↑1 | 肉体の死を個人的携挙とするのは私が疑問を呈した後に初めて主張し出した経緯がある(☞「肉体の死が携挙である」と再建主義者)。 |
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↑2 | 要するに終末預言をAD70の一回限りのものとするためには、「再臨」も「携挙」も二回あるとせざるを得なくなるわけ。終末預言がAD70を含めた現在にも適用されるべきものとすれば、再臨も携挙もこれからあるべき一回性の歴史的事象となる。 |

この主張はついにクルところまでと言った感が否めないが・・・。
縄文人とユダヤ人は同じYAP遺伝子を持つ。これは、ノアの箱舟から出てアララテ山の麓ハランにいたセムの子孫ヘブル人が南に移動したのがユダヤ人で、東に移動したのが縄文人だから。
では、縄文人はなぜ東に移動したのだろうか。それは、日の昇る方向である東が神を象徴するからかもしれない。
もう一つ考えられるのは、もともと洪水が起きる前、大陸が一つだった時代にエデンの園が日本にあったからかもしれない。
その時代の大陸をパンゲア大陸というが、エデンの園は東にあったと書かれているので、パンゲア大陸のもっとも東に位置していたと考えられる。
パンゲア大陸の想像図を見るとわかるが、一番東は今日本列島がある場所である。
神は、啓示の表舞台の役者としてユダヤ人を用いられたが、同時に、縄文人を日本列島に移動させ、裏舞台を用意されていたのかもしれない。
パレスチナのイスラエル王国は、紀元70年まで表舞台として機能していたが、捕囚後に離散した神の民は、日本列島に移動し、裏舞台を作っていた。
紀元70年になり、西の舞台が終了したので、神の民はそれまで同胞によって用意されていた東の舞台に移動し、そこにイエスを王とする永遠のイスラエル王国を建設した。
洪水が起きる前にエデンの園があった日本列島に神の民は帰還した。
これは、「イエスを信じることは、エデンの園に復帰すること」という聖書の主張と一致する。
追記:パンゲア大陸は二億年以上前にあったとされる。しかし富井氏は創世記の七日間創造をそのまま信じる立場、すなわち6000年前にアダムとエバが創造されたとする。この自己矛盾はどなたでも理解できるでしょう。

この論文はかつて大学院の輪読で扱ったことがある。言葉により、例えば、祈りや黙想により、DNAは反応してリ・プログラミングが起きるのだ。祈りを合わせるならばさらに大いなる結果を地上に現すことができる。
This finally and scientifically explains why affirmations, autogenous training, hypnosis, Mediation, Prayer and other forms of Focus, can have such strong effects on humans and their bodies. It is entirely normal and natural for our DNA to react to language.
Esoteric and spiritual teachers have known for ages that our body is programmable by language, words and thought. This has now been scientifically proven and explained. Of course the frequency has to be correct. And this is why not everybody is equally successful or can do it with always the same strength. The individual person must work on the inner processes and maturity in order to establish a conscious communication with the DNA. The Russian researchers work on a method that is not dependent on these factors but will ALWAYS work, provided one uses the correct frequency.
Hyper communication in the new millennium means something quite different: Researchers think that if humans with full individuality would regain group consciousness, they would have a god-like power to create, alter and shape things on Earth!
When a great number of people get together through prayer or meditation, all focusing on the same outcome, we can change the world. The concept of us changing our own DNA, through our words and vibrations, is now a Know FACT. We are getting an Upgrade.
まことにこうあるとおりだー
また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。-マタイ18:19